投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

お醤油の来た道 - 嵐山 光三郎, 鈴木 克夫(徳間書店)

お醤油の来た道―味の謎への探険隊
クリエーター情報なし
徳間書店


1990.1.31 第1刷

全部読み通さず返却してしまった本。メモした箇所に続くのは東アジア辺りのことだったような気がする。


以下、メモ。


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p16
1956年(昭和31年)11月6日 アメリカ大統領選があったとき、日本のキッコーマン醤油はサンフランシスコ地方の開票速報番組でテレビコマーシャル買った。この時は共和党のアイゼンハワーの再選が有力で、民主党のスティーブン候補がどこまで迫れるかという興味が持たれ、全米の人々がテレビの開票速報に釘付けとなった。そこに15分ごとに「肉料理には醤油が合う」というコマーシャルが流れた。これがきかけとなってまず西海岸のスーパーマーケットの棚に日本の醬油の瓶が並ぶようになった。それまでは日本食品店しか扱わず、スーパーのチェーン店に入り込むのは固い壁で閉ざされていた。

p22
アムステルダムの国立博物館
コンプラ瓶。17世紀、オランダの商人たちが、日本からヨーロッパへと醬油を運んだ容器。陶器の壺は高さ20cmぐらい。瓶のような形をしていて口のほうが細くなり、コルクの栓で密封でみるようになっている。

肩のところには「JAPANSCHZOYA」底の方に「CPD」と青い文字が印されていた。オランダ語でJAPANSCH(日本の)ZOYA(醬油)という意味である。CPDはコンプラ(金富良)醬油のもとになったポルトガル語の「コンプラドール(COMPRADOR)=商人、仲買人」の略語である。

長崎の豪商たちは「金富良社」という組合をつくり、オランダの「東印度会社」を介し海外貿易を行っていた。「コンプラ醬油」も、その輸出品目の一つだった。

p24
大塚滋 著の「しょうゆ世界の旅」に興味ある記述がある。1765年に出版されたディドロ編纂「百科全書」の「SOI OU SOI」という項目に、こう記されているという。

これは日本でつくられた一種のソースで、同時にアジア各地で非常にもてはやされているものである。フランスでは、オランダ人によってもたらされた。このソースは全ての肉料理の風味を引き立たせ、特にベルドリおよび骨付きハムに素晴らしい味をもたらす。

中国産の醬油もあるが、日本産のものがはるかに優れている。肉料理にとって日本産の方は中国産にくらべ、深く豊かな滋味を付与してくれるからである。

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(2013年10月 西図書館)
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