本の感想

本の感想など

映画 フライ ミー ツー ザ ムーン

2024-11-28 21:09:15 | 日記

映画 フライ ミー ツー ザ ムーン

 出来の悪いラブコメディーで、いかにも趣味の悪いアメリカンドラマという感じがする。いまだにこんな映画を作っていては、フランスに田舎もんと馬鹿にされるだけである。アメリカ人は仕事をバリバリする合間に仕事と同じノリで恋愛(または本人たちが恋愛と思い込んでいるもの)をする。あれでは恋愛がハンバーガー扱いである。前菜が出てきて、様々な料理が順番に出てきて最後に苦いコーヒーが出てくるという楽しみが全く感じられない。雪景色は情感あふれるようにも描けるが、自然の猛威とも描ける。情感あふれる方の景色をお金を払って見に行くのが観客であるのにお客を無視してかかっている。

 しかし、合間に大事なお話を潜り込ませるところはさすがである。月面着陸は実はないのではないか、少なくとも放映された映像は映画監督が苦心してスタジオの中で撮影したものとして描いている。(この映画でそうであると断言はしていない。)これを言いたいがためにあのくだらないラブコメディーを作ったのかな。わたしなら、ハードボイルドの探偵ものに仕立てるところである。そちらの方が映える。

 くだらない男女のセリフを聞きながら、こう思いを巡らせた。

 月面着陸があったにせよなかったにせよ、あの時アメリカはソ連に負けまいと理科教育に力を入れた。その時の人材が月面着陸の後に金融工学に走ってリーマンショックを引き起こした。さらにまだ仕事をやり足らないとして、AIの研究開発に走った。いずれもいいことかどうかにわかには判定できない。

 便利な世の中というのもいいし、お金周りのいい世の中も望ましい。もちろんやりすぎて世の中に迷惑をかけるのはいけないことだが、情感あふれる恋愛がなくなるのはもっといけないことである。月は行くところではない、二人で見てまたは一人で見て(もっと大勢でもいいけど)その時の感じを楽しむものである。アメリカの映画人の猛反省を願うところである。観客の大事な時間を無駄にしてはいけない。同時に我々は平安貴族の残してくれた文化に感謝しないといけないと深く思い至った。


木米と永翁(宮崎市定 朝日新聞社)②

2024-11-28 11:32:31 | 日記

木米と永翁(宮崎市定 朝日新聞社)②

 面白いのは、初めに買った人は「金を儲ける法」のセクションをよほど熱心に読んだ痕跡があることで、マーカーがいくつもある。ちょうど高校の歴史教科書のようになっている。別の話だが、永井荷風の断腸亭日乗も古本で買ったが、初めに買った人は預金封鎖の日の記事を熱心に読んだ痕跡があった。お金の記事はかくも熱心に読まれるものらしい。

 それなら本屋に並んでいるお金に関する本がどんどん売れているかというとそうでもないように見受けられる。門外漢が書いているところが魅力なのであろう。プロ野球選手や大相撲の力士が「金を儲ける法」というコラムを書くときっとその新聞は売れるであろう。あの人でもできる、ならば自分もできるに相違ないというところが魅力なのではないか。

 さて、このコラムの欄には歴史を知ることは人間を知ることである。人間を知ることはお金儲けに大事であるというのが趣旨で、例えば資治通鑑を読み込むことが人間を知る一助になるかもしれないとある。私は遺憾ながら資治通鑑は見たこともないが、多くの通俗歴史小説なら読んだ。その範囲でなら人間を知ってるつもりであるが、さっぱり験が現れなかった。資治通鑑と通俗歴史小説の格の違いかもしれない。子孫が栄えるためには、若いころからそういう教育をすべきであろう。通俗歴史小説を本箱から排除して資治通鑑またはそれと同等の本を本箱に入れるのである。

 そこで思いつくことがある。わたしは面白がって手相の勉強を少ししているが、どの流派でもお金儲けの才能とコミニケーション能力とは同じ線であらわされている。コミニケーション能力とはお笑いタレントのようにしゃべりが上手いという意味ではなく、人間とはなんであるかの洞察に優れたという意味とみると話のつじつまが合う。

 しかし今から資治通鑑またはそれと同等の本を読んでも日暮れて道遠しである。若い時に木米と永翁のこのコラムに出会うべきであった。