先日、つがる市の物件について書き込んだ。
記事中に周囲には縄文時代の遺跡がたくさんあると書いた。
で、思い出したのが「三内丸山遺跡」
縄文時代の大きな遺跡だ。
この三内丸山遺跡があるのが青森市。
地図で距離を調べると30kmほどだった。
なるほど、縄文時代には青森周辺に大きな縄文人の生活圏があったと言う事だ。
縄文時代が実際にどのような生活をしていたかは分からないが、教科書などで見るのは獣の皮などを纏った姿が描かれている。
少なくともダウンジャケットなどは着ていなかっただろう。
つまり、当時の青森周辺は気候が温暖な地域であった事が考えられる。
交易についても北海道や新潟などの物品が見つかっているから、その行動範囲は非常に大きかったのだろう。
縄文時代、今から4000年から5000年前には青森は暖かかったと言う事だ。
故に青森に多くの人が住み着いていた。
雪も少なかったのだろう。
もしかしたら、雪も降らなかったのかもしれない。
雪が降り積もれば食糧調達が難しく、大きな人口を支える事が出来ないからだ。
何が言いたいかと言うと、縄文時代は今より暖かかったと言う事。
もちろん、二酸化炭素の問題は無かっただろう。
つまり、今言われている温暖化は、もっと時間軸を長くとると意味をなさない言葉だと言わざるを得ない。
実はこの事は北海道に対しても言える事だ。
北海道にはものすごい数の遺跡が残っている。
もちろん縄文時代の遺跡だ。
三内丸山遺跡が大都市であったのなら、北海道へも波及していた事は想像に難くない。
青森を中心にした縄文人の生息圏があった事になる。
遺伝子的に日本は特異的な遺伝子を持っていると言う。
YAP遺伝子と言うヤツだ。
日本人の遺伝子は北海道から沖縄まで世界の他の地域と異なっている。
ここで、北海道は最近アイヌと置き換えられている。
近日中にアイヌについても書く予定。
縄文時代には、北海道に居たのは青森と同じ種族の縄文人だったはずだ。
青森周辺の縄文人文化を調べてみると日本のルーツが見えてきそうな気がする。
縄文時代は北海道から沖縄まで同じ遺伝子を持った日本人だったが、途中半島方面から異なった遺伝子を持った種族が流れ込んだ結果、日本の中央部の遺伝子情報がオリジナルと変わってしまったのだろう。
これは多くの研究が続けられている。
調べてみるのも面白いと思う。
隠居は生い先が短いので深く調べる時間が無いので、簡単にスキップしているw
地図をちょっと見るといろいろ面白い事を見つけることが出来る。
皆さんもくだらないオリンピックなどを見ずに地図を見る事をお勧めする。
アイヌが北海道に入ったのは鎌倉時代。
その時には北海道に広く分布していたのは縄文人(擦文文化人)
アイヌが先住民族と言うのはウソなのでくれぐれも間違えの無いように。
ちょっと前まで北海道の遺跡の資料がネットに沢山上がっていたが、次々と潰されたようだ。
ほとんどが教育委員会などのページだったと記憶している。
どこからか圧力がかかったのだろう。
アイヌ関係はまたの機会に。
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