木曜日担当のノリです
昨日、今日と新潟は最高気温が25℃を超えたみたいで、
夏日ですね。
半袖でも、いいくらいなんですが、
なんとなく、まだ5月ということもあって、
薄手の長袖で学校に行きました
昨日、今日と2日間連続で、
嫌な夢を見たので、朝からちょっとブルーです
夢だから、あいまいな記憶でしかないのですが、
誰かに追いかけられる夢と、約束を破られてしまうような夢で、
妙にリアリティがあって、嫌でした。
さてさて、夢の話は、ここらにしておいて、
最近、出会った言葉にこんなことがあります。
どんな道のりを歩んだって、
どこかにはたどりつく。
はじめに急ぐ者も、あとで走る者も、
ずっと歩いていく者も、
どこかにはたどりつくんだ。
(セフティ・マッチの金の言葉)
「どこか」というフレーズが、なんとなく気に入っています。
「ゴール」じゃない、
「自分だけの居場所」みたいな感じが含まれているのかなと。
積もりつもって、気がつけば、
じょいじょぶろぐんとして、これが300本目になりました。
100本書いたときには、100本目の「どこか」にたどり着き、
200本書いたときには、200本目の「どこか」にたどり着き、
300本目の今も、「どこか」にたどり着いたのかもしれません。
あらためて、ボランティアというのは、
人のためというより、自分のためなのだなと感じる瞬間がありました。
JOYJOBの活動とは、別に
個人的にボランティアに行く活動を3年間ほどやっています。
毎月というよりも、不定期で、年に3~5回ほどです。
決して数は多くはないのだけれど、
段々と数を重ねるうちに、顔くらいは覚えてもらいました。
先日、ボランティアとは別のイベントに顔を出した時に、
偶然、ボランティアの場にいる方がいて、びっくりでした。
「今日は、こっちがお世話をする番だね。」など
と言われ、
「今日は、お世話になりますね。」と
やりとりをしました。
たまたま、少しだけ発表する機会を与えてもらったところに、
ボランティアに行って会っている方が、急に手を挙げ、
「その学生さん、いつも、ボランティアに来てくださって
お世話になっているんです。」
と、感謝の言葉を述べてくださいました。
みんなの前で、照れくさい、恥ずかしいと思うと同時に、
とても、嬉しかったことを覚えています。
いつだって、良くも悪くも見られているということ、
だからこそ、誤魔化しが聞かないんだなと。
ちょこっと小学生と遊んでいる時が、
合ったのですが、
その時もそれを見ていた知り合いの人から、
「佐藤くん、自然だよね。」と
これも、言われて嬉しかった一言です。
多くの人から、メッセージをもらい、
今の自分は、「どこか」にいるんだなと思ってます。
少なくとも、大学4年間は、「どこか」=「新潟」だと。
大学を卒業し、「新潟」を出て行くころには、
「どこか」は新潟ではなくなります。
だからこそ、「新潟」にいるお世話になった人たちに、
何かメッセージを残していけたらよいなと思ってます。
ほぼ日の就職論 「はたらきたい」より
糸井重里さんの言葉で、300本目を締めくくりにします。
自分にとって、本当に大事なことって何だろう?
自分にとって、本当に大切な人って誰だろう?
このふたつを、本気で思っているだけで、
いい人生が送れるような気がする。
(糸井重里)
昨日、今日と新潟は最高気温が25℃を超えたみたいで、
夏日ですね。
半袖でも、いいくらいなんですが、
なんとなく、まだ5月ということもあって、
薄手の長袖で学校に行きました
昨日、今日と2日間連続で、
嫌な夢を見たので、朝からちょっとブルーです
夢だから、あいまいな記憶でしかないのですが、
誰かに追いかけられる夢と、約束を破られてしまうような夢で、
妙にリアリティがあって、嫌でした。
さてさて、夢の話は、ここらにしておいて、
最近、出会った言葉にこんなことがあります。
どんな道のりを歩んだって、
どこかにはたどりつく。
はじめに急ぐ者も、あとで走る者も、
ずっと歩いていく者も、
どこかにはたどりつくんだ。
(セフティ・マッチの金の言葉)
「どこか」というフレーズが、なんとなく気に入っています。
「ゴール」じゃない、
「自分だけの居場所」みたいな感じが含まれているのかなと。
積もりつもって、気がつけば、
じょいじょぶろぐんとして、これが300本目になりました。
100本書いたときには、100本目の「どこか」にたどり着き、
200本書いたときには、200本目の「どこか」にたどり着き、
300本目の今も、「どこか」にたどり着いたのかもしれません。
あらためて、ボランティアというのは、
人のためというより、自分のためなのだなと感じる瞬間がありました。
JOYJOBの活動とは、別に
個人的にボランティアに行く活動を3年間ほどやっています。
毎月というよりも、不定期で、年に3~5回ほどです。
決して数は多くはないのだけれど、
段々と数を重ねるうちに、顔くらいは覚えてもらいました。
先日、ボランティアとは別のイベントに顔を出した時に、
偶然、ボランティアの場にいる方がいて、びっくりでした。
「今日は、こっちがお世話をする番だね。」など
と言われ、
「今日は、お世話になりますね。」と
やりとりをしました。
たまたま、少しだけ発表する機会を与えてもらったところに、
ボランティアに行って会っている方が、急に手を挙げ、
「その学生さん、いつも、ボランティアに来てくださって
お世話になっているんです。」
と、感謝の言葉を述べてくださいました。
みんなの前で、照れくさい、恥ずかしいと思うと同時に、
とても、嬉しかったことを覚えています。
いつだって、良くも悪くも見られているということ、
だからこそ、誤魔化しが聞かないんだなと。
ちょこっと小学生と遊んでいる時が、
合ったのですが、
その時もそれを見ていた知り合いの人から、
「佐藤くん、自然だよね。」と
これも、言われて嬉しかった一言です。
多くの人から、メッセージをもらい、
今の自分は、「どこか」にいるんだなと思ってます。
少なくとも、大学4年間は、「どこか」=「新潟」だと。
大学を卒業し、「新潟」を出て行くころには、
「どこか」は新潟ではなくなります。
だからこそ、「新潟」にいるお世話になった人たちに、
何かメッセージを残していけたらよいなと思ってます。
ほぼ日の就職論 「はたらきたい」より
糸井重里さんの言葉で、300本目を締めくくりにします。
自分にとって、本当に大事なことって何だろう?
自分にとって、本当に大切な人って誰だろう?
このふたつを、本気で思っているだけで、
いい人生が送れるような気がする。
(糸井重里)
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