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食べるということ

2009-04-16 20:54:38 | 旧メンバーブログ
木曜日担当のノリです

先週は、各地で20℃を超えたり、夏日が出たものの
今週は、少し気温も例年並みに戻ったみたいで、
ちょっと寒いですね。

久しぶりに、DVDで映画を見ました

「ブタがいた教室」

内容は、それは学校で“ブタを飼って、飼育をした後、
自分たちで食べる”というものだった。「Pちゃん」と名付けられたブタは、
26人の子どもたちによって卒業まで育てることになる。
食べるか。食べないか。子どもたちの卒業を控えて、
Pちゃんの処遇を巡った大論争が展開されるもの

内容がシンプルゆえに、伝わってくるものがあります。

昔、野菜や果物を育てて、食べたことは誰もが1度は経験が
あるのではないでしょうか。

また、クラスで生き物を飼うということも、
(ザリガニやモンシロチョウなど)あったのではないでしょうか。

経験したことがあるのに、頭の中ではぼんやりとしか
残っていない。

どこか、それほど、野菜や果物、ザリガニやモンシロチョウだったり
自分にとって、大事に思っていなかったのだと。

もし、ノリが小学生の頃、
クラスでブタを飼ったなら、自分はどちらの決断を出すのか

映画を見ながら、想像して考えていました。

卒業した後も、学校に残る子供たちにブタを飼わせ続けるか
それとも、自分たちで食べてしまうか

私は、きっと食べるほうを選択すると思っています。
確かに、小学校に立ち寄った時、またPちゃんに会いにいけるのは
良いかもしれません。

しかし、後輩の子どもたちではブタを飼い続けられなかったり
自分の知らないところで、Pちゃんが食べられていたらと思うと、
やっぱり、それは嫌な気がします。

それならば、自分たちで食べて、Pちゃんを体、心に
しまっておきたい、そんな想いを抱くと思います。

映画のワンシーンで、議論の最中に、
ふと手を挙げて、少女が言います。

「命の長さは誰が決めるの。」

深く、心に残ったワンフレーズでした

私たちは、食べることなしに生きていけません。
そのために、多くの魚であったり、家畜であったり、

本来ならば、もっと生きれるであったかもしれない命を
私たちの、都合によって命をとめてしまっています。

しかし、また食べなければ生き続けられない。

今日本は、飽食の時代になり、食べることに困らない世の中です。

一方で、世界を見渡せば、食べられずに亡くなってしまっている人もいる
世の中です。

食べることで生きられること。
生きることで、何かを引き継ぐことのようにも感じます。
生きることで、何かを残せているのかも疑問に感じますが。


いのちや食べることについて考えさせられる映画だと感じています。

時間がある時に、自分が小学生になったつもりで、
見てみては、いかがでしょうか

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