(画像お借りしました)
これもむずかしい課題です。古事記と同じように、だれっもが知っていて、誰も全部を読まない本だと思われます。
私も筋書きを追う程度で、今回も源氏物語を江戸時代に追及した本居宣長、そして、宣長を理解した小林秀雄の文章から考えます。
宣長は源氏物語の本質は「もののあはれ」だといいます。これはただの情緒ではなく、ことにふれた人の心をことばにあらわした、そして和歌のいう「あはれ」とはまた異なる「鏡に向かったように明らかに示された」心であったというのです。
これは筋書きばかり追っている小心な自分などにはわからない宮廷人、いや愛という情にふれた女性の「心」をことばでつづった結晶と思われます。
さらに宣長が指摘したのは紫式部が、使い古された、あるいは日常の「あはれ」ではなく「その時のならひ」、つまり最新流行の感覚であったことが、当時の人々を感動させたというのです。いつの時代も流行の作家は時流に鋭いのです。
ちなみに源氏物語によって絵巻が作られたことがよく知られます。これも源氏物語をよく知る人が、印象深い場面を画面に表しています。
今はくすんだような印象がありますが、現代に再現した絵巻からは、もともと銀の美しい装飾を施したまことに美しい画面だったことがわかります。
しかし、時代が下るといつも同じ場面を同じように描く、源氏物語自体も深く読むことがなくなる、それに警鐘を鳴らしたのが本居宣長であり、小林秀雄だったのだと思います。
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