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『大学』第二章第二節
詩に、「あの淇水の隈を眺めれば、緑色した竹が美しく生い茂っている。その竹のように外に現れた徳があや美しい君子は、骨や象牙を加工するように、又玉や石を磨くように、学問の修得に務めている。それ故に、そのような徳のあや美しい君子は、顔色は自信に溢れ厳かで美しく、性行は寛大で、威厳があり正しく礼儀に適っており、美しく照り亘っている。そのような君子は、人は何時までも忘れられない。」とある。「切するが如く磋するが如く」とは、懼れ慎み善事を学ぶことであり、「琢するが如く磨するが如し」とは、真心を以て身を修めることであり、「瑟たり僩たり」とは、修めた徳を行うに当って、引き締めて慎み深くすることを言っており、「赫たり喧たり」とは、修めた徳を行えば、姿かたちは美しく立派で、その威儀は徧く四方に及ぶことを言っている。「斐たる有る君子は、終に諠る可からず」とは、このように徳を修めた、斐然として文章ある君子は、民が皆これを愛し、忘れることができないことを述べている。詩に、「ああ、先王が忘れられない。」とある。これは、子孫の王たちが、聖王であった文王・武王の教えを受け継ぎ守って、賢者を尊び用いて国を治め、親族を和合させたので、国を安んずることができ、人民はその先王の恵みにより生活を楽しみ、衣食のための利を利することが出来たので、先王が世を去った後も、君子小人皆、忘れることが出来ないことを言っているのである。
詩云:「瞻彼淇澳、菉竹猗猗。有斐君子、如切如磋、如琢如磨。瑟兮僩兮、赫兮喧兮。有斐君子、終不可諠兮。」如切如磋者、道學也。如琢如磨者、自修也。瑟兮僩兮者、恂慄也。赫兮喧兮者、威儀也。有斐君子、終不可諠兮者、道盛至善、民之不能忘也。詩云、「於戲前王不忘。」君子賢其賢而親其親、小人樂其樂而利其利。此以沒世不忘也。
詩に云う、「彼の淇澳(キ・イク)を瞻れば、菉(リョク)竹、猗猗(イ・イ)たり。斐たる有る君子は、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し。瑟たり僩(カン)たり,赫たり喧たり。斐たる有る君子は、終に諠(わすれる)る可からず。」「切するが如く磋するが如し」とは、學ぶを道うなり。「琢するが如く磨するが如し」とは、自ら修むるなり。「瑟たり僩たり」とは、恂慄するなり。「赫たり喧たり」とは、威儀なり。「斐たる有る君子は、終に諠る可からず」とは、盛至善にして、民の忘るる能わざるを道うなり。詩に云う、「於戲(ああ)前王忘られず。」君子は其の賢を賢として其の親に親しみ、小人は其の樂しみを楽しみて其の利を利とす。此れを以て世を沒するも忘られざるなり。
<語釈>
○「詩云」、『詩経』国風、衛風、湛奥篇。○「淇澳」、「淇」は淇水。「澳」は川の隈。○「菉竹」、『詩経』は「緑竹」に作る。古来より三説ある。一は、毛伝による説で、緑を王芻、乃ちかりやすと言う草で、竹を篇竹、乃ちにわやなぎとする。二は、陸璣の『毛詩草木鳥獣魚疏』による説で、「菉竹」で竹に似た草の名とする。三は、朱子の説で、「菉竹」で緑色の竹とする。取り敢えず朱子説に従っておく。○「猗猗」、草木が美しく盛んなさま。○「有斐君子」、「斐」はあやのある美しいさま。斐然として文章ある君子。○「如切如磋」、「切」は骨を加工すること、「磋」は象牙を加工すること。○「如琢如磨」、「琢」は玉を加工すること、「磨」は石を加工すること。○「瑟兮僩兮」、正義に、「瑟然として顔色、矜荘、僩然として性行、寛大なり。」とある。乃ち顔色は自信に溢れ厳かであり、性行は寛大であること。○「赫兮喧兮」、正義に、「赫然として顔色、盛美、喧然として威儀、宣美なり。」とある。乃ち顔色は立派で美しく、威儀は美しく照り亘っていること。○「恂慄」、きびしく慎ましやか。○「君子賢其賢而~而利其利」、鄭注、「聖人既に賢に親しむの徳有り、其の政、又民を利するを楽しむ有り、君子小人各々以て之を思う有り。」聖人とは、文王・武王を指す。君子とは其の子孫の賢王を指す。小人は人民のこと。又正義に、「君子は皆此の前王の能く其の賢人を賢として其の族親に親しむを美とするを言うなり。小人は其の樂しみを楽しみて其の利を利とすとは、後世の卑賤小人、此れ前王能く其の楽しむ所を愛楽するを美とするを言う。」とある。
<解説>
前節の「意を誠にする」を承け、学問修徳の功に因りて、顔色は盛美にして威儀は宣美となり、世を没しても忘れられない君子となることを述べている。人は当然生まれながらの君子たる者はいない。常に怠らず学問修徳に勤め、敬しみぶかくあらねばならない。「切するが如く磋するが如く」、「琢するが如く磨するが如し」特に善事を学び、それによりわが身を磨くことに努力してこそ、君子となりうるのである。いつの時代も努力こそが尊いものである。