百四節
孟子は言った。
「広く学んで事細かに説明するのは、その知識を誇る為ではない。要領を理解し、人に理解させるためである。」
孟子曰、博學而詳說之、將以反說約也。
孟子曰く、「博く學びて詳かに之を說くは、將に以て反って約を說かんとすればなり。」
<解説>
孔子の教学の要旨とされている、「博文約礼」について述べられた節である。『論語』第六雍也篇に「君子博く文を学びて、之を約するに禮を以てせば、亦た以て畔かざるべきか。」とある。この文章の趣旨と合わせて、この節を理解すべきである。
百五節
孟子は言った。
「己の善を人に押し付けて人を服従させることは決してできない。自ら善を行い、その仁愛を天下に及ぼして、始めて天下の人々は心服するのである。人々の心服を得ないで、天下の王者となった者は、今までに例がない。」
孟子曰、以善服人者、未有能服人者也。以善養人、然後能服天下。天下不心服而王者、未之有也。
孟子曰く、「善を以て人を服する者は、未だ能く人を服する者有らざるなり。善を以て人を養いて、然る後能く天下を服す。天下、心服せずして王たる者は、未だ之れ有らざるなり。」
<解説>
趙岐の章指に云う、「五伯は人を服し、三王は心を服す、其の服するは一なれども、功は則ち同じからず、上は堯舜を論ず、其れ是れ違わんか。」この趙岐の解釈以来、この節は王者と覇者との違いを説いたものとされている。覇者は善を天下を治める為の手段と考えているのに対して、善は先づ己の為すべきこととし、それに由り仁愛を施し、水が低きに流れるように、人々の心服を得るのが王者である。
百六節
孟子は言った。
「言葉に真実がないのは、不祥である。その最たるものは、君主に対して、賢者を覆い隠して埋もれさせる言葉である。」
孟子曰、言無實不祥。不祥之實、蔽賢者當之。
孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」
<解説>
この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。