10年ぶりの東宝エリザ。
イープラス貸切でチケットを入手して、物凄く久しぶりに有楽町駅で降りました。
いちいち、カウントしてしまう。
「東京」が目的地だったのも、5年ぶりぐらい。
日比谷に来たのは、2008年末の「RENT」以来か(シアタークリエ)。
東京宝塚は、2008年初めの「エル・アルコン」が最後。
帝国劇場は、2006年の「ダンス・オブ・ヴァンパイア」以来。
そして東宝エリザは、2005年9月に観たのが最後だった…!
2005年と言いますと、内野×一路コンビでしたよ(遠い目)
そして私個人はその頃、「エリザベート」を題材に卒論を書いていて、
とってもとってもたくさんの人にお世話になっていたのだった。
東宝エリザ、10年の空白。
観ていないトートが、武田・石丸・城田・ルカス(敬称略)
同じく観ていないシシィが、涼風・朝海・瀬奈・春野(同上)…で合ってる?
(それすら自信ない)
「エリザベート」という作品の歴史の、ほんの最初にしか触れていないんだなあ…と実感する。
だって、私が最後に観たエリザで、井上芳雄君はルドルフだったんだよ!?
(同じ年の「モーツァルト!」井上ヴォルフに惚れ込んで、どうしても井上ルドが観たくて頑張ってチケット獲ったんだった。
ついでに、うっちーオチしたのもあの頃だったから、キャスト的には至福でした。)
10年観ていなくても、CDは結構最近まで聞いていたので、細部まで耳の記憶は鮮明。
結局使わなかったけど、卒論用に文字起こしとかしたので(注:実質、趣味)
セリフを聞けば脳内に文字が浮かぶ(笑)
宝塚版と、東宝版と、いっぱい比較したなあ。
押し寄せる懐かしさと、新鮮な感動に浸りきった、幸せな時間でした。
感じたのは主に三本柱。
1.花總シシィについて
今回、私に上京を決意させたのは、花總まりがエリザベートを演じるという、
その一点です。
初演雪組も、再演宙組も、ガラコンサートも、生では見られていない。
ただ、雪組のDVDは、何度も何度も観た。
花總シシィを経ずにエリザにハマった私だけれども、
初演雪組版こそが「正典」だと思っている。
(再演いろいろもそれぞれ大好きですが。)
というより、宝塚版でも東宝版でも、小池修一郎潤色・演出の「エリザベート」におけるシシィ像は、花總まりアテ書きだと信じています。
とは言え、あの初演は19年前(!)
演出・解釈の異なる今回の「エリザベート」において、
花總シシィがあの19年前のシシィと同一である筈はない。
ハードル上げすぎないように…と思いながら、凝視したわけです。
まずは、少女シシィの愛らしさと言ったら!
えーっと、計算するまでもなく、プログラムに普通に生年月日載ってるわけですから、
お花様の実年齢はわかるわけですが(爆)
この人は本当に、永遠の娘役なんだなあ。
さすがに、お見合いとか結婚式とか、19年前のほうが可愛かったとは思うのですよ。
…でも、そういう問題じゃないのだ。
15歳とか16歳とかの少女としてそこに存在してしまう、このファンタジーは何事(白目)
…とか、最初はそんな目で見ていたのですが。
大曲「私だけに」。
快感だった、というのが、一番の感想かなと思う。
腑に落ちた。とも言う。
紛れもない、「覚醒」の歌だった。
ただの少女が、この瞬間、自我を確立し、個人として立ったのがわかった。
ここにいるのは、エリザベート。他の誰でもない、孤高の女王。
その変化が鮮やかで、美しくて、それが本当に気持ち良かった。
会いたかったシシィ、ではなく、それ以上の存在。
ハンガリーの三色旗ドレスも勿論素晴らしく、ストーリー上の説得力半端なかったのですが。
やはり、一幕ラスト。鏡の間。
知っている、はずなのだ。DVDも見た。写真も見た。
過去の宝塚版も東宝版も、いくつも見た。
その知識を凌駕する、問答無用の美しさ。
私もフランツと一緒に、あの美しさに膝を折りたい。
膝を折ってしまう、ではない。膝を折りたい。
トートと一緒に打ち震える。
「お前しか見えない」
あなたしか見えない、見たくない。
ここでの歌の「ただ 私の人生は私のもの」の迫力も凄かった。
この役は、このひとのものだ。
二幕も、一つ一つ、本当に心地良かった。
シシィの心の流れに身を委ねる。
戴冠式の、またも圧倒的な美しさ。「私が踊るとき」の力強さ。
一転、精神病院での「強い皇后を演じることだけ」という告白、
そこにとどめを刺す、フランツの裏切り。
「パパみたいに(リプライズ)」は、元々、東宝版で一番好きなのだけれど、
とてもスムーズにシシィの苦しみが入ってきた。
成熟を拒絶し、老いを拒絶し、母性を拒絶し、義務を拒絶し、
もはや何から逃げるのかもわからないまま、彼女は進み続ける。
ルドルフを切り捨てるのも、フランツを切り捨てるのも、
全て納得できてしまう。
そこにいるのは、エリザベート。
全ての「なぜ?」の答えは、「だって、それがシシィだから」。
ラスト、トートの腕の中の恍惚とした表情。
生ききった、ひと。
何だこのカタルシスは。
凄いものを、見た。
期待して期待して、それ以上のものを見た。
2.井上トートについて
実は、チケット獲るときは、「トートはどっちでもいい」だったのです。
いや、マイナスの意味ではなく、どっちも見たいけど1回しか見られないから、そこには拘らないというだけですが。
…が、実際観ると。
「私、やっぱり井上君大好きだ」ということを実感して終わった。
歌い方が、意外だったというか。私のイメージしていた「井上君の声」じゃなかった。
ああ、こんな歌い方もできるんだ。こんな声もあるんだ。
と、心地よく聞いていたのだけれど、
「これは、『トートの声』なんだ」と気付いたのは、ハンガリー独立運動の場面だったか(遅い)
「今なら救えるハプスブルク/おまえが自ら導くのだ」の声が、
「トートの声」として際立たなくてはいけない場面。
「人ならざる者」としての声を創り上げていたのだ、と気付いたのが、
我ながら遅い…っ!(握り拳)
いや、そこに気付かなくても。
手に汗握らなくて良い「最後のダンス」っていいよね!
全ての歌を安心して聞いていられる。
そしてやっぱり、ビジュアルが好き。
冷ややかな目。白目部分を大きく見開いた、これも「人ならざる者」の目。
口元に常にたたえられた、皮肉な微笑み。
…やばい、好みすぎる(笑)
「私が踊るとき」は至福でございました。
花總シシィとの並びも素敵だったのですが、
相性と言うよりは、それぞれ別ベクトルで好き、というのが正しい感じ。
何回か、オペラでどっちを凝視するか迷いました。
「マイヤーリンク」は、ルドルフに愛情持ってなさそうな感じがまた好みで(笑)
たぶんこれがトートの通常運転で、対シシィだけが特別だったんだよね~。
「まだ私を愛してはいない!」がやっぱり萌え。
宝塚版とは違うニュアンスで、これはこれで好き。
大好きだったルドルフが、大好きなトートになった。
それがとにかく、嬉しい。
3.東宝版「エリザベート」について
一番、長いブランクだったんだよね。
ウィーン版と宝塚版(雪組再演)を2007年に観て、そこから長いブランクに入るんだけど、
東宝版はそれよりも2年も前に観たのが最後だったから。
遠ざかりすぎて、だいぶ印象が薄くなっていた。
宝塚版の甘さや美しさのほうが馴染みができてきていて、
ウィーン版もまた鮮烈で、
東宝版は何だか中途半端な感じさえして、だから殊更に足を運ばなかったのだけれど。
今回、改めて実感したのは、私は東宝版を観て「エリザベート」を好きになったのだ、ということ。
全部、覚えてる。細かいセリフも細かい歌詞も。
(CDを聞いていたからで、新演出なのもあって、ビジュアルは結構新鮮だった)
やっぱり好き。
東宝版の、救いの無さが。
「僕はママの鏡だから」で、シシィは自覚的に、ルドルフを切り捨てる。
まさか死なれるとは思っていなかったのだろうけど、ここで息子を「見捨てる」。
「夜のボート」の歌詞も、宝塚とは異なる。
フランツへの情愛も、「ゴール」に待つ希望も、そこには無い。
ただ冷え冷えとした断絶だけが、広がっている。
昇天シーンでさえも、ハッピーエンドではない。
シシィとトートは、それぞれ勝利を歌い上げる。
「それでも私は命委ねる/私だけに」「それでもおまえは命委ねる/俺だけに」
(「二人とも、もうちょっと相手の話を聞こうか」と思って、面白くて仕方ない)
シシィの揺るが無さと、エゴの強さが、心地よい。
こんな風には生きられない。こんな風に生きたいかどうかさえ、わからない。
ただ、彼女の生き様が、鮮やかで、心地よい。
「正しい」のは、ゾフィ@タータンさん。
何て言うか、「冷静に/冷酷に」を地で行く、正確無比な歌い方。
端正さから、滲み出る迫力。
感情を動かす場面が無いだけに、「ゾフィの死」の場面が胸に迫る。
ハマコさんも素晴らしかった! ルドヴィカも良かったけど、
マダム・ヴォルフの迫力も。
リヒテンシュタイン@そんちゃんさんの歌も、耳福だった。
この日のフランツは、佐藤隆紀さん。
素敵に、駄目男でした…(ほめてます・笑)
「エリザベート、開けてくれ」の場面では毎回、「この国もう駄目だな…」と思うんですよ。
シシィが出て行った後にゾフィに決別を告げる場面がありますが…
悪いのは自分だよね?ママじゃなく。(笑顔)
「夜のボート」~「悪夢」の哀愁はなかなかのものでした。
ルキーニは尾上松也くん。
改めて、難しい役だと実感する。
なぜだろう、すっごく、「イタリア人だ…」と思った。
このルキーニの露悪性が、宝塚版との一番大きな違いかも。
ルドルフは、成人・京本大我くん、少年・大内天くん。
とにかく子役が上手い。冒頭の霊廟シーンで既に泣きそう(笑)
で、この2人、顔が似てませんか? 移行が全然違和感なかった。
儚くてかわいそうな皇太子でした。三十路には見えないけど。
ハンガリー・チーム&ツェップスは大好き。
アンサンブルのレベルが高いよね。
結婚式の場面で、若いイケメンさんが多いのにも気付きました。
トート・ダンサーズもカッコ良かった!
(初演の白塗りが、今でも強烈に思い出されますが)
10年ぶりに観て、昔に比べて随分、ビジュアル的に宝塚寄りになったなあと思う。
セットも豪華で重厚だったし。
いろいろ試した結果、こういうところに落ち着きつつあるのかな。
幸せな3時間でした。
1回しか見られませんでしたが、しばらく日常生活に支障を来しそうです。
久しぶりにCD買おうかな…
イープラス貸切でチケットを入手して、物凄く久しぶりに有楽町駅で降りました。
いちいち、カウントしてしまう。
「東京」が目的地だったのも、5年ぶりぐらい。
日比谷に来たのは、2008年末の「RENT」以来か(シアタークリエ)。
東京宝塚は、2008年初めの「エル・アルコン」が最後。
帝国劇場は、2006年の「ダンス・オブ・ヴァンパイア」以来。
そして東宝エリザは、2005年9月に観たのが最後だった…!
2005年と言いますと、内野×一路コンビでしたよ(遠い目)
そして私個人はその頃、「エリザベート」を題材に卒論を書いていて、
とってもとってもたくさんの人にお世話になっていたのだった。
東宝エリザ、10年の空白。
観ていないトートが、武田・石丸・城田・ルカス(敬称略)
同じく観ていないシシィが、涼風・朝海・瀬奈・春野(同上)…で合ってる?
(それすら自信ない)
「エリザベート」という作品の歴史の、ほんの最初にしか触れていないんだなあ…と実感する。
だって、私が最後に観たエリザで、井上芳雄君はルドルフだったんだよ!?
(同じ年の「モーツァルト!」井上ヴォルフに惚れ込んで、どうしても井上ルドが観たくて頑張ってチケット獲ったんだった。
ついでに、うっちーオチしたのもあの頃だったから、キャスト的には至福でした。)
10年観ていなくても、CDは結構最近まで聞いていたので、細部まで耳の記憶は鮮明。
結局使わなかったけど、卒論用に文字起こしとかしたので(注:実質、趣味)
セリフを聞けば脳内に文字が浮かぶ(笑)
宝塚版と、東宝版と、いっぱい比較したなあ。
押し寄せる懐かしさと、新鮮な感動に浸りきった、幸せな時間でした。
感じたのは主に三本柱。
1.花總シシィについて
今回、私に上京を決意させたのは、花總まりがエリザベートを演じるという、
その一点です。
初演雪組も、再演宙組も、ガラコンサートも、生では見られていない。
ただ、雪組のDVDは、何度も何度も観た。
花總シシィを経ずにエリザにハマった私だけれども、
初演雪組版こそが「正典」だと思っている。
(再演いろいろもそれぞれ大好きですが。)
というより、宝塚版でも東宝版でも、小池修一郎潤色・演出の「エリザベート」におけるシシィ像は、花總まりアテ書きだと信じています。
とは言え、あの初演は19年前(!)
演出・解釈の異なる今回の「エリザベート」において、
花總シシィがあの19年前のシシィと同一である筈はない。
ハードル上げすぎないように…と思いながら、凝視したわけです。
まずは、少女シシィの愛らしさと言ったら!
えーっと、計算するまでもなく、プログラムに普通に生年月日載ってるわけですから、
お花様の実年齢はわかるわけですが(爆)
この人は本当に、永遠の娘役なんだなあ。
さすがに、お見合いとか結婚式とか、19年前のほうが可愛かったとは思うのですよ。
…でも、そういう問題じゃないのだ。
15歳とか16歳とかの少女としてそこに存在してしまう、このファンタジーは何事(白目)
…とか、最初はそんな目で見ていたのですが。
大曲「私だけに」。
快感だった、というのが、一番の感想かなと思う。
腑に落ちた。とも言う。
紛れもない、「覚醒」の歌だった。
ただの少女が、この瞬間、自我を確立し、個人として立ったのがわかった。
ここにいるのは、エリザベート。他の誰でもない、孤高の女王。
その変化が鮮やかで、美しくて、それが本当に気持ち良かった。
会いたかったシシィ、ではなく、それ以上の存在。
ハンガリーの三色旗ドレスも勿論素晴らしく、ストーリー上の説得力半端なかったのですが。
やはり、一幕ラスト。鏡の間。
知っている、はずなのだ。DVDも見た。写真も見た。
過去の宝塚版も東宝版も、いくつも見た。
その知識を凌駕する、問答無用の美しさ。
私もフランツと一緒に、あの美しさに膝を折りたい。
膝を折ってしまう、ではない。膝を折りたい。
トートと一緒に打ち震える。
「お前しか見えない」
あなたしか見えない、見たくない。
ここでの歌の「ただ 私の人生は私のもの」の迫力も凄かった。
この役は、このひとのものだ。
二幕も、一つ一つ、本当に心地良かった。
シシィの心の流れに身を委ねる。
戴冠式の、またも圧倒的な美しさ。「私が踊るとき」の力強さ。
一転、精神病院での「強い皇后を演じることだけ」という告白、
そこにとどめを刺す、フランツの裏切り。
「パパみたいに(リプライズ)」は、元々、東宝版で一番好きなのだけれど、
とてもスムーズにシシィの苦しみが入ってきた。
成熟を拒絶し、老いを拒絶し、母性を拒絶し、義務を拒絶し、
もはや何から逃げるのかもわからないまま、彼女は進み続ける。
ルドルフを切り捨てるのも、フランツを切り捨てるのも、
全て納得できてしまう。
そこにいるのは、エリザベート。
全ての「なぜ?」の答えは、「だって、それがシシィだから」。
ラスト、トートの腕の中の恍惚とした表情。
生ききった、ひと。
何だこのカタルシスは。
凄いものを、見た。
期待して期待して、それ以上のものを見た。
2.井上トートについて
実は、チケット獲るときは、「トートはどっちでもいい」だったのです。
いや、マイナスの意味ではなく、どっちも見たいけど1回しか見られないから、そこには拘らないというだけですが。
…が、実際観ると。
「私、やっぱり井上君大好きだ」ということを実感して終わった。
歌い方が、意外だったというか。私のイメージしていた「井上君の声」じゃなかった。
ああ、こんな歌い方もできるんだ。こんな声もあるんだ。
と、心地よく聞いていたのだけれど、
「これは、『トートの声』なんだ」と気付いたのは、ハンガリー独立運動の場面だったか(遅い)
「今なら救えるハプスブルク/おまえが自ら導くのだ」の声が、
「トートの声」として際立たなくてはいけない場面。
「人ならざる者」としての声を創り上げていたのだ、と気付いたのが、
我ながら遅い…っ!(握り拳)
いや、そこに気付かなくても。
手に汗握らなくて良い「最後のダンス」っていいよね!
全ての歌を安心して聞いていられる。
そしてやっぱり、ビジュアルが好き。
冷ややかな目。白目部分を大きく見開いた、これも「人ならざる者」の目。
口元に常にたたえられた、皮肉な微笑み。
…やばい、好みすぎる(笑)
「私が踊るとき」は至福でございました。
花總シシィとの並びも素敵だったのですが、
相性と言うよりは、それぞれ別ベクトルで好き、というのが正しい感じ。
何回か、オペラでどっちを凝視するか迷いました。
「マイヤーリンク」は、ルドルフに愛情持ってなさそうな感じがまた好みで(笑)
たぶんこれがトートの通常運転で、対シシィだけが特別だったんだよね~。
「まだ私を愛してはいない!」がやっぱり萌え。
宝塚版とは違うニュアンスで、これはこれで好き。
大好きだったルドルフが、大好きなトートになった。
それがとにかく、嬉しい。
3.東宝版「エリザベート」について
一番、長いブランクだったんだよね。
ウィーン版と宝塚版(雪組再演)を2007年に観て、そこから長いブランクに入るんだけど、
東宝版はそれよりも2年も前に観たのが最後だったから。
遠ざかりすぎて、だいぶ印象が薄くなっていた。
宝塚版の甘さや美しさのほうが馴染みができてきていて、
ウィーン版もまた鮮烈で、
東宝版は何だか中途半端な感じさえして、だから殊更に足を運ばなかったのだけれど。
今回、改めて実感したのは、私は東宝版を観て「エリザベート」を好きになったのだ、ということ。
全部、覚えてる。細かいセリフも細かい歌詞も。
(CDを聞いていたからで、新演出なのもあって、ビジュアルは結構新鮮だった)
やっぱり好き。
東宝版の、救いの無さが。
「僕はママの鏡だから」で、シシィは自覚的に、ルドルフを切り捨てる。
まさか死なれるとは思っていなかったのだろうけど、ここで息子を「見捨てる」。
「夜のボート」の歌詞も、宝塚とは異なる。
フランツへの情愛も、「ゴール」に待つ希望も、そこには無い。
ただ冷え冷えとした断絶だけが、広がっている。
昇天シーンでさえも、ハッピーエンドではない。
シシィとトートは、それぞれ勝利を歌い上げる。
「それでも私は命委ねる/私だけに」「それでもおまえは命委ねる/俺だけに」
(「二人とも、もうちょっと相手の話を聞こうか」と思って、面白くて仕方ない)
シシィの揺るが無さと、エゴの強さが、心地よい。
こんな風には生きられない。こんな風に生きたいかどうかさえ、わからない。
ただ、彼女の生き様が、鮮やかで、心地よい。
「正しい」のは、ゾフィ@タータンさん。
何て言うか、「冷静に/冷酷に」を地で行く、正確無比な歌い方。
端正さから、滲み出る迫力。
感情を動かす場面が無いだけに、「ゾフィの死」の場面が胸に迫る。
ハマコさんも素晴らしかった! ルドヴィカも良かったけど、
マダム・ヴォルフの迫力も。
リヒテンシュタイン@そんちゃんさんの歌も、耳福だった。
この日のフランツは、佐藤隆紀さん。
素敵に、駄目男でした…(ほめてます・笑)
「エリザベート、開けてくれ」の場面では毎回、「この国もう駄目だな…」と思うんですよ。
シシィが出て行った後にゾフィに決別を告げる場面がありますが…
悪いのは自分だよね?ママじゃなく。(笑顔)
「夜のボート」~「悪夢」の哀愁はなかなかのものでした。
ルキーニは尾上松也くん。
改めて、難しい役だと実感する。
なぜだろう、すっごく、「イタリア人だ…」と思った。
このルキーニの露悪性が、宝塚版との一番大きな違いかも。
ルドルフは、成人・京本大我くん、少年・大内天くん。
とにかく子役が上手い。冒頭の霊廟シーンで既に泣きそう(笑)
で、この2人、顔が似てませんか? 移行が全然違和感なかった。
儚くてかわいそうな皇太子でした。三十路には見えないけど。
ハンガリー・チーム&ツェップスは大好き。
アンサンブルのレベルが高いよね。
結婚式の場面で、若いイケメンさんが多いのにも気付きました。
トート・ダンサーズもカッコ良かった!
(初演の白塗りが、今でも強烈に思い出されますが)
10年ぶりに観て、昔に比べて随分、ビジュアル的に宝塚寄りになったなあと思う。
セットも豪華で重厚だったし。
いろいろ試した結果、こういうところに落ち着きつつあるのかな。
幸せな3時間でした。
1回しか見られませんでしたが、しばらく日常生活に支障を来しそうです。
久しぶりにCD買おうかな…
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