空中楼閣―Talking Dream―

好きなものを徒然なるままに。

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」2017(古川×生田)

2017-03-05 19:00:10 | 観劇(タカラヅカ以外)
大千秋楽(だけ)行ってきました!(罰当たり)

評判は耳に入っていたので他のキャストの日も行きたい気持ちはやまやまなれど、
チケットが無い、以前に休みが無い!!
(2月は2日間しか休みが無かった…その2日で宝塚行って映画行って。)
最初で最後の、2017ロミジュリです。

というか、初演も再演も見に行けていないので、
男女版自体が初めてなんですよね。ヅカ版は見てますが、
これも初演(梅田芸術劇場の星組さんVer.)は見られていないので、
つくづく、乗り遅れまくりの作品です。

まあ、曲は全部わかる、というか歌えるレベルで大好きだし。
念願の古川ロミオだし。

大千秋楽なので、カーテンコールもたっぷり。
一人一人の御挨拶も聞けて、
見られなかったキャストの皆さんも最後は舞台で挨拶してくれて、
1回しか見られてないのにこんなに贅沢しちゃっていいのかしら、って感じです。
良席だったし(爆)

まあそんな罰当たりすぎるたった1回の感想を、思いつくまま書き残しておきます。
たぶん日によって、キャストによっていっぱい変化があったと思うのだけれど、
私に見える範囲だけ。


ヅカ版との最大の違いは、キャピュレット夫妻の闇の深さで、
この家庭環境で育ったジュリエットがよくあんなにまともな女の子になったと思う。
乳母@シルビア・グラブ、偉大すぎ。
結婚式直前のジュリエットの乳母に対する「ありがとう。今日まで育ててくれた」も、
終盤の(というかジュリエットが両親に言った最後のセリフだよね…)
「あなたもあなたも私の親じゃないわ」も突き刺さる。
だから、実は霊廟でのキャピュレット夫人の歌う「罪びと」が、あんまりグッと来なかった…
いや、悔いているのはわかるし「私たちは罪びと」と言うのが正しいんだけど。

また、タータンさんのキャピュレット夫人が怖くて怖くて。
ティボルトとの関係って、虐待だよねえ…?と思えてしまう。
(ティボルトの15歳での初体験ってやっぱり夫人となんだろうか…ガクブル)
その乳母がいなかった、ゆえに「復讐の手先」にならざるを得なかったティボルト@渡辺大輔が
あまりにも哀れで、「本当の俺じゃない」も「今日こそその日」も切なかった。

一方、この設定ゆえに、キャピュレット卿@岡幸二郎の「娘よ」は響いたな~。
娘ときちんと向き合えなかった理由も明確になったし。

…と、キャピュレット家の話から始める(笑)

カーテンコールの御挨拶聞きながら愕然としたのは、私はいつの間にか
「若者たちの頑張りを温かく見守る」側の人々に共感してしまっている、という事実で、
たとえば『モーツァルト!』でヴォルフに共感して泣いてしまった12年前とかには
もう永遠に戻れないんだなあ…という感慨にひとしきり。
ゆえに若者たちのキラキラに感動しつつ、「大人チーム」が印象深いのです。

怖い怖いキャピュレット夫人@タータンさんに対し、母性溢れるモンタギュー夫人@そんちゃんさん。
元男役と元娘役の配置とかも、小池先生のこだわりなんだろうな。

そして私的に最高だったのが、ロレンス神父@サカケンさん。
硬軟自在に笑いを取りつつ、締めるべき所は締める。大人の魅力。
乳母のシルビア様の素晴らしさは言うに及ばず。
一番泣けたのが神父&乳母の「神はまだお見捨てにならない」だし。


この1年間に梅田で見た外部ミュージカル3本は全部小池修一郎演出で、
全部ヅカが初演で、そして全部古川雄大が出ている(笑)
でも一番途方に暮れた(外部でやるほうがいい、と思ってしまった)のが「1789」で、
エリザとか今回のロミジュリとかは、「それはそれ、これはこれ」と思うことができた。

初演から賛否の声ってか否定的感想しか聞かなかったスマホ演出も、
実際観てみると意外なほどに「あり」だった。
妙に現実的で現代的な衣装に小道具、演出。
宝塚の夢々しさとは違う物を創りたかったんだ、というのが実感できた。
そして、ヴェローナを覆う絶望と閉塞感にリアリティがあるからこそ、
ロミオとジュリエットとの「愛」が唯一の希望であるということが明確になり、
それがラストの「罪びと」大コーラスのカタルシスとなる。
(宝塚版であった、後半部分:「神はまだ~」のメロディ使用部分が無いのが
ちょっとだけ物足りなかったけれど。)

抗争の犠牲者であるティボルト@渡辺君も、マーキューシオ@平間壮一も、
ひたすら哀れで。
あ、今回のマー君大好きです。
ヅカ版で、「マーキューシオこそ死神」説を見たことがあるんだけど、
そう思って見ると、彼こそが全ての直接的な元凶。
死に際もさー、ロミオを責めて祝福して呪って死んでいくんだよ、マーキューシオって。
「それ全部今言わなきゃ駄目?」なことを全部言ってしまう、マー君。
そして自分の死をたぶん一番嘆いてくれているベンヴォーリオをスルーするマー君。
で、貧乏くじ引かされた感じのベンヴォーリオ@馬場徹が、
最後の霊廟でもこまめに動いて仕事しているのが健気で(涙)
ヅカ版ではベン君は大公様に支えられてましたけど、
こっちのベン君は大公様@岸さんを支えてましたからね(苦笑)
ベン君の話し方の間合いが好きでした。

で、古川ロミオです。
ロベスピエール@『1789』→ルドルフ@『エリザベート』と続けて見て、
(その前にフェリペ@『レディ・ベス』も見ているけど)まあ
正直、「足りてないな~」ともどかしく思うところもあるんですが(上から目線)
「王子様」でありながら、「闇」とか「毒」とかと親和性の高い
儚さとか脆さとかが最大の魅力だな、と思っています。
(サイコパス感だと、わかりやすくいっちゃってるフェリペより、
深く闇を抱えている感じのロベスピエールが好み。)
まさしくロミオ。

「僕は怖い」にゾクっとしました。
宝塚版だと、ちえさんとかみりお君の「こちら側(此岸)のロミオ」に対し、
桂ちゃんとかまさお君の「あちら側(彼岸)のロミオ」という分類を
勝手にしてるんですが、ゆんロミオは紛れもなく、彼岸にいるロミオ。

まあ、「僕は怖い」に限って言うと、桂ちゃんとかまさお君の時は、
「死」役の咲ちゃんとかたまきちが力不足だった(当時)ために、
「死と戦うロミオ」ではなく「死を内包するロミオ」にならざるを得なかった、って
ところもあると思うんですが、同じたまきちを相手にしてもみりお君は
そうは思わなかったので、ロミオの中の人の属性が大きいかなと思ってます。

閑話休題。
ナチュラルに「死」のサイドにいる、浮世離れしたロミオゆえ、
生田ジュリエットのキラキラ感が正しく作用していた。

ジュリエット@いくちゃん。
かーわーいーいー。
さすがトップアイドル、という問答無用のかわいさと輝き。
闇を纏うロミオに対して、光の中にいるジュリエット。
ロミオが彼女に惹かれ、彼女と一緒なら生きられる、彼女がいなければ死ぬしかない、
というのに非常に説得力がありました。

1幕ラスト、教会での結婚式、「エメ」。
愛を誓う若い2人が本当にキラキラしていて、
結末はわかっていても、このまま幸せになってくれと願わずにいられない。

「天使の歌が聞こえる」も良かったけど、「バルコニー」の多幸感も凄かった。


そのジュリエットを失った後の「ロミオの死」でのゆんロミオが、
完全に「あちら側」で。このロミオが見たかったんだ。
それに対する「ジュリエットの死」では、ジュリエットの意志の強さとか健気さが前面に出ていて。
「何故」で神父様と一緒に泣く。

私の好きな筋書きの「ロミジュリ」でした。


アンサンブルの素晴らしさ。
「ヴェローナ」「世界の王」「狂気の沙汰」。
ダンスの迫力に息を呑みました。

そして、最も書き残しておきたいのは、「死」@大貫勇輔の素晴らしさです。
1幕の、まだ爪を隠した、顔や身体を覆った姿でのダンス。
音も無く忍び寄り、世界を支配する、「死」。
2幕、身を覆う服を取り去り、むき出しの姿でロミオたちを死に引きずり込む。
最後の十字架でのダンスはどうしても東宝エリザ初演のトート・ダンサーズを思い出してしまうけれど、
ロミオとジュリエットを注視したいのに目はどうしても「死」を追ってしまう。

月末にちえさんのコンサートでまた会えそうなのでとっても楽しみです。


大千秋楽のカーテンコールも堪能。あったかい千秋楽でした。
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