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『大学』第二章第四節
孔子は、「人々の間に争いごとが起こってから、其の訴えを聞いて、解決するのでは、私も一般の人と変らない。私はそれよりも人々に争いを起こさせないようにしたいものである。」と述べておられる。このように、真心の無い者はその訟も嘘偽りが多いので、其れをどれほど能く聞いて解決しても、それだけでは聖人も並の人と変らない。それよりも修得した徳を以て民を教化し、嘘偽りを以て訴えることは出来ないことを悟らせて、真実でない訴えをすることを畏怖させることである。このように徳を修めて、人民を誠にすることを本を知るというのである。
子曰、聽訟、吾猶人也、必也使無訟乎。無情者不得盡其辭、大畏民志。此謂知本。
子曰く、「訟を聽くは、吾猶ほ人のごときなり。必ずや訟無からしめんか。」情無き者をして其の辭を盡くすを得ざらしめて、大いに民の志を畏れしむ。此れを本を知ると謂うなり。
<語釈>
○「無情者~」、鄭注に、「情は猶ほ実のごときなり。実無き者は虚誕(うそいつわり)の辞多し。聖人の訟を聴くは人と同じきのみ。必ず民の実無き者をして敢て其の辞を尽くさざらしむ。大いに其の心志を畏れしむれば、其の意を誠にして敢て訟えざらしむ。」とある。○「此謂知本」、鄭注に、「本は其の意を誠にするを謂うなり。」とある。この「意」は第一節で述べた「君子の意」でなく、人民の意である。
<解説>
この孔子の言葉は『論語』顔淵篇にある。人々に争いごとが起こり、能くその訴えを聴いて解決することは大事であるが、其れは末事であって、徳を以て民を教化して訟を無くすことが本で、君子はそれに務めなければならないのである。徳を修める、意を誠にする、日々努力し、日々新たにし、見えない所でも善事を行う、これらの前述した事を以て、民を教化することに、日々努めることが、君子の為す可きことである、と述べて第二章の結びとしている。
『大学』第二章第四節
孔子は、「人々の間に争いごとが起こってから、其の訴えを聞いて、解決するのでは、私も一般の人と変らない。私はそれよりも人々に争いを起こさせないようにしたいものである。」と述べておられる。このように、真心の無い者はその訟も嘘偽りが多いので、其れをどれほど能く聞いて解決しても、それだけでは聖人も並の人と変らない。それよりも修得した徳を以て民を教化し、嘘偽りを以て訴えることは出来ないことを悟らせて、真実でない訴えをすることを畏怖させることである。このように徳を修めて、人民を誠にすることを本を知るというのである。
子曰、聽訟、吾猶人也、必也使無訟乎。無情者不得盡其辭、大畏民志。此謂知本。
子曰く、「訟を聽くは、吾猶ほ人のごときなり。必ずや訟無からしめんか。」情無き者をして其の辭を盡くすを得ざらしめて、大いに民の志を畏れしむ。此れを本を知ると謂うなり。
<語釈>
○「無情者~」、鄭注に、「情は猶ほ実のごときなり。実無き者は虚誕(うそいつわり)の辞多し。聖人の訟を聴くは人と同じきのみ。必ず民の実無き者をして敢て其の辞を尽くさざらしむ。大いに其の心志を畏れしむれば、其の意を誠にして敢て訟えざらしむ。」とある。○「此謂知本」、鄭注に、「本は其の意を誠にするを謂うなり。」とある。この「意」は第一節で述べた「君子の意」でなく、人民の意である。
<解説>
この孔子の言葉は『論語』顔淵篇にある。人々に争いごとが起こり、能くその訴えを聴いて解決することは大事であるが、其れは末事であって、徳を以て民を教化して訟を無くすことが本で、君子はそれに務めなければならないのである。徳を修める、意を誠にする、日々努力し、日々新たにし、見えない所でも善事を行う、これらの前述した事を以て、民を教化することに、日々努めることが、君子の為す可きことである、と述べて第二章の結びとしている。