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『論語』為政第二 23,24,25章

2020-07-05 11:14:36 | 漢文
23
弟子の子游が孝について尋ねた。孔子は答えた、「このごろの孝はよく両親を養うことだと思われているようだ。それでは犬や馬でもよく養っているのだから、敬う心を以て親を養わなければ、どのようにして犬や馬と区別することができようか。孝を行うには敬を忘れてはいけない。」

子游問孝。子曰、今之孝者、是謂能養。至於犬馬、皆能有養。不敬、何以別乎。

子游、孝を問う。子曰く、「今の孝は、是れ能く養うことを謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば、何を以て別たんや。」

<解説>
親の面倒を見ていても心が伴わなければ、それは本当の孝行とは言えない。『孟子』盡心上の二百十三節にも、「食いて愛せざるは、之を豕交するなり。愛して敬せざるは、之を獸畜するなり。」とある。

24
弟子の子夏が孝について尋ねた。孔子は答えた、「父母に仕える事に、喜びを感じ自然と顔色に表れることが難しい。父兄に何か仕事があるとき、子弟が代わってその仕事をしたり、ご馳走があれば父兄に勧めるたりすることを世間では孝だと思われているが、果たしてそんなものが孝だと言えるだろうか。」

子夏問孝。子曰、色難。有事、弟子服其勞、有酒食、先生饌。曾是以為孝乎。

子夏、孝を問う。子曰く、「色難し。事有れば、弟子其の勞に服し、酒食有れば、先生に饌す。曾ち是を以て孝と為すか。」

<語釈>
○「色難」、集解:包咸曰く、色難は、父母の顔色に承順するを、難しと為すを謂う。朱注:色難は、親に事うるの際、惟だ色を難しと為す。この二説のように「色」を父母の顔色に解する説と、子の顔色に解する説とがある。どちらも通ずるが、解説に述べた程子の子夏について述べた言葉から、後者を採用しておく。○「先生饌」、集解:馬融曰く、先生は、父兄を謂う。「饌」(セン)は、食を進める事。

<解説>
21から24までの4節はみな孝について述べられているが、その内容はみな異なっている。これについて朱注に程子曰く、「懿子に告ぐるは、衆人に告ぐるなり、武伯に告ぐるは、其の人憂う可きの事多きを以てなり、子游は、能く養いて或いは敬を失うなり、子夏は、能く義に直くして或いは温潤の色少なし、各々其の材の高下、其の失う所を與うるに因りて之に告ぐ、故に同じからず。」とある。教条的に物事を考えず、事に応じて述べていながら、それでいて真理をついている。これが孔子の優れた所である

25
孔子言う、顔回と一日中話していても、質問もしなければ意見も言わない。まるで愚か者のようである。しかし私の前から退いた日常の顔回を見ていると、その行いは私の言ったことを更に発展させており、私の言葉を十分に理解している。顔回は決して愚か者などではない。

子曰:、吾與回言終日、不違如愚。退而省其私、亦足以發。回也不愚。

子曰く、「吾回と言うこと終日、違わざること愚なるが如し。退きて其の私を省すれば、亦た以て發するに足る。回や愚ならず。」

<語釈>
○「回」、孔安國曰く、回は、弟子なり、姓は顔、名は回、字は子淵。○「不違如愚」、集解:孔安國曰く、違わざるとは、孔子の言に怪問する所無く、黙して之を識ること愚者の如きなり。○「足以發」、朱注:發は、言う所の理を發明するを謂う。

<解説>
この節は孔子が顔回を誉めたものである。顔回は弟子の中で孔子が最も愛した弟子であり、その資質を高く評価していた。しかし三十二歳の若さで孔子より先に亡くなり、孔子の落胆は大きかったようである。

『呉子』圖國第一 第五章

2020-06-28 10:26:43 | 漢文
第五章
魏の武侯は尋ねた、「どうか軍を整え治め、兵士たちの才能を見極め、国家の守りを固くする方法を聞かせてもらいたい。」呉子は答えた、「昔の賢明な王は君臣の礼を大切にし、身分の威儀を整え飾り、役人と庶民とを安住させ、その地の風俗に従って民を教え導いて、すぐれた人材を選び募って、万一の戦争に備えたのであります。昔、斉の桓公は士五万人を募って覇者となり、晋の文公は先陣を成す勇士四万人を集めて志を得て覇者となり、秦の繆公は敵陣を陥れる突撃部隊三万人を組織して周囲の敵国を服従させました。だから強国の君主は必ず我が民の能力力量を推し図ります。そして胆力勇気があり精神力の強い者を集めて一部隊を編成します。死を厭わずに進んで戦い力を発揮して、真心と勇気を顕そうとする者を集めて一部隊を編成します。高く飛び上がり遠方まで疲れずに行くことができ、敏速によく走ることができる者を集めて一部隊を編成します。現在罪を犯して臣下ではないが、功績を挙げて君主に認めてもらいたいと望んでいる者を集めて一部隊を編成します。一度は城を棄てて守りを放棄したが、その恥を何とか雪ぎたいと思っている者を集めて一部隊を編成します。この五つの部隊は軍の精鋭部隊であります。このような精兵が三千人もいれば、敵に囲まれたとしても、内より出撃してはどんな囲みも打ち破ることができ、外より攻め入ればどんな城でも攻め落とすことができるのであります。」

武侯問曰、願聞治兵、料人、固國之道。起對曰、古之明王、必謹君臣之禮、飾上下之儀、安集吏民、順俗而教、簡募良材、以備不虞。昔齊桓募士五萬、以霸諸侯。晉文召為前行四萬、以獲其志。秦繆置陷陳三萬、以服鄰敵。故強國之君、必料其民。民有膽勇氣力者、聚為一卒。樂以進戰效力、以顯其忠勇者、聚為一卒。能踰高超遠、輕足善走者、聚為一卒。王臣失位而欲見功於上者、聚為一卒。棄城去守、欲除其醜者、聚為一卒。此五者、軍之練銳也。有此三千人、内出可以決圍、外入可以屠城矣。

武侯問いて曰く、「願わくは兵を治め、人を料り、國を固くするの道を聞かん(注1)。」起對えて曰く、「古の明王は、必ず君臣の禮を謹み、上下の儀を飾り、吏民を安集し、俗に順いて教え、良材を簡募して、以て不虞に備う。昔齊桓は士五萬を募りて、以て諸侯に霸たり。晉文は前行を為す四萬を召して、以て其の志を獲たり。秦繆は陷陳三萬を置きて(注2)、以て鄰敵を服せり。故に強國の君は、必ず其の民を料る。民の膽勇氣力有る者は、聚めて一卒と為す。樂しみて以て進みて戰い、力を效して、以て其の忠勇を顯す者は、聚めて一卒と為す。能く高きを踰え遠きを超え、輕足にして善く走る者は、聚めて一卒と為す。王臣の位を失いて功を上に見わさんと欲する者は、聚めて一卒と為す。城を棄て守りを去りて、其の醜を除かんと欲する者は,聚めて一卒と為す。此の五者は軍の練銳なり。此の三千人有れば、内より出でては以て圍みを決す可く、外より入りては以て城を屠る可し。」

<語釈>
○注1、直解:武侯は魏の文侯の子、名は撃、呉起に問いて曰く、願わくは師旅を整治し、敵情を料度し、國家を固守するの、三者の道を聞かん。直解は「料人」を敵情を料度するの意に解しているが、これは採用しない。自軍の兵たちの才能を推し図る意に解す。○注2、「陷陳」は敵陣を陥れる意で、突撃部隊を指す。

<解説>
いつの世も同じである。人材こそが命である。戦いに勝つためには精鋭部隊を編成することが大事であると説いている。しかしこれは一面真理であるが、必ずしもそうでないこともある。漢の劉邦と楚の項羽との戦いを見ればよく分かる。劉邦の軍は烏合の衆の集りで、項羽の軍は精鋭部隊であった。だから初めの内は劉邦の軍が圧倒的に負けていた。しかし最終的には烏合の衆の多さに少ない精鋭部隊が敗れる形となった。長期戦になれば精鋭部隊と雖も次第にやせ細っていくし、精鋭部隊はそう簡単に補充がきかない。消耗戦になれば、圧倒的に数が多い方が勝つのである。呉子がこの楚漢の戦いを見ていれば、どのように思うか興味のある所である。

『論語』為政第二 20、21、22章

2020-06-11 10:41:45 | 漢文
20
孔子言う。私は十五歳にして五経の学問に志し、三十歳にして五経全てを学び終え、四十歳になって事理に通じて迷わなくなり、五十歳にして天の命ずる所を知り、その本源を理解できるようになり、六十歳にして知識も博くなり、人の言う事を聞けば、直ちにその理を理解することができるようになり、七十歳になれば心の欲するままに行動しても人道から外れることがなくなった。

子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。

子曰く、「吾十有五にして學に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に從えども、矩を踰えず。」

<語釈>
○「志于學、三十而立」、學について、朱子は、「古は十五にして大學に入る」と述べ、学校の大学に解しているが、清の方觀旭云う、「尚書周傳に云う、王子・公卿・大夫・元士の適子は、十五にして小學に入り、二十にして大學に入る、書傳略説に云う、餘子十五にして小學に入り、十八にして大學に入る、並に十五にして大學に入るの文無し。」これにより朱氏の説は無理があるようだ。皇侃云う、「古の人、三年にして一經に明らか、十五従り三十に至るまで、是れ又十五年、故に五経の業に通ず。」これにより「學」は五経の学問と理解し、一經に三年かけて、十五年で五経を学び終えたと解釈する。○「知天命」、天の命ずる所を知るということであるが、これには二つの意味がある。一つは世の中の出来事や己の行動などは全て天の意思である、所謂天命であり、先ずこの事を理解することである。二つ目はこの天の意思は何に基づいているのか、その本源は何かということを明らかにすることである。○「六十而耳順」、皇侃云う、順は、逆わざるを謂う、人は年六十、識知廣博、凡そ厥の萬事、悉く觀見を須うるを待たず、但に其の言を聞き、即ち其の微旨を解す、是れ聞く所耳に逆わず、故に耳順うと曰うなり。」

<解説>
よく知られた章である。人間の成長について述べている。人間の成長は、学問と共に在るということが一番大切なことであり、その行きつく所は、「七十にして心の欲する所に從えども、矩を踰えず。」と言う境地である。無理をせず自然のままに行動していても人道から外れず、生活を楽しむことができるのは誠に人格の完成である。『中庸』の第二十章に、「誠は天の道なり、之を誠にする者は人の道なり、誠は勉めずして中り、思わずして得、従容として道に中る。」とあり、當に孔子のこの言葉を言ったものであろう。

21
魯の大夫孟懿子が孝について孔子に尋ねた。孔子は、「違わないことです。」と答えた。その帰り道、御者をしている弟子の樊遲に、「孟孫氏が私に孝について尋ねたので、違わないことだとだ、と答えたよ。」と話された。すると樊遲は、「それはどういうう意味ですか。」と尋ねた。そこで孔子は、「親が生きている時は礼を以て仕え、死んだ時は礼を以て葬り、年次の祭りは礼を以て営むということで、違わないと言うことは礼に違わないことであって、親の命令に違わない事ではない。」と説明した。

孟懿子問孝。子曰、無違。樊遲御。子告之曰、孟孫問孝於我。我對曰、無違。樊遲曰、何謂也。子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮。

孟懿子、孝を問う。子曰く、「違うこと無し。」樊遲御たり。子、之に告げて曰く、「孟孫、孝を我に問う。我對えて曰く、『違うこと無し。』」樊遲曰く、「何の謂ぞや。」子曰く、「生けるには之に事うるに禮を以てし、死せるには之を葬るに禮を以てし、之を祭るに禮を以てす。」

<語釈>
○「孟懿子」、孔安國曰く、魯の大夫仲孫何忌なり。○「樊遲御」、朱注:樊遲は孔子の弟子、名は須、御は、孔子の為に車を御するなり。○「子告之」、朱注:夫子、懿子未だ達せずして問うこと能わざるを以て、其の指を失いて親の令に從うを以て孝と為さんことを恐れ、故に樊遲に語りて以て之を發す。

<解説>
この時代、いずれの国も君主の権力が弱まり、公族が力を増していた。とくに魯の国ではそれが顕著で、三桓氏と言われる季孫氏・孟孫氏・叔孫氏の三家が国政を握り、僭越な行いが多かった。そこで孔子は、「違うこと無し」と述べ、非礼な行いを誡めようとしたのである。

22
孟武伯は孝について尋ねた。孔子は答えた、「父母というものは、常に子供が病にかからないかと心配しているものです。だから体を大切にすることが親孝行になります。」

孟武伯問孝。子曰、父母唯其疾之憂。

孟武伯、孝を問う。子曰く、「父母は唯だ其の疾を之れ憂う。」

<語釈>
○「孟武伯」、集解:馬融曰く、武伯は懿子の子仲孫彘なり、武は謚なり。

<解説>
この内容は今の時代も同じである。親という者は常に子供の体の事を心配する。これは親になればだれもが感じることである。

『呉子』圖國第一 第四章

2020-05-31 10:30:35 | 漢文
第四章
呉子は言う。およそ戦争が引き起こされる原因は五つある。第一は天下の王者・覇者になろうとして名声を争う場合、第二は他国に侵略して利益を得ようとして争う場合、第三は両国がお互いに憎しみを積み重ねて争う場合、第四は国内が乱れて争う場合、第五は飢饉などにより民が苦しんでいるのに兵を起こして争う場合である。軍はその特徴から五つの名称がある。第一は義兵、第二は彊兵、第三は剛兵、第四は暴兵、第五は逆兵と言う。暴政を禁じ世の乱れを救う軍を義兵と言う。強大な兵力に頼って隣国を侵す軍を彊兵と言う。積み重ねた憎しみにより戦争を引き起こして互いに争う軍を剛兵と言う。他国に対する礼儀を捨て、その国の乱れに乗じて利益のために侵略する軍を暴兵と言う。飢饉などにより民が飢え、国が疲弊しているにもかかわらず戦争を起こして戦う軍を逆兵と言う。以上五つの軍に対してはそれぞれ斥ける方法がある。義兵に対しては、名分が義であるので、それを成し遂げればこちらも礼儀を以て対応すれば、相手もそれ以上の行為は名を穢すことになるので自然と退却する。彊兵に対しては、へりくだって逆らわず相手を驕らせて、こちらを軽んじて隙が出来たときを狙って斥ける。剛兵に対しては、ひたすらへりくだって相手の怒りを和らげて退却させる。暴兵に対しては敵を欺く計略を用いて斥ける。逆兵に対しては、相手国の乱れや疲れを利用して種々の計略を用いて退却させる。

呉子曰、凡兵之所起者有五。一曰爭名。二曰爭利。三曰積惡。四曰內亂。五曰因饑。其名又有五。一曰義兵。二曰彊兵。三曰剛兵。四曰暴兵。五曰逆兵。禁暴救亂曰義、恃衆以伐曰彊、因怒興師曰剛、棄禮貪利曰暴、國亂人疲舉事動衆曰逆。五者之服、各有其道。義必以禮服、彊必以謙服、剛必以辭服、暴必以詐服、逆必以權服。

吳子曰く、「凡そ兵の起こる所の者五有り。一に曰く、名を爭う。二に曰く、利を爭う。三に曰く、惡みを積む(注1)。四に曰く、內亂る。五に曰く、饑に因る。其の名又五有り。一に曰く、義兵。二に曰く、彊兵。三に曰く、剛兵。四に曰く、暴兵。五に曰く、逆兵。暴を禁じ亂を救うを義と曰い、衆を恃みて以て伐つを彊と曰い、怒に因りて師を興すを剛と曰い、禮を棄て利を貪るを暴と曰い、國亂れ人疲れたるに事を舉げ衆を動かすを逆と曰う(注2)。五者の服に、各々其の道有り。義は必ず禮を以て服し(注3)、彊は必ず謙を以て服し(注4)、剛は必ず辭を以て服し(注5)、暴は必ず詐を以て服し(注6)、逆は必ず權を以て服す(注7)。」

<語釈>
○注1、直解:其の兩國の君臣惡みを積み、兵を起こして之を征する者なり。○注2、直解:國中自ら亂れ、人民疲困するに、又事を舉げ衆を動かして、征伐すること已まず、是を名づけて逆と曰う。国を他国に解する説もある。直解の説がよいと思う。○注3、直解:若し彼既に能く暴を禁じて亂を救い、以て其の義を行わば、必ず敢て非禮に動かず、我は則ち典禮を修飾し、其れをして之を聞かしめば、自然に罷め去らん、是れ禮を以て之を服すと謂う。○注4、直解:彼既に其の強盛に恃めば、我は則ち示すに謙卑を以てす、即ち卑にして之を驕らすの謂なり、彼必ず我を輕んぜん、然る後以て隙に乘じて之を破る可し、是れ謙を以て強を服するなり。○注5、服部宇之吉氏云う、「怒りに因って我を伐つ者には我も亦た巧みに辭を以て其の怒りを和ぐる時は、彼自ら退くべし。」直解は、相手が怒りに因ってやってくるので、更に悪言を投げかけて怒りをあおり、守りを固めて、相手が怠帰する時を狙って奇襲攻撃をする、という意味に解している。「剛必以辭服」から直解の解釈は少し飛躍しすぎる感があるので、服部宇之吉氏の説を採用する。○注6、直解:禮を棄て利を貪る凶暴の兵は、必ず深謀無くして、利を争うを惟う、我は則ち詭詐の法を以て服するなり。○注7、直解:彼既に國亂れ民疲れたるに、復た兵革の事を舉げ、大衆を動かし起こして來り戰えば、我は則ち其の變勢に因りて其の權謀を制し、以て之を服するなり。

<解説>
戦争が引き起こされる原因を挙げ、その対応策を述べている。乃ちこの章は攻撃について述べるのでなく、守備の立場について述べており、その対抗手段は外交により戦争を避けるものである。

『論語』為政第二 17、18、19章

2020-05-20 10:20:07 | 漢文
17
孔子言う。徳によって政治を行うのは、譬えて言えば北極星が中心に有って、多くの星がそれに引き寄せられて周囲を巡っているようなもので、徳こそ社会の中心であって、有徳の人が治めていれば自然と天下はその人を中心に帰服するであろう。

子曰、為政以德、譬如北辰居其所、而衆星共之。

子曰く、「政を為すに德を以てするは、譬えば北辰の其の所に居て、衆星之に共うが如し。」

<語釈>
○「衆星共之」、朱注:「共」は、向なり。

<解説>
孔子の政治における根本思想は徳治主義である。それを為政篇の冒頭ではっきりと述べ、己の思想を明らかにしているのである。その内容については、范氏云う、「政を為すに徳を以てせば、則ち動かずして化し、言わずして信ぜられ、為す無くして成り、守る所の者は、至(「甚」の義に読む)しく簡にして能く煩を御し、處る所の者は、至だしく静にして能く動を制し、務むる所の者は、至しく寡くして能く衆を服す。」

18
孔子言う。『詩経』は三百篇あって、その内容はさまざまであるが、一言でその内容を言い表すなら、思い邪為し、という語であって、乃ち全ての詩において作者に邪な心がないということである。

子曰、詩三百、一言以蔽之。曰、思無邪。

子曰く、「詩三百、一言以て之を蔽う。曰く、思い邪無しと。」

<語釈>
○「詩三百」、『詩経』は本来三百十一篇有ったとされているが、現在伝わっているものは三百五篇である。詩三百はその概数を言ったもの。○「蔽」、朱注:蔽は猶ほ蓋なり。“おおう”と訓ず。○「思無邪」、『詩経』の魯頌の駉(ケイ)篇の句である。

<解説>
『詩経』は『書経』と共に中国最古の文献であり、自然、恋、苦悩などが歌われており、人間の純真な心であふれている。孔子はこのような人間性が学問をする者にとって大事であるとし、弟子たちに教えた。このことからも孔子の人間性が理解され、単なる思想家でないことを教えられる。

19
孔子言う。人民を導くのに法制や禁令を以てし、それに従わない者は一様に従わせるために刑罰を以てすれば、人民は刑罰を免れさえすればよいと考え、悪事を働いても恥ずかしいと思わなくなる。人民を導くのに徳を以てし、礼儀を以て一様に統制すれば、人民は悪事を働く事を恥ずかしいと思うようになり、自然と善に至るようになる。

子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥。道之以德、齊之以禮、有恥且格。

子曰く、「之を道くに政を以てし、之を齊しくするに刑を以てすれば、民免れて恥づる無し。これを道くに德を以てし、之を齊しくするに禮を以てすれば、恥づる有りて且つ格る。」

<語釈>
○「道」、朱注:道は、引導なり。“みちびく”と訓ず。○「政」、朱注:政は、法制。禁令を謂う。○「齊」、朱注:之を一にする所以なり。“ひとしい”と訓ず。○「格」、朱注:格は、至なり。

<解説>
この節も孔子の政治学の根本である徳治主義を述べたもので、政刑と徳礼との区別を明らかにし、徳礼が政治の根本であることを説いている。この章の首節の17節を参照して読めばより明らかになる。