なんとなく、ふわっと・・

写真と画像処理関係とひとりごとをなんとなく書き溜めていきたい

大塚家具 新宿ショールーム

2023-07-21 23:56:10 | 写真



新宿2023_06_27

新宿区新宿3

[LUMIX G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH]
[HDR from 5 jpeg images ±4.0EV, Handheld]


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小石川植物園で IV

2023-07-21 23:54:23 | 写真



小石川植物園2023_04_22

文京区白山3

[M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ]
[HDR from 5 jpeg images ±4.0EV, Handheld]


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池袋西口公園野外劇場 グローバルリング シアター II

2023-07-21 23:50:21 | 写真



池袋2023_04_22

豊島区立池袋西口公園
豊島区西池袋1

[M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ]
[HDR from 5 jpeg images ±4.0EV, Handheld]


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日本歴史写真帖 026

2023-07-21 23:49:08 | 日本歴史写真帖



松平石見守康英候(千里折衝君命を辱めず)

秋好善太郎 編『日本歴史写真帖』, 東光園, 大正2 (1913)
国立国会図書館デジタルコレクション


松平 康英(まつだいら やすひで)は、江戸時代後期の旗本・大名。江戸幕府外国奉行、神奈川奉行、大目付、
勘定奉行、南町奉行を歴任した後に本家の大名家を相続、奏者番兼寺社奉行、老中となった。陸奥国棚倉藩
の第4代藩主、武蔵国川越藩主。松井松平家12代。川越においては、城下宮下町に藩校長善館を開いた人物
として知られる。旗本時代は松平 康直(まつだいら やすなお)で、本家相続後に康英と改名し、明治維新後に
松井 康英と改名した

翌万延元年(1860年)9月15日に外国奉行を罷免され、神奈川奉行専任となる。しかし文久元年(1861年)4月
12日には再び外国奉行兼任となり、同年8月21日にはロシアとの千島・樺太国境画定交渉のために欧州へ行く
ことを命じられ(文久遣欧使節)、12月22日に交渉使節団副使として欧州各国へ向けて出発し、翌文久2年
(1861年)12月11日帰国した。 帰国直後の28日に外国奉行専任となり、翌日には300石を加増された。

wikiwand より


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日本テレビタワー II

2023-07-21 23:47:18 | 写真



東京-銀座-新橋2023_03_28

港区東新橋1

[LUMIX G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH]
[HDR from 5 jpeg images ±4.0EV, Handheld]



昨年の今日のエントリ


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