博多承天寺にある饅頭そば発祥の碑
饅頭の起こりは老舗和菓子店でも聖一国師(円爾・東福寺開山)や竜山徳見といった禅僧から伝授されたとします。
禅寺では食事は2回ですが、間に点心や茶の子といった間食を喫茶とともに許していました。
茶の子は果実を干したものなどでした。
この点心に饅頭や素麺が食べられていました。ただし、饅頭は中国ではもともと肉饅頭ですから、寺では野菜などをいれたものになります。
これが寺から武士の食事に取り入れられて、汁と一緒に食べられるようになりました。
羊羹(ようかん)ももとは羊の形をした粉の練り物を汁に入れたものでした。羊など動物をいけにえにすることをやめるために羊の形にしたといいます。
甘い小豆餡の饅頭は砂糖が普及する江戸時代に広まりました。
当時はほんとうに高級な菓子だったと思われます。
みそやしょうゆも鎌倉時代から禅寺でよく食べられたというように、禅寺の食事は現在まで日本人の食事に大きな影響があります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます