生きる 谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ陽がまぶしいこと
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬がほえるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくこと
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくこと
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
(谷川俊太郎 詩 「生きる」を抜粋)
角川SSCで「生きる~わたしたちの思い~」という本が出ていて、
本屋で読んでいたら、気になって買ってしまい
ちょっとした時に読んでいます。
谷川俊太郎さんの「生きる」のほかに、
色々な人(一般の投稿者)の「生きる」をテーマにした詩があります。
短い文だからこそ、伝わるものがあるのだと思います。
先日、勧めもあって、東京の美術館に行ってきました。
練馬区の美術館で開かれている
「石田徹也-僕たちの自画像-展」というものです。
石田さんは、鋭敏な感性で自己と社会を描きだし、
将来を嘱望されながら惜しくも31歳で死去した画家です。
決して、ノリは美術に詳しい人ではありません。
でも、こうして、美術館などに足を向けるのは、
例え絵のよしあしがわからなくとも、心で感じるものが
あるんじゃないかと思っています。
美術館に展示された絵と向き合う時、
絵を通して、ここでいえば石田さんは何をどう見つめていたのかなと。
どんな思いで、こんな絵を描いていたんだろう。
石田さんのタッチは、ノリにはどこか寂しげで、苦しさを求める中で、
でも、何かを待っているそんな絵に見えました。
「燃料補給のような食事」という絵はまさに、
今の日本人が食事の時間さえも、無駄にできない慌しい社会の一面を
表したように思います。
生きるということ
歌手だったり、詩人だったり、芸術家だったり、
彼らは、何か作品を通して、「生きる」ということを表しているように
も見えてきます。
「生かされる」・・という考えもありますが、でも多くは
みんな「生きる」なのかなと思います。
本の中で、素敵だなって思った詩があります。
「さよらな」じゃなくて、
「またね」といって別れること
Bass5さんの詩です。
「生きる」って1度は誰もが考えたことあると思うんですけど、
言葉にしてみるのって難しいものです。
ノリもすぐには浮かびません。
みなさんだったら、「生きる」はどんな詩になりますか?
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ陽がまぶしいこと
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬がほえるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくこと
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくこと
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
(谷川俊太郎 詩 「生きる」を抜粋)
角川SSCで「生きる~わたしたちの思い~」という本が出ていて、
本屋で読んでいたら、気になって買ってしまい
ちょっとした時に読んでいます。
谷川俊太郎さんの「生きる」のほかに、
色々な人(一般の投稿者)の「生きる」をテーマにした詩があります。
短い文だからこそ、伝わるものがあるのだと思います。
先日、勧めもあって、東京の美術館に行ってきました。
練馬区の美術館で開かれている
「石田徹也-僕たちの自画像-展」というものです。
石田さんは、鋭敏な感性で自己と社会を描きだし、
将来を嘱望されながら惜しくも31歳で死去した画家です。
決して、ノリは美術に詳しい人ではありません。
でも、こうして、美術館などに足を向けるのは、
例え絵のよしあしがわからなくとも、心で感じるものが
あるんじゃないかと思っています。
美術館に展示された絵と向き合う時、
絵を通して、ここでいえば石田さんは何をどう見つめていたのかなと。
どんな思いで、こんな絵を描いていたんだろう。
石田さんのタッチは、ノリにはどこか寂しげで、苦しさを求める中で、
でも、何かを待っているそんな絵に見えました。
「燃料補給のような食事」という絵はまさに、
今の日本人が食事の時間さえも、無駄にできない慌しい社会の一面を
表したように思います。
生きるということ
歌手だったり、詩人だったり、芸術家だったり、
彼らは、何か作品を通して、「生きる」ということを表しているように
も見えてきます。
「生かされる」・・という考えもありますが、でも多くは
みんな「生きる」なのかなと思います。
本の中で、素敵だなって思った詩があります。
「さよらな」じゃなくて、
「またね」といって別れること
Bass5さんの詩です。
「生きる」って1度は誰もが考えたことあると思うんですけど、
言葉にしてみるのって難しいものです。
ノリもすぐには浮かびません。
みなさんだったら、「生きる」はどんな詩になりますか?
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