松方コレクション展
2019年6月11日〜9月23日
国立西洋美術館
「松方コレクション展」では、ゴッホ作品が2点出品されている。1点が国立西洋美術館所蔵、1点がパリ・オルセー美術館所蔵の作品である。
ゴッホ
《ばら》
1889年、国立西洋美術館
サン・レミの精神療養院入院中に描いたとされる作品。オーヴェールでゴッホの最期を看取った医師ガシェ家旧蔵。1922年、パリのローゼンベール画廊で松方が購入。
1944年にフランス政府に接収、1959年寄贈返還により国立西洋美術館所蔵に。
ゴッホ
《アルルの寝室》
1889年、オルセー美術館
本作は3つのヴァージョンが知られる。
1888年、ゴーガンがアルルに来る直前に描かれた第1ヴァージョン(ゴッホ美術館所蔵)。
その1年後の1889年にサン・レミにて描いたレプリカである第2ヴァージョン(シカゴ美術館所蔵)。
本作品は、第2ヴァージョンと同じ時期に、自身の母親に送るために、一回り小さいサイズで制作したレプリカである第3ヴァージョン。
本作品は母と妹あて送られたようであるが、その後手放した模様である。
1922年、パリのローゼンベール画廊で松方が購入。
1944年にフランス政府に接収、1959年の寄贈返還の対象から外され、フランスに残る。
他にもゴッホ作品が松方コレクションにあったのだろうか。
『松方コレクション 西洋美術全作品 第1巻 絵画』を参照する。もちろん図書館にて。
上記2点以外に、ゴッホ作品が3点あったようである。
1:過去はゴッホ帰属とされていた作品《糸杉》
贋作? 1921年、ベルリンのカッシーラー画廊で購入。現在、所在不明。
2:《花》1886年
1921年、ベルリンのカッシーラー画廊で購入。日本に持ち込み散逸。石橋正二郎が購入し、現在ブリヂストン美術館所蔵。なお、真筆性に疑念を持つ意見もあるようだ。
3:《花瓶の花》
ロンドンの倉庫火災により焼失したと考えられている。作品詳細不明。
ゴッホ作品の取得数は多くはない。
松方の関心が薄かったのか。出回る作品数自体が少なくて取得困難だったのか。
1点でも日本にあるのは凄いこと。
ただ、《アルルの寝室》を鑑賞すると、この作品が日本にあったら、どうしても思ってしまう。
フランスにとってどうしても手放したくない作品であり、その背景として「当時、フランスの国立美術館にはゴッホの作品が数点しかないという状態」であったと聞いたことがある。
本当だろうか、とオルセー美術館のホームページで確認する。
掲載されているゴッホ作品油彩画は24点。
その取得年を確認する(●はガシェ家からの寄贈または購入、◎はそれ以外の方法での取得を示す)。
【1911年】1点
《銅器のあみがさゆり》◎
【1914年】1点→2点
《モンマルトルの酒場》◎
【1921年】1点→3点
《アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ》◎
《アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ》◎
【1931年】1点→4点
《ジプシーの野営》◎
【1944年】1点→5点
《ウジェーヌ・ボックの肖像》◎
【1947年】1点→6点
《自画像》パリ時代◎
【1949年】 2点→8点
《自画像》●
《医師ガシェの肖像》●
【1950年】1点→9点
《アルルのダンスホール》◎
【1951年】2点→11点
《オーヴェールの教会》●
《雌牛の群れ(ヨールダンスによる)》●
【1952年】2点→13点
《真昼の休息(ミレーによる)》◎
《アルルの女 、手袋と傘のあるジヌー夫人》◎
【1954年】6点→19点
《オーヴェールの医師ガシェの家》●
《コルドヴィルの藁葺き屋根の家》●
《庭に立つガシェ嬢》●
《2人の子供》●
《日本の花瓶に生けた薔薇とアネモネ》●
《黒い頭巾の農婦の顔》◎
【1959年】1点→20点
《アルルの寝室》◎
【1965年】1点→21点
《イタリア女》◎
【1973年】1点→22点
《サン・ポール療養院の庭の松と人物》◎
【1975年】1点→23点
《ローヌ川の星月夜》 ◎
【1988年】1点→24点
《かまどの前に座る農婦》◎
《アルルの寝室》の取得直前の時点では、19点もある!
ただ、寄贈返還に向けた交渉が始まる1951年、あるいは松方コレクションの扱いをめぐってフランス側が松方家と接触を開始する1949年の時点では、確かに数も質も寂しい状況と言えるかも。
ところで、ガシェ家旧蔵の《自画像》あるいは《オーヴェールの教会》。ゴッホの最高傑作の一つだと思っているが、いつの日か来日してくれることはないかなあ。