木曜日担当のノリです。
もはや、もう木曜日ではないのですが・・・・
卒業式を終え、引越しを終え、地元の岩手に帰りまったり過ごしています。
このブログを書くのも、最後かと思うと、なんだか書きたいことが
あるはずなのに、なんだかパソコンに向かえず、更新が遅れてしまいました。
この2週間くらいで、思ったことをつらつらと書いていきたいと思います。
卒論の発表が終えてからの、時間というのは、
この4年間の中でも、本当にあっという間というほどに、
過ぎていった気がします。
卒論の発表の前に、多少 やっておきたいこと、会って挨拶したい人というのを
作っておいたので、なんとかやれたように思います。
引越しを終えて、荷物が無くなった部屋をみると、
4年前に、ここに来たことを少しだけ、思い出しました。
卒業するにあたって、何人かからは、
ノリと会えなくなる、なんて、まだ実感わかないかもと、
言ってくれる人もいました。
普段は、寂しいなんてこと、言わない奴が、
卒業式の次の日にくれたメール
卒業はうれしいけど、やっぱり寂しいわと。
ちょうど、そいつは、俺と飲むために、卒業式の日の終電で、
新潟駅から、新潟大学前駅にきたやつでした。
会った時には、すでにべろんべろんに酔っていましたが、
お前と会ってなかったら、たぶん4年で卒業できてなかったわ。
ほんまにありがとう。卒業式の日にどうしても、感謝の気持ちは伝えようと思ってたわ。
酔っ払っているとはいえ、とても嬉しかった言葉です。
別れは、寂しいものです。でも、そうやって別れという区切りがあるからこそ、
伝えられる言葉もあると思っています。
2月下旬から、色んな人に挨拶をしたり、後輩たちと一緒に食事をしたのですが、
会う前に、せっかくの記念だから、お別れには、写真を撮ろうと思っていたのです。
ところが、いざ、会ってお別れの挨拶をした時に、
なんとなく、一緒に写真を撮ったりはしないことのほうが多かったです。
うまく、言葉で説明できないのですが、なんとなく、形に残してしまうことで、
このタイミングで写真を撮ることって、違うのかなぁと、躊躇してしまいました。
いつもどおり、別れる感じで、それじゃあ、またねといった風に・・・
でも、写真の代わりに、握手をしたんです。
言葉以上に、写真を撮って形に残すことより、
握手をしたことで、その人と、つながっている、
また、どこかでつながれる感じになったのは、確かだと思っています。
握手・・・・・時間にしてみて、たった5秒あるか、ないかの行為です。
すごく、新鮮に感じたものです。
松浦弥太郎さんが書いた、「松浦弥太郎の仕事術」の本に、
こんなことが書いてありました。↓↓
1人の人の後ろには、50人いる。
1種のたとえ話だと、思いますが、こんな話をよく聞きます。
家族、友人、お世話になった人、学生時代の先生、仕事関係者、ちょっとした知り合い。
トータルすれば、どんな人の背後にも、
最低50人の人間関係があるという話です。
働く上で、常にこの認識をもつことは大切です。
この意識があれば、人を立て、相手の儲けを考える重要性が、
より深く理解できます。
誰かとの約束を破れば、その背後にいる50人にも、嘘をついたことになります。
誰かを裏切ったり、傷つけたりすれば、その背後にいる50人にも
恨みを抱かれることになります。
1人を敵に回せば、50人の敵ができる。1人に嫌われたなら、50人に嫌われてしまう。
こう考えれば、どんな人とのかかわりも、決しておろそかにしてはならないと
思えるのではないでしょうか。
翻って、考えれば、1人に好かれれば、50人の味方ができるかもしれません。
これは決して、損得勘定ではありません。
人間関係とは、それだけ大切であり、目の前の人と、
それだけ真摯に向き合うべきだという話です。
(松浦弥太郎 松浦弥太郎の仕事術 朝日新聞出版社より一部抜粋しました。)
もしかしたら、握手という行為によって、その人だけでなく、
その人が関わってきた50人もの人、その人の背景に関わった人の温もりや暖かさが
伝わっているのかもしれません。
1人で出来ることはあっても、1人で生きていくことは出来ない。
知らず、知らずのうちに人と人とが、関わって生きているのだ、そう感じます。
自分も、このブログを書きながら、コメントを返してもらうことで、
見ず知らずの人と、関わったり、
また、ブログを書くことによって、自分というフィルターを通じて、
自分が関わった人たちを出したかったのかもしれません。
いずれにせよ、私が、新潟に来て4年間過ごしたこと、
新潟で4年間、多くの人に関われたことに感謝しています。
JOYJOBに入り、こうしてじょいじょぶろぐんを書けば、
読んでくださる方がいてくれたことは、本当に嬉しかったです。
自分の書いた文を誰かに、読んでもらえるのは、
恥ずかしさも多少ありますが、何よりうれしいものです。
ずっと、このじょいじょぶろぐんが残っているかは、わかりませんが、
ブログには、自分が忘れたくないことを書いてきたつもりです。
もしかしたら、社会に出た、5年後の自分、10年後の自分への手紙に
なったかもしれません。
社会人になって、忘れたくないことが出来たら、また、こうしてどこかのブログとして
書ければいいなと思っています。
ノリのじょいじょぶろぐんを楽しみに読んでくださった方、ありがとうございます。
そして、これからも、じょいじょぶろぐんを宜しくお願いします。
最後に、読者のみなさん、と自分自身に、こんな言葉で締めくくりたいと思います。
I like you just the way you are
そのまんまのあなたが好きなんだ
もはや、もう木曜日ではないのですが・・・・
卒業式を終え、引越しを終え、地元の岩手に帰りまったり過ごしています。
このブログを書くのも、最後かと思うと、なんだか書きたいことが
あるはずなのに、なんだかパソコンに向かえず、更新が遅れてしまいました。
この2週間くらいで、思ったことをつらつらと書いていきたいと思います。
卒論の発表が終えてからの、時間というのは、
この4年間の中でも、本当にあっという間というほどに、
過ぎていった気がします。
卒論の発表の前に、多少 やっておきたいこと、会って挨拶したい人というのを
作っておいたので、なんとかやれたように思います。
引越しを終えて、荷物が無くなった部屋をみると、
4年前に、ここに来たことを少しだけ、思い出しました。
卒業するにあたって、何人かからは、
ノリと会えなくなる、なんて、まだ実感わかないかもと、
言ってくれる人もいました。
普段は、寂しいなんてこと、言わない奴が、
卒業式の次の日にくれたメール
卒業はうれしいけど、やっぱり寂しいわと。
ちょうど、そいつは、俺と飲むために、卒業式の日の終電で、
新潟駅から、新潟大学前駅にきたやつでした。
会った時には、すでにべろんべろんに酔っていましたが、
お前と会ってなかったら、たぶん4年で卒業できてなかったわ。
ほんまにありがとう。卒業式の日にどうしても、感謝の気持ちは伝えようと思ってたわ。
酔っ払っているとはいえ、とても嬉しかった言葉です。
別れは、寂しいものです。でも、そうやって別れという区切りがあるからこそ、
伝えられる言葉もあると思っています。
2月下旬から、色んな人に挨拶をしたり、後輩たちと一緒に食事をしたのですが、
会う前に、せっかくの記念だから、お別れには、写真を撮ろうと思っていたのです。
ところが、いざ、会ってお別れの挨拶をした時に、
なんとなく、一緒に写真を撮ったりはしないことのほうが多かったです。
うまく、言葉で説明できないのですが、なんとなく、形に残してしまうことで、
このタイミングで写真を撮ることって、違うのかなぁと、躊躇してしまいました。
いつもどおり、別れる感じで、それじゃあ、またねといった風に・・・
でも、写真の代わりに、握手をしたんです。
言葉以上に、写真を撮って形に残すことより、
握手をしたことで、その人と、つながっている、
また、どこかでつながれる感じになったのは、確かだと思っています。
握手・・・・・時間にしてみて、たった5秒あるか、ないかの行為です。
すごく、新鮮に感じたものです。
松浦弥太郎さんが書いた、「松浦弥太郎の仕事術」の本に、
こんなことが書いてありました。↓↓
1人の人の後ろには、50人いる。
1種のたとえ話だと、思いますが、こんな話をよく聞きます。
家族、友人、お世話になった人、学生時代の先生、仕事関係者、ちょっとした知り合い。
トータルすれば、どんな人の背後にも、
最低50人の人間関係があるという話です。
働く上で、常にこの認識をもつことは大切です。
この意識があれば、人を立て、相手の儲けを考える重要性が、
より深く理解できます。
誰かとの約束を破れば、その背後にいる50人にも、嘘をついたことになります。
誰かを裏切ったり、傷つけたりすれば、その背後にいる50人にも
恨みを抱かれることになります。
1人を敵に回せば、50人の敵ができる。1人に嫌われたなら、50人に嫌われてしまう。
こう考えれば、どんな人とのかかわりも、決しておろそかにしてはならないと
思えるのではないでしょうか。
翻って、考えれば、1人に好かれれば、50人の味方ができるかもしれません。
これは決して、損得勘定ではありません。
人間関係とは、それだけ大切であり、目の前の人と、
それだけ真摯に向き合うべきだという話です。
(松浦弥太郎 松浦弥太郎の仕事術 朝日新聞出版社より一部抜粋しました。)
もしかしたら、握手という行為によって、その人だけでなく、
その人が関わってきた50人もの人、その人の背景に関わった人の温もりや暖かさが
伝わっているのかもしれません。
1人で出来ることはあっても、1人で生きていくことは出来ない。
知らず、知らずのうちに人と人とが、関わって生きているのだ、そう感じます。
自分も、このブログを書きながら、コメントを返してもらうことで、
見ず知らずの人と、関わったり、
また、ブログを書くことによって、自分というフィルターを通じて、
自分が関わった人たちを出したかったのかもしれません。
いずれにせよ、私が、新潟に来て4年間過ごしたこと、
新潟で4年間、多くの人に関われたことに感謝しています。
JOYJOBに入り、こうしてじょいじょぶろぐんを書けば、
読んでくださる方がいてくれたことは、本当に嬉しかったです。
自分の書いた文を誰かに、読んでもらえるのは、
恥ずかしさも多少ありますが、何よりうれしいものです。
ずっと、このじょいじょぶろぐんが残っているかは、わかりませんが、
ブログには、自分が忘れたくないことを書いてきたつもりです。
もしかしたら、社会に出た、5年後の自分、10年後の自分への手紙に
なったかもしれません。
社会人になって、忘れたくないことが出来たら、また、こうしてどこかのブログとして
書ければいいなと思っています。
ノリのじょいじょぶろぐんを楽しみに読んでくださった方、ありがとうございます。
そして、これからも、じょいじょぶろぐんを宜しくお願いします。
最後に、読者のみなさん、と自分自身に、こんな言葉で締めくくりたいと思います。
I like you just the way you are
そのまんまのあなたが好きなんだ
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