二百五十九節
弟子の萬章が孟子に尋ねて言った。
「孔子が陳の国で困窮したとき、故郷の魯に思いをはせて、『さあ、帰ろう。我が故郷の人たちは、志は大きいが、物事に対しては疎略で、大道を行うことを望みながら、道を得ることが出来ずにいる。そんな昔の仲間を忘れることが出来ない。』と言われたそうですが、孔子は陳の国にいながら、どうして魯の疎略な連中に思いを寄せたのでしょうか。」
孟子は言った。
「孔子は、『中庸の道を得た人と共にすることが出来ないなら、せめてがむしゃらに突き進む狂者か、保守的である獧者を選ぼう。狂者は積極的であり、獧者は保守的であるが、不善を為さない者である。』と考えたのだ。孔子がどうして中庸を得た者を求めないことがあろうか。ただそれが必ず見つかるとは限らないから、その次の狂獧の人たちを思ったのだ。」
「是非ともお尋ねしたいのですが、どのような人物を狂者と言うのでしょうか。」
「琴張・曾皙・牧皮のような人物は、孔子が狂者とする所の者だ。」
「どうして彼らを狂者と言うのですか。」
「志は大きいが、言うことも大きく、古の人、古の人、と常に古の聖人を引き合いに出すが、その行いを公平に考察すれば、その言葉通りの行いがなされていない。それが狂者というものだが、こんな狂者でもなかなか見つけることはできない。だから不潔な行いを潔しとしない人を探し出して、行動を共にしたいと願うわけで、これが獧者であり、狂者の次に来る者だ。」
「孔子は、『私の門前を通り過ぎながら、私の部屋に入った来なくとも、いっこうに残念だと思わない人は、郷原だけであろう。郷原は徳を残うものである。』と言われましたが、どういうのを郷原と言ってよいのですか。」
「郷原は、狂者を非難して、『どうしてあのように、志も言葉も大きいだけで、言葉に実行が伴わず、実行に言葉が伴わなず、ただ古の人、古の人と言うだけなのか。』評し、又獧者にたいしては、『どうして人と親しまず、何事も一人で行動するのだ。人としてこの世に生まれたら、人としてこの世に生き、世間から善く思われれば、それでよいのではないか。』と評す。本心を隠して世に媚びる者、それが郷原なのだ。」
萬章が言った。
「村中の人が、あの人は慎み深い言えば、どこへ行っても慎み深い人だと言われるでしょう。それなのに孔子が徳の賊だとされたのは、どうしてでしょうか。」
「これを非難しようとしても非難する所が無く、これを謗ろうとしても謗る所がない。堕落した世俗の流れにのり、汚れた世に合わせ、身の処し方は忠信に似ており、その行動は清廉潔白に見え、人々は皆その人に好感を寄せる。そして自分でもそれが正しいと思い込んでいるが、とてもではないが、この様な人間と堯舜の伝える真の道に入ることは出来ない。だからこれを徳の賊と呼んだのだ。孔子は、『表面上は似ているが、根本は全く異なっているものを憎む。たとえば莠を憎むのは、表面上は似ているのに、その実は苗に害を及ぼすからであり、口先だけの偽善者を憎むのは、それが義との区別を紛らわしくさせるからであり、口先だけが達者な人間を憎むのは、真実を紛らわせるからであり、淫靡な鄭の音楽を憎むのは、正しい古典音楽に紛らわしいからであり、紫色を憎むのは、純粋な朱色との区別を紛らわしくさせるからである。それらと同様に郷原を憎むのは、真に徳のある者との区別を紛らわしくさせるからである。』と言われた。君子たる者は、万世変わることのない常道に立ち返るだけである。常道さえ正しければ、庶民はいっせいに立ち上がる。庶民が立ち上がりさえすれば、郷原のようなまやかしの邪悪は無くなってしまうのだ。」
萬章問曰、孔子在陳曰、盍歸乎來。吾黨之士狂簡進取。不忘其初。孔子在陳、何思魯之狂士。孟子曰、孔子不得中道而與之、必也狂獧乎。狂者進取、獧者有所不為也。孔子豈不欲中道哉。不可必得。故思其次也。敢問何如斯可謂狂矣。曰、如琴張曾皙牧皮者、孔子之所謂狂矣。何以謂之狂也。曰、其志嘐嘐然。曰古之人、古之人、夷考其行、而不掩焉者也。狂者又不可得。欲得不屑不潔之士而與之。是獧也。是又其次也。孔子曰、過我門而不入我室、我不憾焉者、其惟鄉原乎。鄉原、德之賊也。曰、何如斯可謂之鄉原矣。曰、何以是嘐嘐也。言不顧行、行不顧言。則曰古之人、古之人。行何為踽踽涼涼。生斯世也、為斯世也。善斯可矣。閹然媚於世也者、是鄉原也。萬子曰、一鄉皆稱原人焉。無所往而不為原人。孔子以為德之賊、何哉。曰、非之無舉也、刺之無刺也。同乎流俗、合乎汙世。居之似忠信、行之似廉潔。衆皆悅之、自以為是、而不可與入堯舜之道。故曰德之賊也。孔子曰、惡似而非者。惡莠、恐其亂苗也。惡佞、恐其亂義也。惡利口、恐其亂信也。惡鄭聲、恐其亂樂也。惡紫,恐其亂朱也。惡鄉原、恐其亂德也。君子反經而已矣。經正、則庶民興。庶民興、斯無邪慝矣。
萬章問いて曰く、「孔子、陳に在りて曰く、『盍ぞ歸らざる。吾が黨の士は、狂簡にして進取なり。其の初めを忘れず。』孔子、陳に在りて、何ぞ魯の狂士を思うや。」孟子曰く、「孔子は、『中道を得て之に與せずんば、必ずや狂獧か。狂者は進んで取り、獧者は為さざる所有るなり。』と。孔子豈に中道を欲せざらんや。必ずしも得可からず。故に其の次を思うなり。」「敢て問う何如なれば斯に狂と謂う可き。」曰く、「琴張・曾皙・牧皮の如き者は、孔子の所謂狂なり。」「何を以て之を狂と謂うや。」曰く、「其の志嘐嘐(コウ・コウ)然たり。古の人、古の人と曰うも、其の行いを夷考すれば、焉を掩わざる者なり。狂者又得可からず、不潔を屑(いさぎよし)しとせざるの士を得て、之に與せんと欲す。是れ獧なり。是れ又其の次なり。」「孔子曰く、『我が門を過ぎて我が室に入らざるも、我焉を憾みざる者は、其れ惟だ鄉原か。鄉原は、德の賊なり。』」曰く、「何如なれば斯に之を鄉原と謂う可き。」曰く、「『何を以て是れ嘐嘐たるや。言は行いを顧みず。行いは言を顧みず。則ち古の人、古の人と曰う。行い何為れぞ踽踽(ク・ク)涼涼たる。斯の世に生まれては斯の世を為す。善せらるれば斯に可なり。』と。閹然として世に媚ぶる者は、是れ鄉原なり。」萬子曰く、「一鄉皆原人と稱す。往く所として原人為らざる無し。孔子以て德の賊と為すは、何ぞや。」曰く、「之を非るに舉ぐべき無く、之を刺(そしる)るに刺るべき無し。流俗に同じくし、汙世に合す。之に居ること忠信に似、之を行うこと廉潔に似たり。衆皆之を悅び、自ら以て是と為すも、而も與に堯舜の道に入る可からず。故に德の賊と曰う。孔子曰く、『似て非なる者を惡む。莠(ユウ)を惡むは、其の苗を亂るを恐るればなり。佞を惡むは、其の義を亂るを恐るればなり。利口を惡むは、其の信を亂るを恐るればなり。鄭聲を惡むは、其の樂を亂るを恐るればなり。紫を惡むは、其の朱を亂るを恐るればなり。鄉原を惡むは、其の徳を亂るを恐るればなり。』君子は經に反るのみ。經正しければ、則ち庶民興る。庶民興れば、斯に邪慝無し。」
<語釈>
○「狂簡進取」、朱注:「狂簡」は、志大にして事に略なるを謂う、「進取」は、求望高遠を謂う。○「不忘其初」、趙注:「不忘其初」とは、孔子、故舊を思うなり。○「狂獧」、服部宇之吉氏云う、「狂は過、獧(ケン)は不及、共に中道を逸す。○「嘐嘐然」、趙注:「嘐嘐」(コウ・コウ)は、志大、言大なる者なり。○「夷考」、趙注:「夷」は平なり。公平に考察すること。○「屑」、趙注:「屑」は、絜なり。○「過我門而不入我室」、趙注:人、孔子の門を過りて、入らざれば、則ち孔子之を恨む、獨り郷原の入らざる者は、恨むの心無きのみ、其の徳を賊うを以ての故なり。○「鄉原」、朱注:「原」は「愿」と同じ、謹愿の人を謂う。「謹愿」は謹み深いことだが、『字通』に洗練されない田舎者の頑固さを郷愿と謂うとある。こちらの意味が強い。○「踽踽涼涼」、朱注:「踽踽涼涼」は、親厚する所無し。踽踽(ク・ク)は、独行の意、ひとりで歩み、人と親しまないこと。○「閹然」、本心を隠して世に媚びること。○「莠」、音はユウ、はぐさ、苗を害する草。○「利口」、朱注:「利口」は、多言にして實あらざる者なり。○「經」、朱注:「經」は常なり、萬世不易の常道なり。
<解説>
この節から、孔子の人間性がよく分かる。教条主義に捉われることなく柔軟性に富んだものの考え方。ここに孟子には無い孔子の優れた特性がある。中庸の道を貴びながらも、現実問題として、そのような人物は極めて少ないので、その次に在る狂獧の者を大切にするのである。狂獧とは根本は似ているが、表面は異なっている者で、「似而非者」は表面は似ているが、根本は異なっている者である。孔子はこの「似而非者」を徳を乱す者として最も憎んだ。このことは『論語』でも述べられている。このことは又何事も根本が大切で、ここさえ押さえていれば、表面上のことは何とかなるものであるということをも教えている。