まずい。
まずいわ。
中毒かもしれない。
星組「エル・アルコン」。
その翌日に「キャバレー」を見て、あれだけ感動&満足して
「本年ナンバーワン!」とまで思ったのに。
もう一度見たいのは「エル・アルコン」である。
あの後、色々なところで感想を見た。
どうも私には、舞台上で展開されていたものとは微妙に違うものが見え、
舞台上で発されていた言葉以外のものも聞こえていたらしい。
ザ・脳内補完。
そういえば去年見たベルばら(あれも星組だ…)も、
説明不足を脳内補完してボロボロ泣いていたっけ。
春に見た「A/L」(あれもサイトー君だ…)も、脳内補完しちゃって萌えまくってたっけ。
自分が見たかったものが見られた。
それだけで、もう全てを許してしまう。
どっかで「脚本を練り直しての再演を期待」というのを見たが、
それはあんまり望んでいない。
現キャスト以外での上演は想像ができないし(何よりも遠野さんのギルダ!)
大劇場以外での上演はしてほしくない(セリとか盆とか)
だから、もう一度見たかったら大劇場まで行くしかない。
もしくは年明けの東京? 色々厳しいなー…
色々見た感想の中に、「ティリアンがただの悪人にしか見えない」というのが多くあった。
正直な私の印象は、
…え? 駄目なんですか?
私はティリアンは「悪の権化」だと思っている。
冷酷で、血も涙もなくて、理不尽な悪。
ペネロープやベネディクトといった被害者にとっては、「災厄」としか呼べない存在。
ほら、原作でギルダに対して本人が言ってるじゃないですか。
「私のような男に出会ったあなたの運が悪かった。諦めてください」って。
「ティリアンが悪人になった理由」なんて、私にはいらない。
「義父による虐待」だなんて、安っぽい(この場合はそう思う)動機は不要。
ティリアンが行った悪事に比べれば、エドリントンの行動はまだ理にかなってる。
(は、言い過ぎか…)
本人も気が付いていないレベルでの「マザコン」は、
背景に大きくあると思うけどね。
ティリアンは、母の脳内にあった、理想化された「スペイン」になりたかった。
それは時によってジェラードだったりオレンジ畑だったりという
具象になっていたけれども、現実の「ジェラード」や「オレンジ」は、
ティリアンにとってはどうでもいい。
「お母さんの脳内にいるジェラードやオレンジ畑」が重要なのだ。
だから、ラストをイサベラ&ジェラード&オレンジの木で締めくくった
サイトー君の演出には大いに共感しているのだ。
…原作未読者には不親切きわまりないと思うが。
あと、「私は自分のルーツに従う道を選んだ」という台詞を、
ティリアンではなくジェラードに言わせたのもGOODだと思うのだが、
やっぱり不親切だよな。
(ジェラードは部分的にティリアンの人格形成に関わってるし、
「もう一人のティリアン」でもあると思うので)
私の中ではティリアンは「生まれついての純粋な悪」で、
誰一人信じていない男。
対ニコラスですら、
「私を裏切るな。裏切りは死を意味する。私はお前を殺したくない」だし。
人を見る目があるから、ニコラスが裏切らないことはわかってて、
「裏切らないから」ニコラスが好きなんだよね。
舞台のティリアンの悪人度は、原作よりも甘いと思う。
それでいい。タカラヅカなんだし。
あと、原作通りのことをティリアンがギルダにやって、
それでもなおギルダがティリアンを愛してるなんてのは、
むしろ見せられたら不快な気がするので、
あれぐらいでいい。
(本当は、やることやったらあっさりとギルダをスペインに売ってしまう
ティリアンが好きなのだが、宝塚でそこまでやらなくていい)
幼馴染設定もいらなかったと思うが、
限られた尺の中でギルダがティリアンに惹かれる理由を
何とかつけようとしたんだろう。
(あと、ティリアンがギルダを特別扱いする理由も。)
あと難しいのは、ティリアン&ギルダ&レッドに共通する
「海にとり憑かれた」という描写だな。
台詞ではさらっと入れてあるのだが、ギルダはともかく
ティリアンとレッドがわかりにくい。
どういう描写を入れたらそれが伝わるのかが思いつかない。
ギルダの海への執着を全面に出して、
ティリアンがギルダのそういう面に惹かれることで、
ティリアンも同じように海にとり憑かれていることを示唆するしかないような。
ニコラスとティリアンの信頼関係が生まれる描写がないのも
不親切だとは思うんだけど、
考えたら「七つの海七つの空」ではそういう描写ないよね?
物語が始まった時点で二人の間には信頼関係ができてて、
当然のようにニコラスはティリアンに殉じるよね?
だから、それがないことに私は不満が無いのだ。
ニコラスはティリアンの忠実な部下で、最後は一緒に死ぬ。
それだけわかれば十分だと思う。
あと、ジュリエットがただのバカに見えるという指摘も尤もだと思うのですが、
私、彼女に全然愛着がないので、ただのバカでOKです(ヲイ)
「A/L」のアニエスの劣化コピーな設定だと思ったけどね。
だいたい、ただのバカかどうかはともかく、元々バカであることは確かだと思う。
実は私は原作を、「エル・アルコン」→「七つの海~」の順に読んだので、
「七つの海~」のティリアン像にはやや不満があったのです。
「エル・アルコン」に比べてスケール・ダウン。
最後は負けて死ぬから仕方がないんだが、「ティリアンはそんなとこ失敗しない!」と
言いたくなるような失策を犯す。
「エル・アルコン」の完璧悪人のティリアンが好きなので、
「七つの海~」のティリアンはやや消化不良。
だから、この舞台の、「ただの悪人」のティリアンが大好きなのです。
燃える。
萌えるよりも強く、燃える。
「萌え」は、対ペネロープだな。
「笑ってください…私はあなたの笑顔が好きですよ」という
超・鬼畜台詞はやっぱり外せなかったのね(笑)
まあ自分の好みと、作品の出来不出来は別問題で、
「これは失敗作」と言われれば何も反論できないのですが。
追記
作者の青池先生が公式HPで絶賛しておられて、
「原作ファンにとっては、見たいシーンが全部見られる」と語っておられたけど、
その通りだと思う。
…その結果の超・駆け足&超・説明不足なんだろうけどさ。
物語としての成立よりもファンとしての「燃え」を優先させて
ただ原作への愛がダダ漏れになっているこんな作品を板に乗せてくれた
サイトー先生が、私は好きで仕方ないのです。
…本当は一番、あなたと熱く語りたい。
まずいわ。
中毒かもしれない。
星組「エル・アルコン」。
その翌日に「キャバレー」を見て、あれだけ感動&満足して
「本年ナンバーワン!」とまで思ったのに。
もう一度見たいのは「エル・アルコン」である。
あの後、色々なところで感想を見た。
どうも私には、舞台上で展開されていたものとは微妙に違うものが見え、
舞台上で発されていた言葉以外のものも聞こえていたらしい。
ザ・脳内補完。
そういえば去年見たベルばら(あれも星組だ…)も、
説明不足を脳内補完してボロボロ泣いていたっけ。
春に見た「A/L」(あれもサイトー君だ…)も、脳内補完しちゃって萌えまくってたっけ。
自分が見たかったものが見られた。
それだけで、もう全てを許してしまう。
どっかで「脚本を練り直しての再演を期待」というのを見たが、
それはあんまり望んでいない。
現キャスト以外での上演は想像ができないし(何よりも遠野さんのギルダ!)
大劇場以外での上演はしてほしくない(セリとか盆とか)
だから、もう一度見たかったら大劇場まで行くしかない。
もしくは年明けの東京? 色々厳しいなー…
色々見た感想の中に、「ティリアンがただの悪人にしか見えない」というのが多くあった。
正直な私の印象は、
…え? 駄目なんですか?
私はティリアンは「悪の権化」だと思っている。
冷酷で、血も涙もなくて、理不尽な悪。
ペネロープやベネディクトといった被害者にとっては、「災厄」としか呼べない存在。
ほら、原作でギルダに対して本人が言ってるじゃないですか。
「私のような男に出会ったあなたの運が悪かった。諦めてください」って。
「ティリアンが悪人になった理由」なんて、私にはいらない。
「義父による虐待」だなんて、安っぽい(この場合はそう思う)動機は不要。
ティリアンが行った悪事に比べれば、エドリントンの行動はまだ理にかなってる。
(は、言い過ぎか…)
本人も気が付いていないレベルでの「マザコン」は、
背景に大きくあると思うけどね。
ティリアンは、母の脳内にあった、理想化された「スペイン」になりたかった。
それは時によってジェラードだったりオレンジ畑だったりという
具象になっていたけれども、現実の「ジェラード」や「オレンジ」は、
ティリアンにとってはどうでもいい。
「お母さんの脳内にいるジェラードやオレンジ畑」が重要なのだ。
だから、ラストをイサベラ&ジェラード&オレンジの木で締めくくった
サイトー君の演出には大いに共感しているのだ。
…原作未読者には不親切きわまりないと思うが。
あと、「私は自分のルーツに従う道を選んだ」という台詞を、
ティリアンではなくジェラードに言わせたのもGOODだと思うのだが、
やっぱり不親切だよな。
(ジェラードは部分的にティリアンの人格形成に関わってるし、
「もう一人のティリアン」でもあると思うので)
私の中ではティリアンは「生まれついての純粋な悪」で、
誰一人信じていない男。
対ニコラスですら、
「私を裏切るな。裏切りは死を意味する。私はお前を殺したくない」だし。
人を見る目があるから、ニコラスが裏切らないことはわかってて、
「裏切らないから」ニコラスが好きなんだよね。
舞台のティリアンの悪人度は、原作よりも甘いと思う。
それでいい。タカラヅカなんだし。
あと、原作通りのことをティリアンがギルダにやって、
それでもなおギルダがティリアンを愛してるなんてのは、
むしろ見せられたら不快な気がするので、
あれぐらいでいい。
(本当は、やることやったらあっさりとギルダをスペインに売ってしまう
ティリアンが好きなのだが、宝塚でそこまでやらなくていい)
幼馴染設定もいらなかったと思うが、
限られた尺の中でギルダがティリアンに惹かれる理由を
何とかつけようとしたんだろう。
(あと、ティリアンがギルダを特別扱いする理由も。)
あと難しいのは、ティリアン&ギルダ&レッドに共通する
「海にとり憑かれた」という描写だな。
台詞ではさらっと入れてあるのだが、ギルダはともかく
ティリアンとレッドがわかりにくい。
どういう描写を入れたらそれが伝わるのかが思いつかない。
ギルダの海への執着を全面に出して、
ティリアンがギルダのそういう面に惹かれることで、
ティリアンも同じように海にとり憑かれていることを示唆するしかないような。
ニコラスとティリアンの信頼関係が生まれる描写がないのも
不親切だとは思うんだけど、
考えたら「七つの海七つの空」ではそういう描写ないよね?
物語が始まった時点で二人の間には信頼関係ができてて、
当然のようにニコラスはティリアンに殉じるよね?
だから、それがないことに私は不満が無いのだ。
ニコラスはティリアンの忠実な部下で、最後は一緒に死ぬ。
それだけわかれば十分だと思う。
あと、ジュリエットがただのバカに見えるという指摘も尤もだと思うのですが、
私、彼女に全然愛着がないので、ただのバカでOKです(ヲイ)
「A/L」のアニエスの劣化コピーな設定だと思ったけどね。
だいたい、ただのバカかどうかはともかく、元々バカであることは確かだと思う。
実は私は原作を、「エル・アルコン」→「七つの海~」の順に読んだので、
「七つの海~」のティリアン像にはやや不満があったのです。
「エル・アルコン」に比べてスケール・ダウン。
最後は負けて死ぬから仕方がないんだが、「ティリアンはそんなとこ失敗しない!」と
言いたくなるような失策を犯す。
「エル・アルコン」の完璧悪人のティリアンが好きなので、
「七つの海~」のティリアンはやや消化不良。
だから、この舞台の、「ただの悪人」のティリアンが大好きなのです。
燃える。
萌えるよりも強く、燃える。
「萌え」は、対ペネロープだな。
「笑ってください…私はあなたの笑顔が好きですよ」という
超・鬼畜台詞はやっぱり外せなかったのね(笑)
まあ自分の好みと、作品の出来不出来は別問題で、
「これは失敗作」と言われれば何も反論できないのですが。
追記
作者の青池先生が公式HPで絶賛しておられて、
「原作ファンにとっては、見たいシーンが全部見られる」と語っておられたけど、
その通りだと思う。
…その結果の超・駆け足&超・説明不足なんだろうけどさ。
物語としての成立よりもファンとしての「燃え」を優先させて
ただ原作への愛がダダ漏れになっているこんな作品を板に乗せてくれた
サイトー先生が、私は好きで仕方ないのです。
…本当は一番、あなたと熱く語りたい。
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