木曜日担当のノリです
ノリにしては、ここ3日間珍しく、
お酒を飲んでいます。
イベントの打ち上げやゼミの忘年会、
昨日は11月に知り合った社会人の方に
食事をごちそうしてもらいました
食べている間というのは、意外に時間が進まないもので、
食べ終わってから、話をしている時間のほうが
長かったりするんですよね
先週の土曜日、小さなクリスマス会に参加をしてきました
そこでは、学生から、20代、30代と様々な社会人の方も
いて、ノリにしては、不思議な空間でした。
社会人の方には、ろう者の方もいて、
みんなで話す際には、手話のわかる方、わからない方もいて、
その点で、不思議な空間だったのかもしれません。
口に発して、伝わる言葉があり、
また口に発せられない、手話だから伝わる言葉があります。
健聴者が、一生懸命聞こう、わかろうとしても、伝わらない。
ろう者が、一生懸命手話で伝えようとしても、伝わらない。
参加者の中には、そのことで不快になった人もいるかもしれません。
ノリは、どちらかというと、わからなくても良いです。
ろう者の方が、一生懸命伝えようとしている。
ノリには、はっきりとはわからない。でも
何だか、それが良いんです。
わからないけど、何だかいい・・・・
考えてみると、ノリは同じ時間を共有しているだけで、
良いのかなと思いました。ろう者と社会人と今の自分が
一緒にいることが
新鮮でいいのかなと。
ろう者の方は、なかなかこういった会に呼ばれることは
少ないそうです。
その小さなクリスマス会も20人のほどの規模でしたが、手話を
できるのは、7~8名で、半分以上はわからない人です。
この小さなクリスマス会、20人ほどの規模でしたが、
みんなが全て知り合いというわけではありません。
ノリ自身、主催者の方を含めて6人くらいしか知りませんでした。
自分が参加者全員を知っているなら良いのですが、
知らない人もいるというのは、ちょっと緊張しますよね。
まして、それがろう者の方であれば、緊張は2倍以上なのではないかと
思います。
せっかく呼んでくれたけど、楽しめるかな
手話ができる人がいなかったら、どうしよう
手話をやることで、周りの人に意思が伝わらず、不快な思いをさせてしまう
かもしれない・・・・・
ずっと、私たち健常者が思っている以上に、
不安だったはずです。
だからこそ、ノリの中では、来てくれた勇気だけで十分なのだと
感じていました。
ついつい障害者と接するなかで、自分自身、
障害に目がいっていくことのほうが多い。
でも、その目線を少しだけ変えて
障害者の小さな勇気やがんばりに目を向けることができたら、
きっと言葉で伝わる、伝わらないとかどうでもよくて、
同じ時間を共有してる、それで良いんじゃないかなって思います。
誰かと同じ時間を共有するとき、
みなさんなら、何を大切にしていますか?
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ノリにしては、ここ3日間珍しく、
お酒を飲んでいます。
イベントの打ち上げやゼミの忘年会、
昨日は11月に知り合った社会人の方に
食事をごちそうしてもらいました
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食べている間というのは、意外に時間が進まないもので、
食べ終わってから、話をしている時間のほうが
長かったりするんですよね
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先週の土曜日、小さなクリスマス会に参加をしてきました

そこでは、学生から、20代、30代と様々な社会人の方も
いて、ノリにしては、不思議な空間でした。
社会人の方には、ろう者の方もいて、
みんなで話す際には、手話のわかる方、わからない方もいて、
その点で、不思議な空間だったのかもしれません。
口に発して、伝わる言葉があり、
また口に発せられない、手話だから伝わる言葉があります。
健聴者が、一生懸命聞こう、わかろうとしても、伝わらない。
ろう者が、一生懸命手話で伝えようとしても、伝わらない。
参加者の中には、そのことで不快になった人もいるかもしれません。
ノリは、どちらかというと、わからなくても良いです。
ろう者の方が、一生懸命伝えようとしている。
ノリには、はっきりとはわからない。でも
何だか、それが良いんです。
わからないけど、何だかいい・・・・
考えてみると、ノリは同じ時間を共有しているだけで、
良いのかなと思いました。ろう者と社会人と今の自分が
一緒にいることが
新鮮でいいのかなと。
ろう者の方は、なかなかこういった会に呼ばれることは
少ないそうです。
その小さなクリスマス会も20人のほどの規模でしたが、手話を
できるのは、7~8名で、半分以上はわからない人です。
この小さなクリスマス会、20人ほどの規模でしたが、
みんなが全て知り合いというわけではありません。
ノリ自身、主催者の方を含めて6人くらいしか知りませんでした。
自分が参加者全員を知っているなら良いのですが、
知らない人もいるというのは、ちょっと緊張しますよね。
まして、それがろう者の方であれば、緊張は2倍以上なのではないかと
思います。
せっかく呼んでくれたけど、楽しめるかな
手話ができる人がいなかったら、どうしよう
手話をやることで、周りの人に意思が伝わらず、不快な思いをさせてしまう
かもしれない・・・・・
ずっと、私たち健常者が思っている以上に、
不安だったはずです。
だからこそ、ノリの中では、来てくれた勇気だけで十分なのだと
感じていました。
ついつい障害者と接するなかで、自分自身、
障害に目がいっていくことのほうが多い。
でも、その目線を少しだけ変えて
障害者の小さな勇気やがんばりに目を向けることができたら、
きっと言葉で伝わる、伝わらないとかどうでもよくて、
同じ時間を共有してる、それで良いんじゃないかなって思います。
誰かと同じ時間を共有するとき、
みなさんなら、何を大切にしていますか?
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