『中庸』第三十節~第三十一節
第三十節
孔子が言われた、「世の中には、自分が愚かであることに気づかずに、何事も己の意志で勝手気ままに処理したり、低い位にありながら、勝手気ままに事を進めたり、今の世に生きていながら、むやみに古の道が正しいと思い込み、其れに返ろうとする者がいる。このような者は、徳・位・時をよく理解して、それを尊重しない者であり、必ず其の身に災いが及ぶであろう。」このように孔子は、たとえ君子であっても、礼義を定めたり、度量衡を統一したり、書の文字を同一にしたりすることは、天下万民が服し行い用いるものであるから、天子の位に就いていなければ、軽々しくそれらを為してはいけないと戒めておられる。ところで今の世の中は、車の軌道の寸法も同じになり、文字も統一され、行うべき道も、それぞれに見合った礼が定められている。それだから、これらを更に改めて、礼楽を作ろうとすることは、たとえ天子の位に就いていても、実に聖人の徳を身に備えていなければ行うべきでなく、たとえ聖人の徳を備えていても、天子の位に就いていなければ行うべきでない。礼楽を作る者は、必ず聖人にして天子の位に在る者でなければならないのである。
子曰、愚而好自用、賤而好自專、生乎今之世、反古之道。如此者、烖及其身者也。非天子、不議禮、不制度、不考文。今天下、車同軌、書同文、行同倫。雖有其位、苟無其、不敢作禮樂焉。雖有其、苟無其位、亦不敢作禮樂焉。
子曰く、「愚にして自ら用うるを好み、賤にして自ら專らにするを好み、今の世に生まれて、古の道に反る。此の如き者は、烖(わざわい)其の身に及ぶ者なり。」天子に非ざれば、禮を議せず、度を制せず、文を考えず。今天下、車は軌を同じくし、書は文を同じくし、行は倫を同じくす。其の位に有りと雖も、苟しくも其の無ければ、敢て禮樂を作らず。其の有りと雖も、苟しくも其の位無ければ、亦た敢て禮樂を作らず。
<語釈>
○「烖」、「災」の本字。○「倫」、道としての礼。
第三十一節
孔子が言われた、「私は夏の礼を人々に説くことを望んだが、夏の子孫である杞国には、私の言葉を証拠立てるものが不十分であった。そこで私は殷の礼を学んだが、それは宋の国で伝えられているだけで、又私の言葉を証拠立てるには不十分であった。そこで私は更に周の礼を学んだ。これは今現在行われているものであり、その資料とすべきものは十分にあるので、私はこの周の礼に従っているのである。」そこで天下を治める王として、夏・殷・周三代の聖王の禮を身に備えていれば、道を踏み外し、過ちを犯すことはない。しかし身は尊い王の位に在って三代の禮を身に備えていても、其れを証拠立てるものが無ければ、民は信じないし、信じられなければ民も安心して従わない。又孔子のように善を民に示すことが出来る聖人も位が低ければ、民は信じて従うことは出来ない。それだから天下に王たる者は、三代の禮を身に備えて、其れに基づいて治世を行い、その禮徳を庶民に明らかに示すと同時に常に三王に照らし合わせて、道から外れて誤る事が無く、天地の道に照らしても背くことが無いように務めなければならない。そうすれば鬼神に其の証を求めても疑念が無く、道の則は一なので、百世後の聖人でも、其の道は同じなので惑うことがない。鬼神に其の証を求めても疑念が無いということは、鬼神は天地の心なので、天を知っていると謂うことである。百世後の聖人に惑うことがないというのは、聖人の道は人倫の極みであるので、それは人を知っていると謂うことである。それ故に天下に王たる者の、その動作は天下の道となり、その行為は天下の法となり、その言論は天下の法則となる。だから王から遠く離れている人々は、王の姿を仰ぎ望んでその大徳を慕い、近くの人々は、常に王の大徳に接していながらも、飽くことを知らないのである。『詩経』周頌振鷺篇にも、「かしこに在っても、惡まれるようなことは無く、ここに在っても忌み嫌われるようなことは無く、万民に褒め称えられている、だから出来れば終日勉励して、この誉れを何時までも長く持ち続けてほしい。」と詠われているように、君子たる者で、万民から惡まれ嫌われることもないようにならないで、天下に誉れを舉げる者はいないのである。
子曰、吾說夏禮、杞不足徵也。吾學殷禮、有宋存焉。吾學周禮、今用之。吾從周。」王天下有三重焉、其寡過矣乎。上焉者雖善無徵。無徵不信。不信民弗從。下焉者雖善不尊。不尊不信。不信民弗從。故君子之道本諸身、徵諸庶民、考諸三王而不繆、建諸天地而不悖、質諸鬼神而無疑、百世以俟聖人而不惑。質諸鬼神而無疑、知天也。百世以俟聖人而不惑、知人也。是故君子動而世為天下道、行而世為天下法、言而世為天下則。遠之則有望、近之則不厭。詩曰、在彼無惡、在此無射。庶幾夙夜、以永終譽。」君子未有不如此、而蚤有譽於天下者也。
子曰く、「吾、夏の禮を説かんとするも、杞は徵するに足らざるなり。吾、殷の禮を學びしが、宋の存する有り。吾、周の禮を學びたりしが、今之を用う。吾は周に從わん。」天下に王たるに三重有らば、其れ過寡からんや。上なる者は善なりと雖も徵無し。徵無ければ信ぜず。信ぜざれば民從わず。下なる者は善なりと雖も尊からず。尊からざれば信ぜず。信ぜざれば民從わず。故に君子の道は諸を身に本づけ、諸を庶民に徵し、諸を三王に考えて繆らず、諸を天地に建てて悖らず、諸を鬼神に質(ただす)して疑無く、百世以て聖人を俟ちて惑わず。諸を鬼神に質して疑無きは、天を知ればなり。百世以て聖人を俟ちて惑わざるは、人を知ればなり。是の故に君子は動きては世々天下の道と為り、行いては世々天下の法と為り、言いては世々天下の則と為る。之に遠ければ則ち望む有り、之に近きも則ち厭かず。詩に曰く、「彼(かしこ)に在りて惡まるること無く、此に在りて射(いとう)わるること無し。庶幾くは夙夜以て永く譽を終えん。」君子未だ此の如くならずして、而も蚤に天下に譽有る者は有らざるなり。
<語釈>
○「三重」、諸説有り。鄭注は三王の礼、乃ち夏・殷・周三代の聖王の禮だとし、朱子は議礼・制度・考文だとし、仁齋は徳・位・時だとする。定め難いが、鄭注に基づき解釈する。○「上焉者」、鄭玄は、上は君なりと謂い、朱子は、上なる者は、時の王以前を謂う、夏・商の禮の如しと謂う。朱子説を採用する方が多数であるが、下句の「下」と合わせて、全体を考えて、鄭玄説を採用する。○「下焉者」、鄭玄は、下は臣なりと謂う、朱子は、聖人にして下に在るを謂う、孔子の如しと謂う。朱子説に従う。○「詩」、『詩経』周頌振鷺篇。○「射」、いとうと訓じ、厭うこと。○「夙夜」、終日。○「庶幾」、二字で冀(こいねがう)うと読む。
<解説>
二十七節で聖人の道を具体的に顕したものが禮制であると述べられていたが、それを実践する立場にある王たるべき聖人は如何に在るべきかと云うことが、この三十・三十一節で説かれている。乃ち王たる者は、必ず聖人の徳を身に備え、且つそれを民に明示して、その上で民を従わせるものである。そうすることによって、万民から惡まれ嫌われることもなく、敬い慕うわれる。そうなることによって、新たな禮楽も作ることが出来る。この節の結びの言葉、「礼楽を作る者は、必ず聖人にして天子の位に在る者でなければならない。」は、今の我々には、理解も納得も出来ない言葉であるが、歴史による価値観の違いとは、こんなものであろうか。
第三十節
孔子が言われた、「世の中には、自分が愚かであることに気づかずに、何事も己の意志で勝手気ままに処理したり、低い位にありながら、勝手気ままに事を進めたり、今の世に生きていながら、むやみに古の道が正しいと思い込み、其れに返ろうとする者がいる。このような者は、徳・位・時をよく理解して、それを尊重しない者であり、必ず其の身に災いが及ぶであろう。」このように孔子は、たとえ君子であっても、礼義を定めたり、度量衡を統一したり、書の文字を同一にしたりすることは、天下万民が服し行い用いるものであるから、天子の位に就いていなければ、軽々しくそれらを為してはいけないと戒めておられる。ところで今の世の中は、車の軌道の寸法も同じになり、文字も統一され、行うべき道も、それぞれに見合った礼が定められている。それだから、これらを更に改めて、礼楽を作ろうとすることは、たとえ天子の位に就いていても、実に聖人の徳を身に備えていなければ行うべきでなく、たとえ聖人の徳を備えていても、天子の位に就いていなければ行うべきでない。礼楽を作る者は、必ず聖人にして天子の位に在る者でなければならないのである。
子曰、愚而好自用、賤而好自專、生乎今之世、反古之道。如此者、烖及其身者也。非天子、不議禮、不制度、不考文。今天下、車同軌、書同文、行同倫。雖有其位、苟無其、不敢作禮樂焉。雖有其、苟無其位、亦不敢作禮樂焉。
子曰く、「愚にして自ら用うるを好み、賤にして自ら專らにするを好み、今の世に生まれて、古の道に反る。此の如き者は、烖(わざわい)其の身に及ぶ者なり。」天子に非ざれば、禮を議せず、度を制せず、文を考えず。今天下、車は軌を同じくし、書は文を同じくし、行は倫を同じくす。其の位に有りと雖も、苟しくも其の無ければ、敢て禮樂を作らず。其の有りと雖も、苟しくも其の位無ければ、亦た敢て禮樂を作らず。
<語釈>
○「烖」、「災」の本字。○「倫」、道としての礼。
第三十一節
孔子が言われた、「私は夏の礼を人々に説くことを望んだが、夏の子孫である杞国には、私の言葉を証拠立てるものが不十分であった。そこで私は殷の礼を学んだが、それは宋の国で伝えられているだけで、又私の言葉を証拠立てるには不十分であった。そこで私は更に周の礼を学んだ。これは今現在行われているものであり、その資料とすべきものは十分にあるので、私はこの周の礼に従っているのである。」そこで天下を治める王として、夏・殷・周三代の聖王の禮を身に備えていれば、道を踏み外し、過ちを犯すことはない。しかし身は尊い王の位に在って三代の禮を身に備えていても、其れを証拠立てるものが無ければ、民は信じないし、信じられなければ民も安心して従わない。又孔子のように善を民に示すことが出来る聖人も位が低ければ、民は信じて従うことは出来ない。それだから天下に王たる者は、三代の禮を身に備えて、其れに基づいて治世を行い、その禮徳を庶民に明らかに示すと同時に常に三王に照らし合わせて、道から外れて誤る事が無く、天地の道に照らしても背くことが無いように務めなければならない。そうすれば鬼神に其の証を求めても疑念が無く、道の則は一なので、百世後の聖人でも、其の道は同じなので惑うことがない。鬼神に其の証を求めても疑念が無いということは、鬼神は天地の心なので、天を知っていると謂うことである。百世後の聖人に惑うことがないというのは、聖人の道は人倫の極みであるので、それは人を知っていると謂うことである。それ故に天下に王たる者の、その動作は天下の道となり、その行為は天下の法となり、その言論は天下の法則となる。だから王から遠く離れている人々は、王の姿を仰ぎ望んでその大徳を慕い、近くの人々は、常に王の大徳に接していながらも、飽くことを知らないのである。『詩経』周頌振鷺篇にも、「かしこに在っても、惡まれるようなことは無く、ここに在っても忌み嫌われるようなことは無く、万民に褒め称えられている、だから出来れば終日勉励して、この誉れを何時までも長く持ち続けてほしい。」と詠われているように、君子たる者で、万民から惡まれ嫌われることもないようにならないで、天下に誉れを舉げる者はいないのである。
子曰、吾說夏禮、杞不足徵也。吾學殷禮、有宋存焉。吾學周禮、今用之。吾從周。」王天下有三重焉、其寡過矣乎。上焉者雖善無徵。無徵不信。不信民弗從。下焉者雖善不尊。不尊不信。不信民弗從。故君子之道本諸身、徵諸庶民、考諸三王而不繆、建諸天地而不悖、質諸鬼神而無疑、百世以俟聖人而不惑。質諸鬼神而無疑、知天也。百世以俟聖人而不惑、知人也。是故君子動而世為天下道、行而世為天下法、言而世為天下則。遠之則有望、近之則不厭。詩曰、在彼無惡、在此無射。庶幾夙夜、以永終譽。」君子未有不如此、而蚤有譽於天下者也。
子曰く、「吾、夏の禮を説かんとするも、杞は徵するに足らざるなり。吾、殷の禮を學びしが、宋の存する有り。吾、周の禮を學びたりしが、今之を用う。吾は周に從わん。」天下に王たるに三重有らば、其れ過寡からんや。上なる者は善なりと雖も徵無し。徵無ければ信ぜず。信ぜざれば民從わず。下なる者は善なりと雖も尊からず。尊からざれば信ぜず。信ぜざれば民從わず。故に君子の道は諸を身に本づけ、諸を庶民に徵し、諸を三王に考えて繆らず、諸を天地に建てて悖らず、諸を鬼神に質(ただす)して疑無く、百世以て聖人を俟ちて惑わず。諸を鬼神に質して疑無きは、天を知ればなり。百世以て聖人を俟ちて惑わざるは、人を知ればなり。是の故に君子は動きては世々天下の道と為り、行いては世々天下の法と為り、言いては世々天下の則と為る。之に遠ければ則ち望む有り、之に近きも則ち厭かず。詩に曰く、「彼(かしこ)に在りて惡まるること無く、此に在りて射(いとう)わるること無し。庶幾くは夙夜以て永く譽を終えん。」君子未だ此の如くならずして、而も蚤に天下に譽有る者は有らざるなり。
<語釈>
○「三重」、諸説有り。鄭注は三王の礼、乃ち夏・殷・周三代の聖王の禮だとし、朱子は議礼・制度・考文だとし、仁齋は徳・位・時だとする。定め難いが、鄭注に基づき解釈する。○「上焉者」、鄭玄は、上は君なりと謂い、朱子は、上なる者は、時の王以前を謂う、夏・商の禮の如しと謂う。朱子説を採用する方が多数であるが、下句の「下」と合わせて、全体を考えて、鄭玄説を採用する。○「下焉者」、鄭玄は、下は臣なりと謂う、朱子は、聖人にして下に在るを謂う、孔子の如しと謂う。朱子説に従う。○「詩」、『詩経』周頌振鷺篇。○「射」、いとうと訓じ、厭うこと。○「夙夜」、終日。○「庶幾」、二字で冀(こいねがう)うと読む。
<解説>
二十七節で聖人の道を具体的に顕したものが禮制であると述べられていたが、それを実践する立場にある王たるべき聖人は如何に在るべきかと云うことが、この三十・三十一節で説かれている。乃ち王たる者は、必ず聖人の徳を身に備え、且つそれを民に明示して、その上で民を従わせるものである。そうすることによって、万民から惡まれ嫌われることもなく、敬い慕うわれる。そうなることによって、新たな禮楽も作ることが出来る。この節の結びの言葉、「礼楽を作る者は、必ず聖人にして天子の位に在る者でなければならない。」は、今の我々には、理解も納得も出来ない言葉であるが、歴史による価値観の違いとは、こんなものであろうか。