空中楼閣―Talking Dream―

好きなものを徒然なるままに。

東宝ミュージカル「モーツァルト!」(梅田芸術劇場)2011

2011-01-09 21:00:26 | 観劇(タカラヅカ以外)
「シーズン4」(パンフレットより)、私にとっても四度目の「モーツァルト!」。

2002年、ドラマシティ、井上ヴォルフ、松コンスタンツェ、久世男爵夫人。
2005年、梅芸、中川ヴォルフ、西田コンスタンツェ、香寿男爵夫人。
2005年、梅芸、井上ヴォルフ、以下同じ。

そして今回。
井上ヴォルフ、島袋コンスタンツェ、香寿男爵夫人。
初演再演については、現在休止中の旧サイトでかなーーり語ったんですが、
(パソコン内に残っているのを)今読み返してみると、私は
2005年の井上ヴォルフバージョンで感じた、ヴォルフとアマデの関係性が本当に好きだったんです。
敵対し合う別人格ではなく、子ども時代は確かに一体だったのに、
「おとな」になって現世と繋がり合えるようになったために、
完全にひとつではいられなくなってしまった存在。
「ひとり」でもなく、「ふたり」にもなれない半身。
まず愛情があり、愛ゆえの憎悪があり、…その葛藤に涙しました。
実は一番泣けたのが、一幕の「赤いコート」~「僕こそ音楽」のくだり。
子ども時代の幸せな記憶はそのままそこにあるのに、
もう二度とそこには戻れない、その現実。

…もしかしたら、それは、見ていた当時の私が、大学四回生という
「モラトリアムの終焉」真っ只中にあったから、こその見方かもしれません。

…で、あれば、社会に出て三年が過ぎ、アラサーになってしまった今の私は、
もはや同じ感想を持つわけにはいかないでしょう(笑)

そんな思いも抱きながらの観劇。

…第一の感想は、
悲劇じゃなかった。
というもの。

ヴォルフにとってのアマデが、
以前は「帰れない黄金時代」に見えたんですが、
今回は「音楽の神」に見えました。

舞台を支配しているのは、アマデ。

レオポルトも大司教も男爵夫人も、そしてヴォルフさえも、
そのアマデに魅せられ、アマデに翻弄される。

…書いてみると、「そりゃ、そういう話でしょ」って気がしてきた(汗)

登場人物の中で、ヴォルフだけがアマデを見ることができる。
アマデに触れることができる。
それこそが、「僕こそ音楽」ということなのだろう。

だから、ラスト、「良かったね」と思ってしまいました。
求め続けた音楽の神を、ヴォルフは完全に、そして永遠に手に入れた。
だから、その瞬間にナンネールが開いた箱から、
「モーツァルトの音楽」がこぼれ出すのだろう。


…演出意図あるいは演じ手の解釈は知りません。
舞台の「物語」は観客のものだと思っていますので。

今回、初めて感情移入できたのは、コンスタンツェというキャラクターです。
「ダンスはやめられない」は見事なまでにSPEEDの曲になってましたが(笑)
私が聞きたかった、寛子の歌声でした。

今まで、コンスタンツェが何を考え、何を求めているのか、全くわからなかったのですが、
初めてわかった。

コンスタンツェは、ヴォルフを愛していた。
「そのままのあんた」を求めていた。
同時に、彼女にアマデは見えないのだけれど、
彼女なりにアマデの存在を感じとり、憧れていた。

コンスタンツェの渇望と孤独、そして苦悩。

なんだか恐ろしくリアルに感じてしまい、その点でものすごく切なくなりました。
なぜ、この物語が、墓場でのコンスタンツェから始まるのか。
なぜ、モーツァルトの死と、走り去るコンスタンツェが重ねられるのか。

彼の生涯に立ち会いながら、彼を手に入れることができなかった、
「マダム・モーツァルト」の哀しみが胸を打ちました。


ナンネールの高橋さんは相変わらず素晴らしい。
「プリンスは出ていった」は、一番好きなナンバーかもしれない。
大人になってしまった今聞くと、いっそう痛いけれど。

吉野さん@シカネーダー、大好き。
仮面舞踏会の場面でも、ついつい探してしまう。

香寿さんの歌う「星から降る金」をまた聞けたことが、とにかく幸せ。

この日は通算400回(だっけ?)目だそうで、
「皆勤賞」を代表して、市村&山口両御大の挨拶が聞けました。
このお二人については、パンフにあった小池先生の言葉に全面的に同意します(笑)

やっぱり大好きな作品。

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