三菱・三井で代表される大デベロッパーは旧大名屋敷を舞台とした都市再開発を行っている。ではそれを上回る形で港区を中心に独自の開発手法で麻布谷町や麻布六本木などで超高層ビルを建設する森ビルの活躍する舞台は何か・・・などなど。
鈴木 理生 大江戸の正体 三省堂
2004年8月20日 第1刷発行
著者は1926年東京生まれ。千代田図書館勤務を経て東京都市史研究所理事。都市史研究家。「千代田区の歴史」「江戸の川、東京の川」「江戸はこうして造られた」など著書がある。
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P13 上垣守国 著 「養蚕秘録」
1848年(嘉永元年)パリでJ.ホフマンの翻訳で出版
府中市郷士の森博物館の常設展示コーナーに
嘉永四(1851)年版のこの本が並べられている。
P24 毎晩月が真南にくる時刻(南中時)は今の時計で毎日50分ずつ遅れる。
満月の南中時は夜中の零時だからそのことを知っていれば、月齢と時計
でほぼ正確な南北方向を知ることができる。
P24 神社での祭礼の多くは十四~十五日である。その理由は日本の民俗では
一日は太陽が沈んだ時点から始まったからである。
P27 幕府の関係者が「藩」の字を使用している例
新井白石の著書「藩翰譜」
元禄十四年成立の諸大名の系譜を編纂したもの
P29 銭相場
金銀相場よりはるかに零細
江戸市中でも地域差があった
ディーリングルーム(市場)は寄合茶屋
日本橋駿河町の寄合茶屋「亀の尾」
京橋組は銀座の「しらがき」
芝組は赤羽町の「瓦屋」
浅草組は蔵前の「植木屋」
P44 徳川家 武士の職能
番方 : 戦闘要因
役方 : 金銭、食料の確保・供給、「封」の経営実務を行う要員
与力・同心は単独で幕府に仕えるのではなく、「組」単位で旗本身分の
者が勤める役職に属する職務。建前は「一代抱え」の身分。
番方 : 御手先組加役火付盗賊改 長谷川平蔵組 同心何某
役方 : 南町奉行 大岡越前守組 与力何某
P60 大田直次郎 号は南畝又は蜀山人
「貧すれば鈍する世をいかんせん
食うや食わずの吾が口過
君聞かずや地獄の沙汰も金次第
はたらくに追いつく貧乏多し」
太田直次郎は幕府の御徒歩である
自分たちの同心の生活をよんだ
明和四(1767)年のはなし
P66 町はどこで増えたか
江戸に最初に成立した町は300
大縄地の町屋敷化にともない文化文政期を過ぎて天保改革を必要とする
時期になると1679に増える
与力・同心拝領組屋敷の一部を町屋敷へ転用した結果である
P81 江戸の範囲
最初の鎌倉期「吾妻鏡」巻第一
治承四(1180)年八月二十六日の条
皇居東御苑内の本丸台地辺りに住んでいたと推定される江戸太郎重長と
いう人物とその住居地
これが原点
P91 市中 → まちなか
町奉行の支配を受ける町人住居地
面積は20%
P96 三菱・三井で代表される大デベロッパーの旧大名屋敷を舞台とした都市
再開発を上回る形で港区を中心に独自の開発手法で麻布谷町や麻布六本
木など不定形な街郭地区の零細な土地所有関係を巨大事業地として上手
に取りまとめて超高層ビルを建設する森ビルの活躍する舞台の大部分は
かつての与力・同心の大縄拝領地なのである。
P99 日本橋交差点南西の一郭
柳町ビルディング(中央区日本橋二丁目一・一〇)
唐人 呂一官 家康の防衛機・医療顧問
天承十二(1584)年 拝領
通弐町目呂一官拝領町屋敷
現在まで呂一官の権利を継承する外池家の地所として存在する
P110 バタビア都市建設(東インド会社)
モンタヌス著「日本遣使紀行」
アムステルダム版 1669年
バタビア図は江戸とそっくり
当時の臨海都市は似る
江戸の貿易上の対岸はバタビア
P119 武家地を小規模な寺院に貸しつけた場合、武家地であるため町奉行・
寺社奉行の立ち入りを許さない
法的な空白
カジノ的な土地
P122 岡場所化
P134 天下普請
大名の経済的負担と苦労は領民の負担増に直結するが、それは大名の
海外貿易から得ている利潤を無視した見方だ。あきまでも米遣い経済
の禄高に応じた千石夫の計算からみただけのもの
P146 前田家
慶長八(1603)年のいわゆる幕藩体制が成立する以前に日本海沿
岸の有力な大名家の経済(経営実務)が豪商高島家の手中にあった
P157 番方・役方
非役(無役)
P158 有職者は月番制で勤務
内閣から町奉行・・・・門番にいたるまで2つのセットがあり隔月で
勤めた
この月番制は比較されるということから非常に過酷な働きをもとめら
れた
P159 世代別内閣
常設幕府機関は本丸
そのTOPは老中
西の丸にも独立して同じものが存在した
全ての幕府の給与は世襲の地所と禄高で決まる
役につけば加増されるが
役につけなければ増えない
役からはずれれば元にもどる
P174 田安・一橋・清水
御三家という名の将軍候補大名
それぞれ十万石
封としての土地は持たない
格式だけのもの
家臣団は幕府からの出向者
P176 与力・同心
経済官僚とまではいかないが役人
産業界からの心づけが多い
大名並みの裕福さ
平岩弓枝の「御宿かわせみ」を読め
P183 欧米の公文書館は個人の記録を保管する場所
日本とは公の概念が違う
P184 江戸時代は家を中心として生きる
封・株の最高責任者の選出は、その血統の正当性より企業体としての
運営責任者層の合議による決定が優先するようになる
家臣の長の家老職のOKが出なければ殿様は決まらず、不適格であれ
ば差し替えられるのが普通
P185 武家の封の確保手段としての借り腹に対し農工商の株の継承は武家と
は正反対で一子(女子)相伝
女子が優先
商都大阪では男子は無条件で廃嫡させ母親が生んだ女子に株を継承さ
せていく
P187 男尊女卑の風潮は明治になって
P190 住宅
本来は地主が所有者に居住せず外の場所に居住していることをさす法
律用語
P191 月代の起源は十三世紀頃
P243 キリシタン禁令
バテレン追放とポルトガル商人の行為に対する詰問状
信仰の問題でなく人身売買をはじめ民間人の自由な通商貿易の制限
P254 最古の都市図
武州豊嶋郡江戸庄図(寛永江戸図)
1632 寛永9年
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