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「もしも・・」で語るのは、どちらですか!?

2009-01-29 21:02:26 | 旧メンバーブログ
木曜日担当のノリです

新潟では、月曜、火曜日と大荒れだったのに、
昨日と今日は、とても快晴で気持ちがいいものでした
昨日の夕日は、今まで見たことのないくらいきれいなものでした。
陽が隠れるとオレンジというより、薄いピンク色に見え、
まるで、屏風に描かれている日本画を見ているような気分でした。

昨日、社会人に連れられて、農場関連の施設などを見てきました

今では、農業をしている人の平均年齢が70歳近くということもあり、
昔はやっていた農地も、今では、耕作放棄地になっているとの
説明を受けました。

都市部、市街地では、マンションが立ち並ぶ一方で、
車で30分、40分と郊外に出ると、耕作放棄地は
意外と多くあります。
日本全国の耕作放棄地を集めた場合、埼玉県ほどの大きさになるそうです。
中には、耕作放棄地を不要な産業廃棄物の
たまり場になってしまっている場所もありました。

直売所では、地元の農家の人たち経営している場所があり、
平日の昼間にも関わらず、盛況でした。
東京では、生きくらげが360円するものも、
新潟では、150円で買えるとのことです。

農業の担い手が少なくなっている今、一職業として農業ということではなく、
地域ぐるみでの、「農業」への取り組みが求められているのかもしれません。

耕作放棄地に、もし牛を放牧することができたなら、
そこは芝生に変えられるとのことでした。
工業で発展する都市との見えない反対側に、こうやって荒廃していく場所も
あることを改めて実感しました。

今、すぐにできることはないのだけれど、
でも、何かアクションを起こさなければ、いずれ日本の多くの場所が
耕作放棄地になるのかもしれません。

新潟でも、「農業」に力を入れるとともに、
日本全体でも、「農業」に目を向けなければいけないのかもしれません。


話は、変わりますが、この前
朝、起きると「なんだか、外が明るいのに、」

掛け時計の時刻が、6時10分くらいになっている

うん、変だなと思って携帯で時刻を見ると
8時になっていました。

もう、電池が切れて止まったんだなと。

動いている時計いつも見慣れているのに、
止まった時計を見ているのはなんだか変な気分でした

友だちに、この間このような質問をしたことがあります

「もし、戻れるなら、いつに戻ってみたい。」
友だちは、こんな風に答えました。

「記憶が今のまま戻るなら、おもしろいだろうけど、
 記憶が無くなって戻るなら、たぶん結局変わらないと思う。」

友人は、昔に戻ったとしても、今の自分と同じ選択をすると言いました

そう言い切れる友だちがかっこよくもありました。

重松 清の最新作 「希望が丘の人びと」
色々とやることはあるものの、結末が気になって500ページも
あるのですが、早速読みました。

その中に、こんなフレーズがあるので抜粋しておきます

「兄弟・・・おとなが考える「もしも」っていうのは、残酷なものだと
 思わないか。」

「おとなと子どもで違うんですか。」

「子どもの『もしも』は未来に向いている。可能性だ。
 もしも僕に翼があったなら、もしもタイムマシンがあれば、
 もしもJリーガーになれたら・・・・ってな。
 でも、おとなの『もしも』は過去にしか向かわない。後悔や愚痴だ。
 もしも、あのとき、ああしていれば、
 もしも、あのとき、ああしていなければ・・・ってことだろ?」

 エーちゃんは、私が黙ってうなづくのを待ってから、
 でもな、とつづけた。

「現実は、ここにあるんだ。」
頭突きをするように、フェンスに頭をぶつける。
「ここにどうしようもなく、あるんだ・・」
金網が揺れるほど、強く、深く、頭をぶつける。
「『もしも』を考えるってことは、いまの現実を否定するってことだ・・」

(重松 清 希望が丘の人びと より抜粋)

このフレーズを読んだ時、いまの自分も現実を否定しているんじゃないかと
はっとさせられました

悩んで、考えことをして、それでも答えがでなくて、
過去や未来のことを考えたくなるけど、
どこかでいまの自分の現実を否定していたのかもしれません。

少なくとも、『もしも』で語るときには、
未来を語らなければいけない気がします。
そうじゃないと、どんどん今の自分を否定してしまう気がします。

みなさんが、「もしも」と浮かべるとき、
それは過去ですか、それとも未来ですか
考えてみてもいいのかもしれません




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