大工道具収集家なるものがこの世にいたことを始めて知った。
土田 一郎 「日本の伝統工具」 SD選書
日本の伝統工具鹿島出版会このアイテムの詳細を見る |
写真 : 秋山 実
この本の題名は「日本の伝統工具」となっているが鍛冶職人「千代鶴 是秀」を語る内容にもなっている。
以下、メモより。
--↓---------------------------------------
著者は昭和2年9月生まれ。鋸目立職人で大工道具店主の助治の長男。
14歳の時、大工道具鍛冶の名人「千代鶴 是秀」に会ったのがきっかけで大工道具の収集に情熱をかけた・・・。
墨坪、曲尺、マサカリ、チョウナ、鋸、ノミ、鉋、玄能、小刀、砥石、釘ヌキ
台直し鉋と言うのもある
千代鶴是秀 昭和32年没
--↑---------------------------------------
■秋山実の写真が良い
マサカリ、チョウナ、鋸、ノミ、鉋、玄能、小刀、釘ヌキ・・・どれもモノクロの写真なのだが鉄の質感とても良く出ている。使いこまれたモノも多いが、黒くしみこんだ錆びも絵になる。
どの道具でも形を整えるためには、ヤスリをかける。ここに登場する道具は、全て手作業で作られたモノだが、とにかく美しい。どうやってヤスリをかけたらこうなるのか。
■千代鶴是秀について
鍛冶職人の千代鶴是秀は東京の人。彼の息子の太郎が初めて鉋(初契と言う名)を作った時、その砥ぎを江戸熊と言う大工の棟梁が申し出たと言う話が照会されていた。江戸熊は大阪の人だ。江戸熊は是秀の二代目の初めての作品だからと砥ぎに使う水を求めて川の上流部まで出かけたそうだ。刃物の研ぎには気を使うそうで、空中に舞っている塵がついても傷がつく。空気が落ち着く雨の日が良いようなことも書いてあったと思う。
戦後まもなく、千代鶴是秀の家(鍛冶工場)に著者が訪ねた。昼時になり著者が家の隅で弁当を使いはじめた。すると是秀夫妻はチャブ台に座り白湯だけ飲んでいて、見かねた著者が二人に弁当を分けたと言う描写がある。戦中は多くの鍛冶屋が刀剣造りに手をだして生計を維持したが、是秀はそういうことには一切手を出さなかったと言う。戦争反対などという理由では決してない。自分は刀剣鍛冶じゃないと言う思いが強かったのだと思う。
たかが大工道具と言ってしまえばそれまでだが、豊かな表情を見せる是秀の作品は、そういう身を削るような態度から生まれたもの。「黒金を黄金にかえて米を買う、これもなかなか黄黒金千万」これは是秀の切出(←小刀)の箱書きの文。
後で知ったことだが千代鶴是秀には、今でもファンがいるらしい。
■墨坪、曲尺、マサカリ、チョウナ、鋸、ノミ、鉋、玄能、小刀、砥石、釘ヌキ
この本を読んでから近くのホームセンターでしげしげと大工道具を見たりするのだが、ホームセンターにも値段の高いモノを並べている。が、違うんだろうね、こんなのとは。きれいな木箱に入っていたりするんだが。
私の父親が引退した大工の棟梁から鉋を譲りうけたことがある。油紙に包まれたモノが三つ。それぞれ黒々と一号、二号、三号と記してあった。鉋をかける順番か?と聞いたら、鉋のランクだと返事が返ってきた。