北大路魯山人 (カラーブックス) | |
小松正衛 | |
保育社 |
平成7年11月30日発行
生前の魯山人は横暴に生きて周囲の人たちから憎まれ、今にしてその汚名の消えることのない有様。作品はピカソ、林武の絵や文字、良寛のごとき20m離れていてもそれと分かる。価値は認められていても敵が多く蒐集をためらった。戦後、そんな事情を知らないアメリカから火がついた。
明治16(1883)年、京都市北区上賀茂北大路町の北大路家(上賀茂神社社家120軒の1つ)に生まれる。名は房次郎。生後すぐ巡査の和田家へ、和田は滋賀県の坂本の百姓へ当面の養育資金とともに預ける。しかし金目当ての坂本の百姓はろくな養育もせず、一ヵ月後それに気づいた和田は連れ戻し、5歳まで和田の家で養育した。その後、木版師福田武造のもとで20歳まで過ごす。
大正2年10月、北大路家を相続。大正9年第一次世界大戦終了。この後、魯山人と号するようになる。
美食倶楽部(大雅堂古美術店の客のもてなし用)
↓
花の茶屋
↓
岡星茶寮(麹町日枝神社境内)
(2010年12月 西図書館)