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新・朝鮮語で万葉集は解読できない


琉球王朝の公文章は「漢字と平仮名」で書かれていたということをご存知でしたか?当たり前といえば当たり前なんですが、私はそれを知ったときは新鮮な驚きを感じました。

安本美典 「新・朝鮮語で万葉集は解読できない」 JICC出版局

新・朝鮮語で万葉集は解読できない

JICC出版局

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1991年9月26日 第一刷出版

著者は1934年満州生まれ。京都大学文学部大学院卒。産業能率大学教授。専門は計量比較言語学、日本古代史。




2002年5月13日の朝日新聞web版に「琉球国王の辞令」が発見されたという記事が載った。




20020513 朝日新聞より

◆◆

薩摩制圧以前の琉球国王の辞令発見 離島への統治権示す

 琉球国王が奄美諸島の喜界島の役人に対し、昇進を命じた、17世紀初めの辞令書の原本が見つかった。薩摩藩による制圧以前、沖縄が琉球として独立していた時期の史料が、原本で残っているのは珍しい。

 辞令書は縦約30センチ、横約40センチ。上部2カ所に朱色の「首里之印」(約10センチ四方)が押してある。表記はひらがなが中心。国王からの辞令を表す「しより(国王)よりあらき(島内の地名)めさし(役職名)の方へまいる」との一文がある。島内の別の地方官への昇任人事で、「めさし」から「大やこ」への異動を命じている。当時、琉球王国の行政組織が離島にまで張り巡らされていたことを示している。

 中国明朝の年号を採用し、「萬暦三十四年」(1606年)と明記。薩摩軍に侵攻・占領された1609年以前であると分かる。

 辞令書は、なぞが多い首里王府を解明する史料とされる。多数発行されたが、太平洋戦争末期の沖縄戦や湿気が多い気候などで大部分が失われたとされる。残存しているのは薩摩侵攻以前で約60点。保存状態が悪かったり、写しや写真でしか残っていなかったりと不完全なものも多い。

 今回の史料は、大阪古典会(中尾堅一郎会長)の100周年記念入札会のため、全国の古書業者が文書類を収集する過程で見つかった。今月26日の入札会に出品される予定だ。


 辞令書を研究してきた高良倉吉・琉球大教授は「喜界島に琉球王国が統治権を持っていたことを裏付ける原本史料は初めて」としている。(15:01)







見つかった公文章がひらがなを使って書かれていると言うことに私はちょっと驚いた。今の今まで不勉強で、てっきりその頃の琉球の公文章は中国の漢語表記だったと思っていたのだ。

時代は琉球王朝。年号は中国のものだが文字は日本。じゃあ言葉は・・・と言うことで、調べてみた。結論から言うと当然日本語なのだ。ひらがなを使っているのですから、あたりまえといえばあたりまえだ。

沖縄弁と言うか沖縄方言と言うか、とにかく沖縄で使われている言葉は日本語で、それは2~3世紀に日本本土(九州)から伝わったとされていて、沖縄弁を岡山県や兵庫県の者がいくら聞いても良く聞き分けられないとしても、基本語彙を比較すれば日本語なのだそうだ。

ここで言う基本語彙とは手・足・口とか数詞とか植物の名前、天体の名前など、他国からの言語の影響を受けにくいものを指す。これは言語研究での基本らしく、基本語彙を比較すれば、英語とドイツ語が同一のものから分かれたことや、スペイン語とフランス語が姉妹関係にあることは明らかだそうだ。ただ、沖縄弁と東京弁はスペイン語とフランス語程度は離れているそうだから、世が世ならば別の言語として扱われてもおかしくない、とも言う。実際、琉球語と言うときもある。

また、日本人は緑色のことを青色と言うが、これは何故かと言えば、黒・白・赤・青の四つの色しか表現できなかった時代の名残なのだそうだ。黒でもなく白でもない、赤でもない色が青と言うことになる。

「青い山、青い空、青い海」。左の文章の青の個所を例えば黄に変えると「黄色い山、黄色い空、黄色い海」となる。色と言う言葉の補助を受けないと使えないぶんだけ、黄と言う言葉は新しいと言うことになるそうだ。この黒・白・赤・青については沖縄でも同じなのだ。沖縄の離島(どこの島か忘れた)の古老に、テレビ局(NHK?)のアナウンサー氏が、山・空・海を指して色を訊ねたら全部「青」と答えたのを憶えている。その古老曰く、良くわからない色は全部「青」なのだそうだ。

ついでに言うと、朝鮮語と日本語を親戚扱いすることがあるが、基本語彙で比較すると全く別言語になるそうだ。偶然の一致であろうと考えられるもの以外、ほとんど重複するところが無いというから、その遠さは英語とドイツ語よりはるかに離れている。もし同一言語から分かれたとすれば、5000年程度は遡るのではないかと言う。朝鮮語と日本語が近いと勘違いするのは、両方とも漢語の影響があることと、明治期に日本が作った新しい言葉をそのまま朝鮮も使っているからだそうだ。

朝鮮語に比べるまでもなく、沖縄弁(琉球語)と東京弁は姉妹関係にあるということだった。

今、日本語を公用語とする人口は全世界で1億2千万人程度。これは言語として使用する人口の多い部類に入るが、国としては日本だけだ。その昔、日本と琉球王国と言う同じ言葉と文字を使う別々の国があったと言うことに、ちょっと新鮮な感じを受けてしまった。





以下メモより

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昭和30年 万葉集の謎 光文社 安田徳太郎(医博)
       万葉語=レプチャ語

明治の評論家 木村鷹太郎

     日本民族の発祥の地はギリシャ

意味と音が一致している語がどの程度あるか
音韻対応の法則が見出せるか
計量言語学の方法において偶然の一致を超える一致は見出せるか

藤村由加 人麻呂の暗号   1989年1月
李寧熙  もう一つの万葉集 1989年8月20日
朴炳植  日本語の悲劇   1986年7月

語源俗解 フォルクス・エティモロギー

朝鮮語は祖語ではない、姉妹語でもない

服部四郎 7000~10000 日本語の系統 岩波新書

白鳥庫吉 疎遠である 白鳥庫吉全集№2
     日本語韓国語アイヌ語の三国語の数詞について 岩波書店

李基文  小倉進平、河野六郎の業績は大
     彼らは日韓の関係には踏み込まなかった
     朝鮮語の理解がそうさせた
     日本語系討論によせて「言語」1974.1

安本美典 首里方言と東京方言は姉妹語。1700年のへだたり「言語の数理」
     英語とドイツ語は2000年前に分かれた
     仏語とスペイン語は1500年前に分かれた
    「日本語の起源をさぐる」

日本語と琉球語の音韻対応 
 o    u
 e    i

合羽、煙草、襦袢  ポルトガル語    借用
僧、旦那、卒塔婆  サンスクリット語  借用

万葉集を朝鮮語で解く
  日本語と朝鮮語の関係の証明を行っていない
  「できるはずだ」で音が似ていればその意味で解釈しているにすぎない

森浩一 編 「日本の古代1」倭人の登場
  森博達、長田夏樹
    倭人語の特徴について

奈良時代の母音は8つ aiueo + ieo

ヒ:日、氷 ⇒ 比、卑  (甲類)
  火、樋 ⇒ 肥、非、斐(乙類)

  上代特殊仮名遣

  きけこそとのひへみめもよろ

  万葉集、古事記、日本書紀、風土記に共通

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日本語と朝鮮語と中国語を比較し、その語順が日本語と朝鮮語は同じで中国語は違う、つまり、日本語と朝鮮語では「私は 山を 登る」となるが、中国語では「私は 登る 山を」となり、これをもって日本語と朝鮮語は強い関係があると言うことがあるが、これはユーラシア大陸で孤立しているのが中国語であり、その周りの言語は日本語と同じ語順になることから、たいして強調するべき事柄ではないそうだ。

万葉集が古朝鮮語で書かれているなどと言う本もあるが、100%出鱈目と言う。朝鮮語は15世紀にハングルが出来た時点まで読み(発音)を遡ることが出来る。その頃と現代と読みでは、大きな変化はないらしいが、遡れるのはここまで。時代としては中世だ。それ以前は闇の中。つまり古朝鮮語なるもの自体が良くわからないらしい。

日本語の読み(発音)は、万葉仮名が使われている万葉集の時代まで遡ることができ、その読み(発音)は現代と大きな変化はない。だから少なくとも日本語と朝鮮語が両方とも遡れる中世では、現代の日本語と朝鮮語と同じ状況であり別言語となる。じゃあそれより前の万葉集の時代に朝鮮語と日本語は近かったのかと言うと、言語がそんなに突然変化するわけは無いから、当時も別のものだったことになる。

例えば山上憶良の歌で「銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐礼留多可良 古爾斯迦米夜母」をひらがなにすると「しろがねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも」となる。万葉仮名とはかなり強引な当て字だが、確かに「麻佐礼留多可良」は「勝れる宝」と読める。これを日本語以外の別の言語で読むのは不可能だろう。

山上憶良を例に出したのは、わけがあって、山上憶良は半島からの帰化人だとされているのだ。山上憶良の歌が古朝鮮語で書かれているとしたら、都合が良いではないか。ぜひその古朝鮮語で読んだ場合の訳が知りたいものだが、どういうわけかそんなものは無いようだ。「しろがねも くがねもたまも・・・」と言う読み自体が古朝鮮語だとすれば、そりゃ日本語の訓読みは古朝鮮語となるかもしれないが、その時は今の朝鮮語と言われているモノは何?どこから来たの?と言うことになってしまうのだ。

沖縄弁と東京弁は1700年の時を隔てても基本語彙が同じで同一言語(または、同一言語からの分かれた)とされているのに、1200年前の万葉集の時代に朝鮮語と日本語が同一とは言わずとも通じていたのであれば、今現在も基本語彙が似通っているはずなのだ。なのに数詞の訓読み(ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ・・・)でさへ違う。これでは全く無関係とは言わずとも、朝鮮語で日本語が読めるなどとは言えないそうだ。また、古朝鮮語は想像するしかない状況で、それを正に適当にあてはめながら、万葉集を読もうとするなどは、遊びでしかない。












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コメント一覧

あら座
喜界島人。
随分前の記憶なので、ソースを示すことは出来ませんが、
奄美諸島の喜界島は確か琉球人というより薩摩系日本人に近かったと…。

これ以上は判りませんのでそれだけなんですが・・・。
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