百二十四節
弟子の萬章が尋ねた。
「『詩経』に、『妻を娶るにはいかにせん、必ず父母に告げるべし。』とあります。この言葉が誠に正しいとするなら、舜の行動は許されないはずです。舜が父母に告げずに妻を娶ったのは、なぜでございましょう。」
孟子は答えた。
「舜は父母に憎まれているから、告げれば結婚の許可を得ることはできないのが分かっていた。男女が結婚して一つ屋根の下で暮らすことは、人として大切な道である。もし告げたなら、この大切な道を捨て去ることになり、更に父母を怨むようになる。だから告げなかったのだ。」
萬章は言った。
「舜が父母に告げずに結婚したわけはよく分かりました。しかし帝堯が舜の父母に告げずに娘を嫁がせたのは、なぜでございますか。」
「帝堯も告げれば、娘を嫁がせることが出来ない事を知っていたからだ。」
萬章は言った。
「舜の父母は、舜に穀物庫の修理を命じて、屋根に上がるとはしごを外し、父親の瞽瞍が穀物庫を燃やして殺そうとしました。又舜に井戸浚いを命じましたが、舜は危険を察知して逃げ出しましたが、それを知らずに井戸を塞いで殺そうとしました。異母弟の象は舜が死んだと思い、父母の所に行き、『井戸に蓋をして生き埋めにして殺すことを考え付いたのは俺の手柄だ。牛や羊は父母にやろう、穀物庫も父母にやろう。楯と矛は俺がもらう、琴と豪華な弓も俺がもらう、あの二人の兄嫁は俺の世話をさせよう。』と言い、舜の家に行くと、舜は寝台の上で琴をひいていました。象は驚いて、『兄さんの事が気がかりで、お顔を見に来ました。』と言ったものの。恥ずかしくてもじもじしている様子です。ところが舜はこれまで来たことがない象が来たことを喜び、『これらの家臣たちを、私に代わっておまえが指図してくれないか。』と言ったとのことです。私には分からないのですが、舜は象が自分を殺そうとしていることを知らなかったのですか。」
「どうして知らないことがあろうか。ただ兄の情として、象が憂えれば自分も憂え、象が喜べば自分も喜んだのだ。」
「それなら、舜はうわべだけで喜んだのですか。」
「そうではない。昔、鄭の子産に生魚を送った者がいた。子産はそれを川や沼を管理している小役人に池で飼育させた。ところが小役人は池に放たず煮て食べてしまって、子産には、『池に放した最初のうちは、おどおどした様子でしたが、しばらくすると、ゆったりと泳ぎだし、やがて深みに消えて行きました。』と報告した。子産は、『落ち着く所を得て、よかった、よかった。』と言った。小役人は退出するや、『誰が子産を智者だと言っているのだ。私が既に煮て食べてしまっているのに、それに気づきもしないで、落ち着く所へ行ってよかった、よかった、などと言っている。』と言ったそうだ。この話のように、君子は道理にかなった方法を用いれば、欺くことが出来るが、道に外れた方法で欺くことは難しい。あの象はたとえ偽りであっても、兄を愛しているという態度で来ているので、舜はそれをすっかり信じて喜んだのだ。何で偽ったりするものか。」
萬章問曰、詩云、娶妻如之何。必告父母。信斯言也、宜莫如舜。舜之不告而娶、何也。孟子曰、告則不得娶。男女居室、人之大倫也。如告、則廢人之大倫、以懟父母。是以不告也。萬章曰、舜之不告而娶、則吾既得聞命矣。帝之妻舜而不告、何也。曰、帝亦知告焉則不得妻也。萬章曰、父母使舜完廩、捐階、瞽瞍焚廩。使浚井。出。從而揜之。象曰、謨蓋都君咸我績。牛羊父母、倉廩父母、干戈朕、琴朕、弤朕、二嫂使治朕棲。象往入舜宮。舜在床琴。象曰、鬱陶思君爾。忸怩。舜曰、惟茲臣庶、汝其于予治。不識舜不知象之將殺己與。曰、奚而不知也。象憂亦憂、象喜亦喜。曰、然則舜偽喜者與。曰、否。昔者有饋生魚於鄭子產。子產使校人畜之池。校人烹之、反命曰、始舍之圉圉焉。少則洋洋焉。悠然而逝。子產曰、得其所哉、得其所哉、校人出、曰、孰謂子產智。予既烹而食之。曰、得其所哉、得其所哉。故君子可欺以其方。難罔以非其道。彼以愛兄之道來。故誠信而喜之。奚偽焉。
萬章問いて曰く、「詩に云う、『妻を娶るには之を如何せん。必ず父母に告ぐ。』斯の言を信ぜば、宜しく舜の如くなること莫かるべし。舜の告げずして娶るは、何ぞや。」孟子曰く、「告ぐれば則ち娶るを得ず。男女、室に居るは、人の大倫なり。如し告ぐれば、則ち人の大倫を廢し、以て父母を懟みん。是を以て告げざるなり。」萬章曰く、「舜の告げずして娶るは、則ち吾既に命を聞くことを得たり。帝の舜の妻わして告げざるは、何ぞや。」曰く、「帝も亦た告ぐれば則ち妻わすことを得ざるを知ればなり。」萬章曰く、「父母、舜をして廩を完めしめ、階を捐つ。瞽瞍、廩を焚く。井を浚えしむ。出づ。從って之を揜う。象曰く、『都君を蓋することを謨るは、咸我が績なり。牛羊は父母、倉廩は父母、干戈は朕、琴は朕、弤は朕、二嫂は朕が棲を治めしめん。』象往きて舜の宮に入る。舜床に在りて琴ひけり。象曰く、『鬱陶として君を思うのみ。』忸怩(ジク・ジ)たり。舜曰く、『惟れ茲の臣庶、汝其れ予に于て治めよ。』識らず、舜は象の將に己を殺さんとするを知らざるか。」曰く、「奚ぞ知らざらんや。象憂うれば亦た憂え、象喜べば亦た喜ぶ。」曰く、「然らば則ち舜は偽りて喜ぶ者か。」曰く、「否。昔者、生魚を鄭の子產に饋るもの有り。子產、校人をして之を池に畜わしむ。校人之を烹る。反命して曰く、『始め之を舍てば、圉圉焉たり。少くすれば則ち洋洋焉たり。悠然として逝けり。』子產曰く、『其の所を得たるかな、其の所を得たるかな。』校人出でて曰く、『孰か子產を智なりと謂う。予既に烹て之を食えり。曰く、其の所を得たるかな、其の所を得たるかな、と。』故に君子は欺くに其の方を以てす可し。罔うるに其の道に非ざるを以てし難し。彼、兄を愛するの道を以て來たる。故に誠に信じて之を喜ぶなり。奚ぞ偽らんや。」
<語釈>
○「詩」、齊風の南山篇。○「都君」、朱注:舜の居る所、三年にして都を成す、故に之を都君ち謂う。舜を指す。○「弤」、朱注:弤は琱弓なり。彫飾が施された弓。○「鬱陶」、気がかりで気持ちがはれないこと。○「忸怩」、心に羞じた様子。○「臣庶」、朱注:臣庶は百官を謂うなり。舜の家臣たち。○「校人」、趙注:校人は池沼を主どる小吏なり。○「圉圉焉」、のびやかでない貌。○「悠然而逝」、趙注:悠然は、迅やかに水を走りて深處に趣く。○「方」、朱注:「方」も亦た道なり。
<解説>
この舜の、家族に殺されそうになりながら、父母を思い、弟を思い、己の至らなさを反省して、家族に愛されようとするなど、今の我々には理解し難い話であるが、前節と合わせて、孝道の考え方を知るうえで貴重である。ただ『詩経』の、『妻を娶るには之を如何せん。必ず父母に告ぐ。』に対する孟子の答えは、何となくご都合主義の感がしないでもないが、趙岐の章指のも云う、「仁聖の存する所は大なり、小を舎て大に従うは、權を達するの義なり、告げずして娶るは、正道を守るなり。」