いいものを見た。と思えた。
ブロードウェイで「キャバレー」を見たのは、2000年だから、もう7年前になる。
あの時は英語がよくわからなかった上に、
一日観光した疲れで居眠りまでしてしまい(勿体ない…)
印象的なシーンをいくつか覚えているぐらいで、話はよくわからなかった。
ヒロインのサリー役が、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で
主人公のお母さん(若い頃+特殊メイクで現代も)役だったリー・トンプソンで、
一緒に行った父が感激していたのを覚えている。
旅行から帰ってからビデオで映画版を見た。
ボブ・フォッシー監督で、主演がライザ・ミネリ。
この映画、ショーのシーン以外のミュージカルナンバーが削られて、
実質的にストレート・プレイになってるんですね。
舞台で見たバージョンと色々違っていて驚いた。
一応、こっちは話が理解できたはずなのだが、
いかんせんやっぱり7年前なのでうろ覚えだった。
そして今日。
連日で観劇、というのも、考えてみたら7年前の「キャバレー」以来だ。
そういう宿命なんだろうか(どんなだ)
【キャバレー】
演出:松尾スズキ
サリー:松雪泰子 MC:阿部サダヲ クリフ:森山未來
シュルツ氏:小松和重 エルンスト:村杉蝉之介
コスト:平岩紙 ミス・シュナイダー:秋山菜津子
一幕が終わった時点で、実はかなり満足しておりました。
何も不満が無い。
私が「キャバレー」で見たかったものが、全てあった気がする。
MC…完璧だわ!阿部サダヲ最高!
ブロードウェイのMCはわりと体躯のいい、かっこいい兄ちゃんだったのですが、
むしろ映画のジョエル・グレイの文字通りの「怪演」を彷彿としました。
ものすごい存在感。舞台の空間を、完全に支配する。
小ネタや客いじりも楽しませてもらいました。
クリフ…森山君って、テレビでしか知らなかったのですが(それでも好きでしたが)
テレビでは勿体ない人だったのだと実感しました。
上手い。カッコイイ。華がある。この人をもっともっと見たい。
ダンスシーンはほとんど無かったのですが、ちょっとした身のこなしが軽い!
クリフは、サリーと恋に落ちる役ですから
これぐらいかっこ良くなきゃいけないわけなんだなとか思いつつ。
ファンになってしまいそう。
サリー:美しい。
やばい、それしか言えないわ。しかも可愛い。守ってあげたくなる。
圧倒的な美しさと繊細な可愛らしさが同居してる。
すみません絶賛します。現実では生きられない「夢の女」でありながら
自分の生き方に悩み見つめなおす姿にものすごく共感してしまいました。
シュルツ氏&ミス・シュナイダー:BW版で強烈に覚えているのが、
シュルツ氏がミス・シュナイダーに求愛する「パイナップル・ソング」。
その場面は期待通り素敵だったし、前半はとにかく楽しく、後半は切なく、
…特に秋山さんは本当に凄いと思った。
エルンスト:この役好きだ。この役者さん好きだ。
この人一人で「ベルリン」を体現しなきゃならないんだもんなあ。
コスト:可愛かった。可愛いから、エロシーンが生々しくないのかな。
大好きなミュージカル・ナンバー。
「マネー・ソング」(世界はお金が回してる!)の前説が始まったときは
「来た来た!」と呟いていた。
映画だってBW版だって笑いはちりばめられていたはずなのだが、
いかんせん日本人である自分にはわからなかったものが多かったと思う。
(きっとアメリカ人が見たらBW版ってすごく楽しかったと思うんだ…私も楽しんだけど)
今回、やっと大いに笑えた気がした。
小ネタに笑い、芸達者な登場人物たちに魅せられ、すごく楽しい気分で
…一幕のラスト。
「シュルツさん、ユダヤ人の商人だから」と聞いたエルンストに落ちた雷は、
世界が砕ける音だった。
表面的な平和と繁栄を謳歌していた世界が、あの雷鳴と共に砕けた。
皆がナチのハーゲンクロイツ旗を振りながら歌う「明日は目の前」。
そう言えば映画版でもこの歌はナチに傾倒する青年達が整列して歌っている
寒々としたシーンだった、と思い出す。
壊れた世界。狂った世界。そこに流れる旋律は荘厳で美しく、破滅へと人を誘っていく。
そういえばキャバレーって、とにかく重くて痛い話だったな、と思い出す。
忘れていたつもりはなかったのだが、前半の明るさがあまりにも楽しくて
…忘れていた。
2幕は重い。切ない。何より痛い。キリキリと。
世界恐慌に伴う大不況。ファシズムの隆盛。
逃げ出せるクリフ、
逃げ出せないシュルツさんやシュナイダーさん。
ミス・シュナイダーの「戦争があっても革命があっても生き延びてきたんだもの」と
シュルツ氏の「私は今日もドイツ人に果物を売った!」に泣けた。
シュルツさんのこの後の運命を思ってしまうと苦しくて仕方ない。
クリフの「明確に反対の意志を示さないことは賛成の意志を示したことになってしまう…
いや、もう遅いのか」もキリキリ痛かった。
思えばBW版を見た2000年はまだ平和だった…テロがまだ起こってないNYだったし。
どうしてもクリフの視点になって「早くベルリンから逃げなきゃ!」と思ってしまうのだけど、
そういう生き方のできないサリーの痛みも伝わってきて、
クライマックス、彼女が圧倒的な美しさで「キャバレー」を歌い始めたとき、
もうウルウルとしてしまった。
この物語には様々な人生の真実が詰まっている。
「リアル」な異国の歴史の物語でありながら、おそろしいほどの普遍性を持っている。
ラストは、あっさりしていた。
BWのが衝撃的すぎたからね。映画も暗示的ではあったし。
でも、ここであのBWの結末
(MCが上着をはだけて、縞の囚人服と胸元のダビデの星を客席に示す)
を採用してしまうと、ここまで感じてきた普遍性が消滅してしまう。
舞台の上で起こったことは、私たちに関係の無い、海の向こうの遠い過去のものになってしまう。
BWやハリウッドにおける「ナチス」や「ユダヤ人迫害」の痛みと、
日本人がそれに対して感じるものには温度差があるのだ。
(これは例えば欧米SFで描かれる「核戦争の恐怖」に対して
日本人が違和感を感じるのと裏表だと思う)
だから「人生はキャバレー!」を最後に全面的に打ち出して、
この物語を普遍的なお伽話として終わらせる方法を演出家は選んだのかなと
勝手に思った。
…しかし松尾さん…どうして最後の最後に「妖怪人間ベム」なんだ…?
カーテンコールでスタンディングオベーションしてきました。
一幕が終わった時点でやろうと決めていた。
満足。堪能致しました。
本年ナンバーワン、暫定的に確定。
劇場の観客を見れば、「森山君の個人ファン」っぽい、小奇麗なお嬢さんがたくさんいました。
(普段の見る舞台の客席はどうかとか聞かないでね…)
ブロードウェイで「キャバレー」を見たのは、2000年だから、もう7年前になる。
あの時は英語がよくわからなかった上に、
一日観光した疲れで居眠りまでしてしまい(勿体ない…)
印象的なシーンをいくつか覚えているぐらいで、話はよくわからなかった。
ヒロインのサリー役が、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で
主人公のお母さん(若い頃+特殊メイクで現代も)役だったリー・トンプソンで、
一緒に行った父が感激していたのを覚えている。
旅行から帰ってからビデオで映画版を見た。
ボブ・フォッシー監督で、主演がライザ・ミネリ。
この映画、ショーのシーン以外のミュージカルナンバーが削られて、
実質的にストレート・プレイになってるんですね。
舞台で見たバージョンと色々違っていて驚いた。
一応、こっちは話が理解できたはずなのだが、
いかんせんやっぱり7年前なのでうろ覚えだった。
そして今日。
連日で観劇、というのも、考えてみたら7年前の「キャバレー」以来だ。
そういう宿命なんだろうか(どんなだ)
【キャバレー】
演出:松尾スズキ
サリー:松雪泰子 MC:阿部サダヲ クリフ:森山未來
シュルツ氏:小松和重 エルンスト:村杉蝉之介
コスト:平岩紙 ミス・シュナイダー:秋山菜津子
一幕が終わった時点で、実はかなり満足しておりました。
何も不満が無い。
私が「キャバレー」で見たかったものが、全てあった気がする。
MC…完璧だわ!阿部サダヲ最高!
ブロードウェイのMCはわりと体躯のいい、かっこいい兄ちゃんだったのですが、
むしろ映画のジョエル・グレイの文字通りの「怪演」を彷彿としました。
ものすごい存在感。舞台の空間を、完全に支配する。
小ネタや客いじりも楽しませてもらいました。
クリフ…森山君って、テレビでしか知らなかったのですが(それでも好きでしたが)
テレビでは勿体ない人だったのだと実感しました。
上手い。カッコイイ。華がある。この人をもっともっと見たい。
ダンスシーンはほとんど無かったのですが、ちょっとした身のこなしが軽い!
クリフは、サリーと恋に落ちる役ですから
これぐらいかっこ良くなきゃいけないわけなんだなとか思いつつ。
ファンになってしまいそう。
サリー:美しい。
やばい、それしか言えないわ。しかも可愛い。守ってあげたくなる。
圧倒的な美しさと繊細な可愛らしさが同居してる。
すみません絶賛します。現実では生きられない「夢の女」でありながら
自分の生き方に悩み見つめなおす姿にものすごく共感してしまいました。
シュルツ氏&ミス・シュナイダー:BW版で強烈に覚えているのが、
シュルツ氏がミス・シュナイダーに求愛する「パイナップル・ソング」。
その場面は期待通り素敵だったし、前半はとにかく楽しく、後半は切なく、
…特に秋山さんは本当に凄いと思った。
エルンスト:この役好きだ。この役者さん好きだ。
この人一人で「ベルリン」を体現しなきゃならないんだもんなあ。
コスト:可愛かった。可愛いから、エロシーンが生々しくないのかな。
大好きなミュージカル・ナンバー。
「マネー・ソング」(世界はお金が回してる!)の前説が始まったときは
「来た来た!」と呟いていた。
映画だってBW版だって笑いはちりばめられていたはずなのだが、
いかんせん日本人である自分にはわからなかったものが多かったと思う。
(きっとアメリカ人が見たらBW版ってすごく楽しかったと思うんだ…私も楽しんだけど)
今回、やっと大いに笑えた気がした。
小ネタに笑い、芸達者な登場人物たちに魅せられ、すごく楽しい気分で
…一幕のラスト。
「シュルツさん、ユダヤ人の商人だから」と聞いたエルンストに落ちた雷は、
世界が砕ける音だった。
表面的な平和と繁栄を謳歌していた世界が、あの雷鳴と共に砕けた。
皆がナチのハーゲンクロイツ旗を振りながら歌う「明日は目の前」。
そう言えば映画版でもこの歌はナチに傾倒する青年達が整列して歌っている
寒々としたシーンだった、と思い出す。
壊れた世界。狂った世界。そこに流れる旋律は荘厳で美しく、破滅へと人を誘っていく。
そういえばキャバレーって、とにかく重くて痛い話だったな、と思い出す。
忘れていたつもりはなかったのだが、前半の明るさがあまりにも楽しくて
…忘れていた。
2幕は重い。切ない。何より痛い。キリキリと。
世界恐慌に伴う大不況。ファシズムの隆盛。
逃げ出せるクリフ、
逃げ出せないシュルツさんやシュナイダーさん。
ミス・シュナイダーの「戦争があっても革命があっても生き延びてきたんだもの」と
シュルツ氏の「私は今日もドイツ人に果物を売った!」に泣けた。
シュルツさんのこの後の運命を思ってしまうと苦しくて仕方ない。
クリフの「明確に反対の意志を示さないことは賛成の意志を示したことになってしまう…
いや、もう遅いのか」もキリキリ痛かった。
思えばBW版を見た2000年はまだ平和だった…テロがまだ起こってないNYだったし。
どうしてもクリフの視点になって「早くベルリンから逃げなきゃ!」と思ってしまうのだけど、
そういう生き方のできないサリーの痛みも伝わってきて、
クライマックス、彼女が圧倒的な美しさで「キャバレー」を歌い始めたとき、
もうウルウルとしてしまった。
この物語には様々な人生の真実が詰まっている。
「リアル」な異国の歴史の物語でありながら、おそろしいほどの普遍性を持っている。
ラストは、あっさりしていた。
BWのが衝撃的すぎたからね。映画も暗示的ではあったし。
でも、ここであのBWの結末
(MCが上着をはだけて、縞の囚人服と胸元のダビデの星を客席に示す)
を採用してしまうと、ここまで感じてきた普遍性が消滅してしまう。
舞台の上で起こったことは、私たちに関係の無い、海の向こうの遠い過去のものになってしまう。
BWやハリウッドにおける「ナチス」や「ユダヤ人迫害」の痛みと、
日本人がそれに対して感じるものには温度差があるのだ。
(これは例えば欧米SFで描かれる「核戦争の恐怖」に対して
日本人が違和感を感じるのと裏表だと思う)
だから「人生はキャバレー!」を最後に全面的に打ち出して、
この物語を普遍的なお伽話として終わらせる方法を演出家は選んだのかなと
勝手に思った。
…しかし松尾さん…どうして最後の最後に「妖怪人間ベム」なんだ…?
カーテンコールでスタンディングオベーションしてきました。
一幕が終わった時点でやろうと決めていた。
満足。堪能致しました。
本年ナンバーワン、暫定的に確定。
劇場の観客を見れば、「森山君の個人ファン」っぽい、小奇麗なお嬢さんがたくさんいました。
(普段の見る舞台の客席はどうかとか聞かないでね…)
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