とうとう恐れていた事態が発生してしまった。と言っても、私自身何がどうなったのか全く解らない。が、皆目見当が付かない…と云うわけではない。とにかくキヨコの身の回りで私の予期した波紋が波を高めたらしい…と云うのは手応え有る推測であり、それはそれで紛れも無い事実なのである。
今夜の最後のステージを終えると、カウンターでいつもの様にライムソーダを飲んでいた私の隣に座り、泣きながらグラスを握っていた。
「ねェ、ちょっと聞いてよ、私が一体何をしたっていうのよ」
唐突なキヨコの言葉に私は一瞬唖然とした。
「あ、あの、いきなり私にそんな事言っても…ネェ、どうしたの?」
「みんなアイツのせいよ」
「アイツ…?!」
「そうよ、アイツよ。アイツが来る迄は何もかも上手くいっていたじゃない…。疫病神よ。アイツが来てからロクでもない事ばかり」
「そんな、ねェ…」
「私が女だから?ねェ、私って淫らな女?」
「ウウン…そんなふうになんか思ってないし思いたくもない」
「私はね、私は…」
言いかけたキヨコの言葉を泪が詰まらせた。泪を堪えきれないままキヨコはウイスキーを飲み続けた。かなりの深酒だった様である。
やがて閉店。私は彼女を扉の処迄送って行った。
「ねえ、大丈夫?」
「私? 平気よ。エッ、心配してくれているの? 本当に? 大丈夫よ、すぐそこだから。ちゃあんと帰れるわよ。じゃあね」
私はカウンターに戻って再びライムソーダを飲み始めた。ヴァイオレット(煙草)を吸う。一服、ニ服…。いくら煙草を吸っても、心が落ち着かないっていう時っていうのは有るものだ。私は妙にキヨコの事が気掛かりで仕方なかった。情緒不安定のまま時は経つて行く。5分、10分、15分…と。私は決めた。
「ちょっと夜風にあたってくる」
と言って外に出た。表から店の横の路を通り裏路地からキヨコのアパートへ抜けた。チャイムを鳴らしながら数分戸口の前に立っていた。しかし部屋の中に人の気配は無く、キヨコがまだ戻って来てはいないという事が、益々私から落ち着きを失わせた。足音が冷たく響く鉄の階段を降りて来ても、私はそこから立ち去れなかった。私の足は完全に動きを止めていた。
そのままどのくらい経ったのであろうか。僅かの時間であったと思う。
『そろそろ戻らなければ…』
と思い2~3m歩き始めたところへ、薄暗闇の中からキヨコが現れた。
「えぇ〜、ちょっと、ねぇ…待っててくれたの、私の事を? 本当に?」
私の返事を待たずに、彼女は顔を私の胸にうずめて泣き始めた。あまりにも強く押す様に抱きついてくるので、私はちょっとバランスを崩しかけた。
『今私に抱きついて泣いているのが、あの山城キヨコ?本当に?』
私は些か信じられなかった。いつものあの気丈夫な明るい女性と同一人物とは思い難かったのである。『お姉さん』のイメージの片鱗すら見受けられ無かった。泪が私のTシャツに染み込み始めると、その泪の波長が次第に私にも泪を誘い始めた。
私にはキヨコの問題を消し去ってしまう事など出来ないのは解っている。確かに解決すべく当事者は山城キヨコ、本人である。
「この石垣の男達ってきたらね、女をセックスとしか見ないのよ。他所から女が入って来ると、誰が最初にその女と寝るか…って競争するのよ。冗談じゃないわよ。私はね、ジュン、聞いてよ。私はそんなシリの軽い女になんかならなかったわよ。私はそんな女じゃないのよ。そう、私が誰のものにもならなかったし、誰の自由にもならなかったから…」
「もう、いいサ、誰がどうだって問題じゃないサ。」
〈消耗〉しているのが良く解るが故に、無力な私自身が哀しく思えてならない。
私にはキヨコを見守る事しか出来ない。私は一体、何をしているのだろう?
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