ピーター・ハクソーゼン 敵対水域 文藝春秋
イーゴリー・クルジン
R・アラン・ホワイト
1998年1月25日第1刷
1998年2月10日第3刷
![]() | 敵対水域―ソ連原潜浮上せず文芸春秋このアイテムの詳細を見る |
1986 年9月3日、ナワガ級(NATOコードはヤンキー1級)戦略ミサイル原子力潜水艦K-219はソビエト海軍北洋艦隊ガジーヴォ基地を出航。アメリカ東岸の配置につくべく航海を開始する。艦齢15年の老朽艦は充分なメンテナンスも乗員の休息も受けれないまま作戦につかされる。
ミサイル発射担当仕官は少量の海水漏れをミサイルサイロに確認していたが、それを報告すると出航は延期になり経歴に傷が付く。結局、厳重に水漏れをチェック・対処することを部下に命令し報告を怠る。
アメリカフロリダ沖。オンステージに着く直前、アメリカのロサンゼルス級潜水艦に遭遇。一旦は鮮やかに欺くことに成功するが執拗に背後に追いすがってきているはずのロサンゼルス級の位置を確認するためK-219はクレージーイワンを強行する。バッフルクリア。360度の急速転回を行い自艦艦首のソナーで全周囲検索をかけようとした。
急速反転で艦が傾いた瞬間、ミサイルサイロの水受けに溜まっていた水がこぼれた。運の悪いことにこぼれた先には燃料タンクの溶接の劣化か金属の疲労かでわずかながら漏れ出ていた四酸化ニトロゲンが溜まっていた。
硝酸発生。一旦少量でも発生した硝酸は全てのものを溶かし始める。爆発の恐れのあるサイロ内のミサイル一機を緊急放棄。該当区画のミサイルハッチが開きミサイル一機が艦外に放出される。
吸えば肺を溶かす硝酸ガスと戦いながらK-219の乗員は火災に対処し浸水を止め原子炉の溶解をも防ぎ艦を沈没から救うが航行不能となる。艦長のブリタノフは自分を除く全乗員を味方の貨物船に退避させるのだが、モスクワから届いた命令は全乗員に再度艦に戻れというものだった。
硝酸ガスはもう艦全体を満たそうとしている。ガスの中で活動するために必要な簡易酸素ボンベのOBAユニットはもう無い。わざわざソビエトから飛んできた飛行機が落としていった追加のOBAユニットの箱は何の浮揚措置もとられていない状態であったため目の前で大西洋に沈んでしまった。モスクワの理不尽な命令と処遇に艦長のブリタノフは自らの手でK-219を沈めて乗員の命を護る決断をする。
キューバ経由でソビエトに戻ったブリタノフ艦長とその部下のクラシルニコフ機関長を待っていたものは軍籍・党員資格剥奪と重労働20年の刑。さらに場合によっては刑の追加オプションも充分ありうるというものだった。
事故の翌年1987年5月28日。マティウス・ルストというドイツ人青年はフィンランドのヘルシンキをレンタル機のセスナ172で飛び立ちソビエト国境を越える。着陸地点を探してさ迷ったあげく彼が選んだ場所はモスクワの赤の広場だった。この着陸は映像で撮られまたたくまに全世界へ広まる。
フィンランドから首都モスクワの赤の広場に着陸した飛行機に一度も気づかなかったというソビエト空軍の大失態は、ブリタノフ艦長とクラシルニコフ機関長の身を助けることになる。
この事件を機にゴルバチョフ大統領の側近であったドミトリ・ヤゾフ陸軍大将が国防相につき、この新しい国防相はブリタノフ艦長とクラシルニコフ機関長に対する処罰指令書を捨て事故の責任を解除した。
何事も新しい雰囲気が必要な時代だった。
・・・あらすじの紹介になってしまった(笑)。これは実話がもとになっているのですが、全編を通して艦長と乗員との固い絆が書かれている。
著者のイーゴリー・クルジンはK-219のこの事故のときに副艦長だった人。ピーター・ハクソーゼンはアメリカで軍籍にあった人だ。