日本の伝統芸能といったら、何を浮かべるだろうか
歌舞伎、能、狂言、日本舞踊、雅楽など、
様々なものが時代を超えて受け継がれてきている。
250年前に生まれた「落語」は、
今や最も人気のある大衆演芸の1つとも言われている。
落語は、TV、ラジオ、「寄席」で聞くことが出来るが、
まだ、本物の落語というものを聞いたことがない。
本屋に行くと、1冊の本が売れているのを目にした。
サラリーマンより楽だと思った。
とんでもない、誤算だった。
落語家前座生活を綴った破天荒な名随筆というポップ
立川談春 「赤めだか」という本
立川談志は、まったく落語を知らないノリも聞いたことがある。
しかし、立川談春という名は、はじめて耳にした。
日本にいながら、伝統芸能に触れる機会は、
ほとんどなかった。
また、落語の世界という、まったく今の自分とは異質の世界を
のぞいてみたいと思い、本を買った。
ちょうど、本を読んでいると、
先週のTV「情熱大陸」でこの本著者である「立川談春」を取り上げていた。
本の中でしか、想像できなかった人物が、
今、TVを通して、見られることにワクワクをしていた。
「情熱大陸」の中で、
立川談春がこのようなことを言っていた。
独演会で、師匠(立川談志)の十八番である「芝浜」をやることに対して、
「僕が父親を尊敬 崇拝しきっている子どもだとすると
尊敬はしているんだけど、あえて立ち向かうという子どもがいて、
誰でも出来るからね
死んだ後は・・もっと言えば弟子だという一点で出来るわけじゃないですか
そんな大事な財産
勝手にかっぱらってもらうんだったら、
せめて生きているうちに そこが違うとか下手くそとか
お前なんかがって言われるのがね・・・・・・・・・・・・・」
真正面から向かっていく、向き合っていく談春の思いが
すっーと胸に入っていった。
師匠だからこそ、認めてもらいたい。間違ったところを指摘してほしい
小学、中学、高校・・年齢が上がるにつれて、上下関係というものは
誰にでも出来てくる。でもそれが、師弟関係であるかと言われれば、
おそらく違う。
どの世界にも、上下関係はあるだろうが、
師弟関係は必ずしも存在はしないだろう。
それぞれの企業も師弟関係とは言わないまでも、
良いところ、悪いところも見てもらう、それを指摘しあって高めていく
そんな関係づくりが出来れば、よいのではないだろうか。
理想の社会人、3年後の自分、10年後の自分を考えてみるなどの
ワークシートがある。これが、なかなか想像しにくい。
今までは、中学、高校、大学とエスカレーター式に上ってきたために
あと何年もすれば、高校生、大学生と容易に想像することは出来た。
しかし、今大学生である自分が、社会人になってからの姿というものは、
想像しにくい。どうなっているのか、見当がつかない。
それに比べて、師匠と弟子という関係
弟子は、師匠に認めてもらえる実力を身につけること
また、師匠を超えられる存在になりたいという理想や目指す姿が
想像しやすいように感じる。
前座から、はじまり2つ目、真打と昇進をしていくものだが、
目指す姿が明確だからといって必ずしもなれるわけではない。
実力を備えたものだけが、昇進できるシビアな世界でもある。
本の中で、このようなお話がある。
立川談春を含む4人が2つ目に昇進した時の披露口上での
立川談志の言葉である。
落語家は伝統を語っていかなければなりません。
当人の段階に応じた伝統を語ってゆく。そしてうける根多を作ってゆく。
それをこれからやっていくのです。
そして、最後には己の人生と己の語る作品がどこでフィットするか
この問題にぶつかってくると思います。・・・・・
(立川談春 赤めだか 生涯1度の寿限無と5万円の大勝負より 抜粋)
伝統を語るというところは、仕事をやっていくということにも置き換えられるのでは
ないかと感じました。
仕事をやっていくうえで、最後に自分の人生とまた成果がマッチするのか
ということにつながるのではないでしょうか。
まだ、実際に見たり、聞いたりしたことのない落語の世界
今年は1度でいいから、見に行ってみたいと思うノリでした。
歌舞伎、能、狂言、日本舞踊、雅楽など、
様々なものが時代を超えて受け継がれてきている。
250年前に生まれた「落語」は、
今や最も人気のある大衆演芸の1つとも言われている。
落語は、TV、ラジオ、「寄席」で聞くことが出来るが、
まだ、本物の落語というものを聞いたことがない。
本屋に行くと、1冊の本が売れているのを目にした。
サラリーマンより楽だと思った。
とんでもない、誤算だった。
落語家前座生活を綴った破天荒な名随筆というポップ
立川談春 「赤めだか」という本
立川談志は、まったく落語を知らないノリも聞いたことがある。
しかし、立川談春という名は、はじめて耳にした。
日本にいながら、伝統芸能に触れる機会は、
ほとんどなかった。
また、落語の世界という、まったく今の自分とは異質の世界を
のぞいてみたいと思い、本を買った。
ちょうど、本を読んでいると、
先週のTV「情熱大陸」でこの本著者である「立川談春」を取り上げていた。
本の中でしか、想像できなかった人物が、
今、TVを通して、見られることにワクワクをしていた。
「情熱大陸」の中で、
立川談春がこのようなことを言っていた。
独演会で、師匠(立川談志)の十八番である「芝浜」をやることに対して、
「僕が父親を尊敬 崇拝しきっている子どもだとすると
尊敬はしているんだけど、あえて立ち向かうという子どもがいて、
誰でも出来るからね
死んだ後は・・もっと言えば弟子だという一点で出来るわけじゃないですか
そんな大事な財産
勝手にかっぱらってもらうんだったら、
せめて生きているうちに そこが違うとか下手くそとか
お前なんかがって言われるのがね・・・・・・・・・・・・・」
真正面から向かっていく、向き合っていく談春の思いが
すっーと胸に入っていった。
師匠だからこそ、認めてもらいたい。間違ったところを指摘してほしい
小学、中学、高校・・年齢が上がるにつれて、上下関係というものは
誰にでも出来てくる。でもそれが、師弟関係であるかと言われれば、
おそらく違う。
どの世界にも、上下関係はあるだろうが、
師弟関係は必ずしも存在はしないだろう。
それぞれの企業も師弟関係とは言わないまでも、
良いところ、悪いところも見てもらう、それを指摘しあって高めていく
そんな関係づくりが出来れば、よいのではないだろうか。
理想の社会人、3年後の自分、10年後の自分を考えてみるなどの
ワークシートがある。これが、なかなか想像しにくい。
今までは、中学、高校、大学とエスカレーター式に上ってきたために
あと何年もすれば、高校生、大学生と容易に想像することは出来た。
しかし、今大学生である自分が、社会人になってからの姿というものは、
想像しにくい。どうなっているのか、見当がつかない。
それに比べて、師匠と弟子という関係
弟子は、師匠に認めてもらえる実力を身につけること
また、師匠を超えられる存在になりたいという理想や目指す姿が
想像しやすいように感じる。
前座から、はじまり2つ目、真打と昇進をしていくものだが、
目指す姿が明確だからといって必ずしもなれるわけではない。
実力を備えたものだけが、昇進できるシビアな世界でもある。
本の中で、このようなお話がある。
立川談春を含む4人が2つ目に昇進した時の披露口上での
立川談志の言葉である。
落語家は伝統を語っていかなければなりません。
当人の段階に応じた伝統を語ってゆく。そしてうける根多を作ってゆく。
それをこれからやっていくのです。
そして、最後には己の人生と己の語る作品がどこでフィットするか
この問題にぶつかってくると思います。・・・・・
(立川談春 赤めだか 生涯1度の寿限無と5万円の大勝負より 抜粋)
伝統を語るというところは、仕事をやっていくということにも置き換えられるのでは
ないかと感じました。
仕事をやっていくうえで、最後に自分の人生とまた成果がマッチするのか
ということにつながるのではないでしょうか。
まだ、実際に見たり、聞いたりしたことのない落語の世界
今年は1度でいいから、見に行ってみたいと思うノリでした。
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