先週に引き続いて、ノリが習字教室で利き手の左手ではなく、右手で
書けるようになったお話
はじめ、その習字教室は、4人くらいでやっていましたが、その習字教室の
近所の子たちも通うようになり、8人くらいでやっていました。
その教室の入り方も変わっていて、玄関からではなく、
縁側とでもいったらいいでしょうか
部屋のドアからではなく、大きな窓から入るといった感じです。
特に習字教室という看板がある分けではないので、
よその人から見られると、その家の子供か
いたずらをしに入ったのかなぁとも思うかもしれませんね。
おじいちゃん先生は、基本的にあれこれと教えるのではなく、
オレンジ色の墨で書かれた手本を渡し、僕らがそれを見ながら
ひたすら書くといった感じです。
先生は、基本的にその間、本を眺めていたり、たまに書いた習字や
姿勢をきちっと教える感じです。
ノリの近所の公園で遊んでいると、よく先生は犬の散歩を
していたので、会うことも多いです。
フットベース・(よく言うのはキックベースかなぁ)をしていると、
立ち止まって見ていてくれたりしました。
小学校の高学年になってノリが水泳大会で入賞し、翌日新聞に
載ったりした時も、
先生は新聞を見てくれて、
「よく、がんばったなぁ」と
褒めてもらったりもしました。
中学になってからも、1年くらいでしょうか。
まだその習字教室に通っていました。
初段にまでいければ、良かったのですが、
ノリは1級でその習字教室を終えました。
習字教室をやめ、先生と会うことも減り、
もう近所で遊ぶことも少なくなり、先生の犬の散歩に
会うことも減りましたが、家の近くで、
テニスのラケットで素振りをしていると、
「レギュラー取れるように、コツコツがんばれ」
といわれたものです。
言葉を交わすことが恥ずかしく、頭を下げて一礼ということ
が多かったかもしれません。
高校にもなると、部活も忙しく、その習字の先生とは
会うことはめっきり減りました。
最後に会ったのも、いつだったか忘れてしまいました。
高校では、部活と引退してからは、友達と学校での
受験勉強に毎日を過ごしていました。
そんな何気ない毎日を過ごしていて、
まさかそのような話を聞くとは思ってもいませんでした。
雪がちらつく1月、センター試験を受けるために
ノリは2泊3日盛岡で過ごして帰ってきてのことでした。
センター試験を終え家に帰って、ゆっくりご飯を食べているときに
母さんから、
「突然なんだけど、習字の先生亡くなってしまったんだよ。」
え、いつと尋ねると、亡くなったのは
センター試験の1日目の日でした。
ノリが高校生のころには、先生は体調もあまり良くなく、
入退院しているということも母から聞いたりもしていました。
でも、まさかという感じでした。
それから、いつか、先生のもとに、線香をあげたいと思うも、
なかなか進みませんでした。まっすぐ1枚の紙に向かって
書いていた自分と、そのときの自分では、色々と迷いがあり、
また、実際に線香をあげに行くことで、先生の死と
向き合うことを恐れていたのかもしれません。
ノリが線香をあげに行ったのは、今年の夏のことでした。
何気ない日曜の1時間での習字。ノリにとっては普段は使わない
右手での習字。もし出会わなかったら、ノリはこんな風に
右手を使うことはなかったかもしれません。
今思うと、習字以外の面でも、色々と身につけられたような気がします。
中学校での授業をして以来、今では5年ぶりに
また授業の1コマで習字を書いています。
先生がどこか遠くの空で見ている、そんな風に思いながら、
右手に筆を持ちます。
書けるようになったお話
はじめ、その習字教室は、4人くらいでやっていましたが、その習字教室の
近所の子たちも通うようになり、8人くらいでやっていました。
その教室の入り方も変わっていて、玄関からではなく、
縁側とでもいったらいいでしょうか
部屋のドアからではなく、大きな窓から入るといった感じです。
特に習字教室という看板がある分けではないので、
よその人から見られると、その家の子供か
いたずらをしに入ったのかなぁとも思うかもしれませんね。
おじいちゃん先生は、基本的にあれこれと教えるのではなく、
オレンジ色の墨で書かれた手本を渡し、僕らがそれを見ながら
ひたすら書くといった感じです。
先生は、基本的にその間、本を眺めていたり、たまに書いた習字や
姿勢をきちっと教える感じです。
ノリの近所の公園で遊んでいると、よく先生は犬の散歩を
していたので、会うことも多いです。
フットベース・(よく言うのはキックベースかなぁ)をしていると、
立ち止まって見ていてくれたりしました。
小学校の高学年になってノリが水泳大会で入賞し、翌日新聞に
載ったりした時も、
先生は新聞を見てくれて、
「よく、がんばったなぁ」と
褒めてもらったりもしました。
中学になってからも、1年くらいでしょうか。
まだその習字教室に通っていました。
初段にまでいければ、良かったのですが、
ノリは1級でその習字教室を終えました。
習字教室をやめ、先生と会うことも減り、
もう近所で遊ぶことも少なくなり、先生の犬の散歩に
会うことも減りましたが、家の近くで、
テニスのラケットで素振りをしていると、
「レギュラー取れるように、コツコツがんばれ」
といわれたものです。
言葉を交わすことが恥ずかしく、頭を下げて一礼ということ
が多かったかもしれません。
高校にもなると、部活も忙しく、その習字の先生とは
会うことはめっきり減りました。
最後に会ったのも、いつだったか忘れてしまいました。
高校では、部活と引退してからは、友達と学校での
受験勉強に毎日を過ごしていました。
そんな何気ない毎日を過ごしていて、
まさかそのような話を聞くとは思ってもいませんでした。
雪がちらつく1月、センター試験を受けるために
ノリは2泊3日盛岡で過ごして帰ってきてのことでした。
センター試験を終え家に帰って、ゆっくりご飯を食べているときに
母さんから、
「突然なんだけど、習字の先生亡くなってしまったんだよ。」
え、いつと尋ねると、亡くなったのは
センター試験の1日目の日でした。
ノリが高校生のころには、先生は体調もあまり良くなく、
入退院しているということも母から聞いたりもしていました。
でも、まさかという感じでした。
それから、いつか、先生のもとに、線香をあげたいと思うも、
なかなか進みませんでした。まっすぐ1枚の紙に向かって
書いていた自分と、そのときの自分では、色々と迷いがあり、
また、実際に線香をあげに行くことで、先生の死と
向き合うことを恐れていたのかもしれません。
ノリが線香をあげに行ったのは、今年の夏のことでした。
何気ない日曜の1時間での習字。ノリにとっては普段は使わない
右手での習字。もし出会わなかったら、ノリはこんな風に
右手を使うことはなかったかもしれません。
今思うと、習字以外の面でも、色々と身につけられたような気がします。
中学校での授業をして以来、今では5年ぶりに
また授業の1コマで習字を書いています。
先生がどこか遠くの空で見ている、そんな風に思いながら、
右手に筆を持ちます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます