京都・一五四七年―上杉本洛中洛外図の謎を解く (平凡社ライブラリー)今谷 明平凡社このアイテムの詳細を見る |
今谷明 京都・一五四七年 描かれた中世都市 1988年3月18日 初版第1刷 平凡社
著者は1942年生まれ。京都大学経済学部卒。同大学院文学研究科博士課程修了。横浜市立大学文理学部助教授。著作「戦国期の室町幕府」「時継卿記-公家社会と町衆文化の接点」「守護領国支配機構の研究」等。
上杉本洛中洛外図の景観年代を天文十六年(1547)五月~閏七月と推定し、文書記録と相互参照しながら当時の京都の街・文化・風俗を解いた本。上杉本洛中洛外図は織田信長が天正元年~二年(1573~1574)に上杉輝虎(謙信)に贈ったものと伝えられている。
推定年代より二十六年前の景観ということになる。狩野永徳作伝。
惣構えで分けられた上京(公家・武士)と下京(町人)の中世の町割りについても記述があり。
現在でもその遺構が残る秀吉が建設した御土居は、上京(公家・武士)と下京(町人)に分かれていた中世の町割りを一つにする目的で作られた。元はといえば織田信長がやろうとしていたこと。
P51 京都市と長岡京市 「御土居」1591年秀吉が作る。現在に残っている場所は京都市街の北部に数ヶ所。土塁で高さは1.5m~3.6m。長さ23km。堀の幅は3.6~18m。東は鴨川~加茂川に沿う。南は京都駅、観智院、西は島津製作所の東側を北の天満宮、大徳寺に向けて上る。金閣寺は外側になる。上賀茂神社の南あたりが北限。 |
以下メモ
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p224 中世京都の竹売りの姿
V字型のかつぎ方。前で開き後ろで交差する。中国の少数民族の間にこのやり方が20世紀初頭まで伝わっていた。ドローヌ著「シナ奥地を行く」(白水社)に掲載された写真に写っている。ドローヌはフランス軍人。ベトナムから雲南・四川南部へ勢力を伸ばしつつあったフランスの帝国主義政策に乗じて、ハノイ・昆明を経て1907年5月寧遠府から東の山岳地帯へ入った。山岳地はすべてイ族・チベット族・苗族などの居住地。捕らえられたら死ぬまで奴隷にされる。奴隷制度が廃止されたのは中華人民共和国になってから。それまでのシナは拠点と拠点を結ぶ点と線の支配が続いた。勢力範囲を面で統治していたわけではない。
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(2009年春 西図書館)