小説 ルポ日本の貧困
ここに書くことは小説ではあるが、断じて盛ったりしていない。特に数字に関しては間違いのないところである。わたくしは、ルポ貧困大国アメリカ(堤 未果 岩波新書 2008年)を読んで感じるところがあったので忘れないうちに記しておく。
2017年の秋深くなったころの話である。所要あって出かけるが夜遅くなるので、その日の晩御飯は帰るときにスーパーの弁当を買って帰るから自分は不要であるとしたその帰りのできごとである。予定より大幅に遅れてもう閉店間際の夜十時まえにやっと飛び込んだ店内には4人の65歳前後の男たちが商品の並んだ冷蔵庫の周りを取り囲んでいた。弁当やらお惣菜やらには黄色の半額のシールが貼られていた。私はそのうちの一番大きな弁当に手を出そうとしたが、4人の男たちの殺気だった目が恐ろしくて思わず手を引っ込めてしまった。男たちの内の数人は、左手に発泡酒の一つ入ったかごを持ち右手は商品に向けて動かさない姿勢をとって半身の姿勢である。かごを持たない男も同様に半身の姿勢である。ちょうどカルタとり名人戦のいまにも動き出す寸前の様である。または椅子取りゲームが始まる前の雰囲気である。
しかも、その眼は名人戦の眼ではない。小さいころテレビで見たどこかの外国で食糧支援物資を取りに来る飢えた人の眼である。さらに、その後ろには二人の二十歳を少し過ぎたくらいのお嬢さんが遠慮がちな顔をして立っている。カルタ名人戦のおじさんはいずれも薄汚れた服を着用しうち一人は寒山拾得みたいな頭であるがお嬢さんはさすがに洒落た服で頭もきれいにしている。見たところお嬢さんはどこかのデザイン事務所で仕事をした帰りであるように見える。
程なく蛍の光の音楽が鳴り出すと、高校三年生と思しき男のアルバイト店員がどこからか現われ手にした八割引きと印刷された朱色のシールを貼り付けていく。それを目にも止まらない早業で四人の男たちが自分のかごに投げ入れていく。なるほどカルタ名人戦の姿勢が必要であったはずである。私の手を出そうとした一番大きな弁当は寒山拾得氏のかごに納まってしまった。程なく寒山拾得氏のお腹に納まるであろう。
四人が引き上げて残っていた2,3個の商品を二人のお嬢さんがかごに入れて帰っていく。さすがにこの二人は、その周りに立っていた私に対して少し遠慮する風情があった。高校三年生は、手に持った9割引きと書かれた深紅のシールを張ることなく引き上げた。
私は何とか食べねばいけないから他の物を買いながらこう考えた。あの2,3個の商品では二人のお嬢さんのお腹を満たすには少し足らないのではないか。冷蔵庫に何かが残っているのであればいいが。四人のカルタ名人戦参加者の中には、つい数年前まで数名か十数名の部下を持ちバリバリ仕事をしている風情の人もいた。日本はつい最近まで飽食と言っていたがもはやそうではない。私の知らないところで恐ろしく大きな変化が起きている。この状態を見て竹中平蔵氏は何と言うであろう。あのなめらかな口調で「みな自分で選択した結果なんです。つまり自己責任ということなんです。」とまだいうのであろうか。
洋の東西を問わず古来食を保証しえない政権は手ひどいしっぺ返しを受けること歴史の教える通りであろう。日本はまさかその段階に来ているのではないでしょうなと思うところがある。それは、寒山拾得氏の頭髪を思い出して思うのではない。四名の名人戦参加者の眼付と、多分ルームシェアしているのであろう御二人のお嬢さんのかごの中が少なかったことを思い出して思うのである。絶対このまま放置してはいけない問題である。