百三十七節
萬章は尋ねた。
「士たる者は、他国の諸侯に身を寄せて養われるものではないと言うのは、どうしてでございなすか。」
孟子は答えた。
「そういうことは、強いてやらないものである。諸侯が国を失って、他国の諸侯に身を寄せることは、対等の間柄だから礼に適っているが、士が諸侯に身を寄せることは、身分が違うのだから礼に外れている。」
萬章は言った。
「それでは、亡命先の君主が、哀れに思い食料をくれたときは、それを受けますか。」
「受ける。」
「それは何故でございますか。」
「君たる者は、民を救うのが務めだからだ。」
「では、救済なら受け取る、俸禄として下賜されたものなら受け取らないというのは、どういうわけでございますか。」
「受け取るわけにはいかないのだ。」
「強いてお尋ねします。受け取るわけにはいかないというのは、どういうことでございますか。」
「門番や夜警の者でも、一定の職務が有って禄を受けているのだ。職務もないのに禄を受けるのは、慎みのない行為だからだ。」
「救済として贈られたものなら受け取るとおっしゃいましたが、引き続き何回も受けてよいものでしょうか。」
「昔、魯の繆公は子思に対して、しばしば使者を遣わして安否を尋ね、しばしば鼎で煮た肉を贈られた。君命で贈られて来るので、その度に拝して受け取らねばならず、ありがた迷惑に思っていた。とうとうある日、使者を差し招いて、大門の外に出てもらい、北面して臣下の礼を取り、稽首再拝して贈り物を辞退して、『今になってやっと殿様が私を犬や馬あつかいをなさっておられるのが分かりました。』と言った。思うに、繆公も自分の非を悟り、それ以後下役に贈り物をを届けさせなかっただろう。いくら賢者を好むと言っても、挙用することもできず、正しいやり方で養うことができなくて、本当に賢者を好むと言えるだろうか。」
「あえてお尋ねします。国君が君主を養うことを望んだとして、どのようにしたら真に養うと申せるのでしょうか。」
「最初は君命として贈り物を届けさせ、受け取る側も再拝稽首して受け取るが、二回目以降は、穀物は倉庫係が、肉は料理係りがそれぞれ補給して、君命を表に出さないのである。子思は、鼎煮の肉に、いちいち再拝稽首して受け取らせる、それがが煩わしく、これは君子を養う道ではない、と思ったのだ。堯は舜に対して、九人の息子を舜に仕えさせ、二人の娘を舜に嫁がせ、多くの召使・牛・羊・穀物庫などを整えて郷村に住む舜を援助した。そうして舜の賢なるを見極めてから、高い地位、摂政に取り立てたのであった。だから私は、堯を王公の中で賢者を尊んだ者だと言うのである。」
萬章曰、士之不託諸侯、何也。孟子曰、不敢也。諸侯失國、而後託於諸侯、禮也。士之託於諸侯、非禮也。萬章曰、君餽之粟、則受之乎。曰、受之。受之何義也。曰、君之於氓也、固周之。曰、周之則受、賜之則不受、何也。曰、不敢也。曰、敢問其不敢何也。曰、抱關撃柝者、皆有常職以食於上。無常職而賜於上者、以為不恭也。曰、君餽之、則受之、不識可常繼乎。曰、繆公之於子思也、亟問、亟餽鼎肉。子思不悅。於卒也、摽使者出諸大門之外、北面稽首再拜而不受。曰、今而後知君之犬馬畜伋。蓋自是臺無餽也。悅賢不能舉、又不能養也、可謂悅賢乎。曰、敢問國君欲養君子、如何斯可謂養矣。曰、以君命將之、再拜稽首而受。其後廩人繼粟、庖人繼肉、不以君命將之。子思以為鼎肉、使己僕僕爾亟拜也。非養君子之道也。堯之於舜也、使其子九男事之、二女女焉、百官牛羊倉廩備、以養舜於畎畝之中、後舉而加諸上位。故曰、王公之尊賢者也。
萬章曰く、「士の諸侯に託せざるは、何ぞや。」孟子曰く、「敢てせざるなり。諸侯國を失いて、而る後諸侯に託すは、禮なり。士の諸侯に託するは、禮に非ざればなり。」萬章曰く、「君、之に粟を餽れば、則ち之を受けんか。」曰く、「之を受けん。」「之を受くるは何の義ぞや。」曰く、「君の氓に於けるや、固より之を周うべければなり。」曰く、「之を周えば則ち受け、之を賜えば則ち受けざるは、何ぞや。」曰く、「敢てせざるなり。」曰く、「敢て問う、其の敢てせざるは、何ぞや。」曰く、「抱關撃柝の者は、皆常の職有りて、以て上に食む。常の職無くして、上より賜る者は、以て不恭と為せばなり。」曰く、「君之を餽れば、則ち之を受くと、識らず、常に繼ぐ可きか。」曰く、「繆公の子思に於けるや、亟々問いて、亟々鼎肉を餽れり。子思悅ばず。卒りに於いてや、使者を摽(さしまねく)きて、諸を大門の外に出だし、北面し、稽首再拜して受けず。曰く、『今にして後、君の犬馬もて伋を畜いたるを知る。』蓋し是れ自り臺、餽ること無きなり。賢を悦びて舉ぐる能わず、又養う能わずんば、賢を悦ぶと謂う可けんや。」曰く、「敢て問う、國君、君子を養わんと欲す。如何にせば斯に養うと謂う可き。」曰く、「君命を以て之を將い、再拜稽首して受く。其の後は、廩人、粟を繼ぎ、庖人、肉を繼ぐ。君命を以て之を將わず。子思以為えらく、鼎肉、己をして僕僕爾として亟々拜せしむ,君子を養うの道に非ざるなり、と。堯の舜に於けるや、其の子九男をして之に事え、二女をして焉に女わし、百官・牛羊・倉廩備え、以て舜を畎畝の中に養わしむ。後、舉げて諸を上位に加う。故に曰く、『王公の賢を尊ぶ者也なり。』」
<語釈>
○「託」、朱注:「託」は「寄」なり、仕えずして其の禄を食むなり。○「周」、朱注:「周」は「救」なり。○「抱關撃柝」、前節に既出。○「臺」、趙注:臺は、賤官、使令を主る者なり。○「僕僕爾」、趙注:僕僕は、煩猥の貌。わずらわしく、みだりがわしい。
<解説>
この節は前半と後半とで論旨が異なっているようだ。前半では、士の諸侯に対する身の寄せ方を解いており、後半では賢者に対する道が説かれておるようである。特に解説することはないが、諸侯に身を寄せることは、身分が対等なら礼に適っており、身分違いなら禮に外れているとするなら、士が他国の士に寄食するのは礼に適っており、諸侯が他国の士に寄食するのは礼に外れていることになるのだろうか。