柳 宗悦 「手仕事の日本」 岩波文庫 青169-2
1985年5月16日 第1刷
1992年4月6日 第14刷
手仕事の日本岩波書店このアイテムの詳細を見る |
著者(1889-1961)は明治22年3月21日、東京生まれ。海軍少将柳楢悦の三男。学習院高等科で武者小路実篤、志賀直哉らの文学グループに加わる。明治43年雑誌白樺創刊時の同人の一人。
この本は戦時中の昭和10年代後半(17年頃)に準備され、当時の日本出版文化協会の検閲を受け東雲堂の手で組版中に戦争激化にともない出版が中断。その後、靖文社の手に移り出版される(昭和23年6月5日)。
羽前村山の背中当
P250で熊倉功夫は「白樺派は覚醒した自我と天才の個性を重んじるが、柳は自我も個性も否定、自我が生じる以前の未分化の自然の中に根源を求める」と白樺派と柳の違いを説明。
柳は当時の朝鮮の文化に接し、美の創造主体が歴史に名を残す個人ではなく、民衆であり民族であることを実感し日本の中に同様のものを求めていったとある。
正直、私は白樺派はわからないが柳の思いはなんとなくわかるような気がする。当時の朝鮮では商業ベースに乗った商品は流通していなかったろうから、規格化されたものは少なかったに違いない。李氏朝鮮は時を経るごとに全てが廃頽して滅んだ。だからこそ柳が求めた未分化の自然的なものが溢れていたのだろう、と思う。
羽前庄内の雪沓
本には一見して使い方のわかるもの、つまり今でもあるものから何に使うのか見当もつかないものまで採集してある。案外今でも地元に行けば生き残っているのかも知れない。
備前岡山の判取帳
岡山といえば「イ草製品」かと思いきや「判取帳」だった。
お探しのものは見つかりましたでしょうか?
↓blogランキングにご協力ください↓