六波羅蜜寺の十一面観音像③
秘仏を見にいったが、運慶像のほうが印象に残っている。この人の像があるとは驚きであった。もちろん僧衣を着ているが、お坊さんらしくない。深山の中にある材木を生産している村の庄屋さんが、無理して僧衣を着て座っているという風情である。隣の湛慶像は親子とは思えないほど都会的な顔立ちである。本当に親子であろうか。
お話変わって、頭がとんがっている人は出世狙いであると聞く。わたしは面白がってどこのお寺であったか、お坊さんが列を作って歩いているのを観察したことがあった。確かに偉い人の衣を着ている人の頭はとんがっていたが、そう目立つほどではない。ところが運慶像の頭は異様にとんがっているのである。この人芸術家というよりは組織のリーダーの腕のあった人かもしれない。快慶と袂を分かったのもわかる気がする。あれだけの多くの仏像や彫刻を制作したのである、何百人に近い職能集団を率いたはずである。人柄は本田宗一郎さんに近かったのではないかとこの像を見ながら想像した。もしそうなら、女房役をした人や第一の弟子で運慶を支えた人物がたぶんいたであろう。お坊さんや権力者との関係、組織を支える費用の捻出などを考えると人柄もなんとなく想像できそうである。だれか歴史小説にしないのかな。
この運慶像を刻んだのは隣の湛慶とその他のお弟子さんであろうが、緊張の極みではなかったと想像する。写実に徹しても叱られそうだし、男前にしたらもっと叱られそうである。ちょうど〇〇の分野の名医が〇〇に罹患してお弟子さんがその名医の診察をするようなものであろう。
このほかにも教科書によく出てくる清盛像や空也上人像などがある。平安時代にもすでにその人の人柄や感情を像に刻むことができたのである。仏像だけではわからない当時の人の気持ちを感じることができる。
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