秋好善太郎 編『日本歴史写真帖』, 東光園, 大正2 (1913)
国立国会図書館デジタルコレクション
日本軍隊遼陽入城の光景
城壁の破戒口より遼陽に入りつつある日本兵 九月四日第五師団工兵遼陽に入城の光景
南大門おり露国の捕虜を出す
遼陽会戦
日本側資料によれば、遼陽会戦における日本軍の死傷者は約2万2千、ロシア軍の死傷者は
約2万5千であり、日本軍も多大な損害を受けたことがわかります(関連資料2、関連資料5)。
日本軍は戦略上の拠点である遼陽を確保しましたが、当初の目標であるロシア軍の包囲
殲滅には失敗し、それによる早期講和の実現も達成することができませんでした。これ以降、
日本軍とロシア軍は満州の広野でお互いに睨みあったまま、厳しい苦闘を繰り広げることに
なります。
from 日露戦争史 遼陽会戦
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