木曜日担当のノリです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
新潟では、月曜、火曜日と大荒れだったのに、
昨日と今日は、とても快晴で気持ちがいいものでした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
昨日の夕日は、今まで見たことのないくらいきれいなものでした。
陽が隠れるとオレンジというより、薄いピンク色に見え、
まるで、屏風に描かれている日本画を見ているような気分でした。
昨日、社会人に連れられて、農場関連の施設などを見てきました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/car_pink.gif)
今では、農業をしている人の平均年齢が70歳近くということもあり、
昔はやっていた農地も、今では、耕作放棄地になっているとの
説明を受けました。
都市部、市街地では、マンションが立ち並ぶ一方で、
車で30分、40分と郊外に出ると、耕作放棄地は
意外と多くあります。
日本全国の耕作放棄地を集めた場合、埼玉県ほどの大きさになるそうです。
中には、耕作放棄地を不要な産業廃棄物の
たまり場になってしまっている場所もありました。
直売所では、地元の農家の人たち経営している場所があり、
平日の昼間にも関わらず、盛況でした。
東京では、生きくらげが360円するものも、
新潟では、150円で買えるとのことです。
農業の担い手が少なくなっている今、一職業として農業ということではなく、
地域ぐるみでの、「農業」への取り組みが求められているのかもしれません。
耕作放棄地に、もし牛を放牧することができたなら、
そこは芝生に変えられるとのことでした。
工業で発展する都市との見えない反対側に、こうやって荒廃していく場所も
あることを改めて実感しました。
今、すぐにできることはないのだけれど、
でも、何かアクションを起こさなければ、いずれ日本の多くの場所が
耕作放棄地になるのかもしれません。
新潟でも、「農業」に力を入れるとともに、
日本全体でも、「農業」に目を向けなければいけないのかもしれません。
話は、変わりますが、この前
朝、起きると「なんだか、外が明るいのに、」
掛け時計の時刻が、6時10分くらいになっている![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
うん、変だなと思って携帯で時刻を見ると
8時になっていました。
もう、電池が切れて止まったんだなと。
動いている時計いつも見慣れているのに、
止まった時計を見ているのはなんだか変な気分でした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en1.gif)
友だちに、この間このような質問をしたことがあります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
「もし、戻れるなら、いつに戻ってみたい。」
友だちは、こんな風に答えました。
「記憶が今のまま戻るなら、おもしろいだろうけど、
記憶が無くなって戻るなら、たぶん結局変わらないと思う。」
友人は、昔に戻ったとしても、今の自分と同じ選択をすると言いました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
そう言い切れる友だちがかっこよく
もありました。
重松 清の最新作 「希望が丘の人びと」
色々とやることはあるものの、結末が気になって500ページも
あるのですが、早速読みました。
その中に、こんなフレーズがあるので抜粋しておきます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fuki_osusume.gif)
「兄弟・・・おとなが考える「もしも」っていうのは、残酷なものだと
思わないか。」
「おとなと子どもで違うんですか。」
「子どもの『もしも』は未来に向いている。可能性だ。
もしも僕に翼があったなら、もしもタイムマシンがあれば、
もしもJリーガーになれたら・・・・ってな。
でも、おとなの『もしも』は過去にしか向かわない。後悔や愚痴だ。
もしも、あのとき、ああしていれば、
もしも、あのとき、ああしていなければ・・・ってことだろ?」
エーちゃんは、私が黙ってうなづくのを待ってから、
でもな、とつづけた。
「現実は、ここにあるんだ。」
頭突きをするように、フェンスに頭をぶつける。
「ここにどうしようもなく、あるんだ・・」
金網が揺れるほど、強く、深く、頭をぶつける。
「『もしも』を考えるってことは、いまの現実を否定するってことだ・・」
(重松 清 希望が丘の人びと より抜粋)
このフレーズを読んだ時、いまの自分も現実を否定しているんじゃないかと
はっとさせられました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hekomu.gif)
悩んで、考えことをして、それでも答えがでなくて、
過去や未来のことを考えたくなるけど、
どこかでいまの自分の現実を否定していたのかもしれません。
少なくとも、『もしも』で語るときには、
未来
を語らなければいけない気がします。
そうじゃないと、どんどん今の自分を否定してしまう気がします。
みなさんが、「もしも」と浮かべるとき、
それは過去ですか、それとも未来ですか
考えてみてもいいのかもしれません![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
新潟では、月曜、火曜日と大荒れだったのに、
昨日と今日は、とても快晴で気持ちがいいものでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
昨日の夕日は、今まで見たことのないくらいきれいなものでした。
陽が隠れるとオレンジというより、薄いピンク色に見え、
まるで、屏風に描かれている日本画を見ているような気分でした。
昨日、社会人に連れられて、農場関連の施設などを見てきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/car_pink.gif)
今では、農業をしている人の平均年齢が70歳近くということもあり、
昔はやっていた農地も、今では、耕作放棄地になっているとの
説明を受けました。
都市部、市街地では、マンションが立ち並ぶ一方で、
車で30分、40分と郊外に出ると、耕作放棄地は
意外と多くあります。
日本全国の耕作放棄地を集めた場合、埼玉県ほどの大きさになるそうです。
中には、耕作放棄地を不要な産業廃棄物の
たまり場になってしまっている場所もありました。
直売所では、地元の農家の人たち経営している場所があり、
平日の昼間にも関わらず、盛況でした。
東京では、生きくらげが360円するものも、
新潟では、150円で買えるとのことです。
農業の担い手が少なくなっている今、一職業として農業ということではなく、
地域ぐるみでの、「農業」への取り組みが求められているのかもしれません。
耕作放棄地に、もし牛を放牧することができたなら、
そこは芝生に変えられるとのことでした。
工業で発展する都市との見えない反対側に、こうやって荒廃していく場所も
あることを改めて実感しました。
今、すぐにできることはないのだけれど、
でも、何かアクションを起こさなければ、いずれ日本の多くの場所が
耕作放棄地になるのかもしれません。
新潟でも、「農業」に力を入れるとともに、
日本全体でも、「農業」に目を向けなければいけないのかもしれません。
話は、変わりますが、この前
朝、起きると「なんだか、外が明るいのに、」
掛け時計の時刻が、6時10分くらいになっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
うん、変だなと思って携帯で時刻を見ると
8時になっていました。
もう、電池が切れて止まったんだなと。
動いている時計いつも見慣れているのに、
止まった時計を見ているのはなんだか変な気分でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en1.gif)
友だちに、この間このような質問をしたことがあります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
「もし、戻れるなら、いつに戻ってみたい。」
友だちは、こんな風に答えました。
「記憶が今のまま戻るなら、おもしろいだろうけど、
記憶が無くなって戻るなら、たぶん結局変わらないと思う。」
友人は、昔に戻ったとしても、今の自分と同じ選択をすると言いました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
そう言い切れる友だちがかっこよく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
重松 清の最新作 「希望が丘の人びと」
色々とやることはあるものの、結末が気になって500ページも
あるのですが、早速読みました。
その中に、こんなフレーズがあるので抜粋しておきます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fuki_osusume.gif)
「兄弟・・・おとなが考える「もしも」っていうのは、残酷なものだと
思わないか。」
「おとなと子どもで違うんですか。」
「子どもの『もしも』は未来に向いている。可能性だ。
もしも僕に翼があったなら、もしもタイムマシンがあれば、
もしもJリーガーになれたら・・・・ってな。
でも、おとなの『もしも』は過去にしか向かわない。後悔や愚痴だ。
もしも、あのとき、ああしていれば、
もしも、あのとき、ああしていなければ・・・ってことだろ?」
エーちゃんは、私が黙ってうなづくのを待ってから、
でもな、とつづけた。
「現実は、ここにあるんだ。」
頭突きをするように、フェンスに頭をぶつける。
「ここにどうしようもなく、あるんだ・・」
金網が揺れるほど、強く、深く、頭をぶつける。
「『もしも』を考えるってことは、いまの現実を否定するってことだ・・」
(重松 清 希望が丘の人びと より抜粋)
このフレーズを読んだ時、いまの自分も現実を否定しているんじゃないかと
はっとさせられました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hekomu.gif)
悩んで、考えことをして、それでも答えがでなくて、
過去や未来のことを考えたくなるけど、
どこかでいまの自分の現実を否定していたのかもしれません。
少なくとも、『もしも』で語るときには、
未来
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_pink.gif)
そうじゃないと、どんどん今の自分を否定してしまう気がします。
みなさんが、「もしも」と浮かべるとき、
それは過去ですか、それとも未来ですか
考えてみてもいいのかもしれません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
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