
秋好善太郎 編『日本歴史写真帖』, 東光園, 大正2 (1913)
国立国会図書館デジタルコレクション
樺太ポロアントマリ労働者の一家族
大泊町(おおどまりちょう/おおとまりちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
江戸時代から明治初頭にかけては久春古丹(クシュンコタン)と呼ばれており、中心地は後の
楠渓町一帯であった。日本領有期の当初においては樺太庁が置かれ、樺太の大都市であった。
もとはアイヌ語でポロアントマリ(Poroantomari、「大きな港」の意味)と呼ばれたが、日本の
統治下に入ってから、1908年の内務省告示第29号により、オホトマリ(大泊)と改名された。
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