東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

タマラ・ド・レンピッカ、石岡瑛子

2021年03月13日 | 西洋美術・各国美術
   2010年開催の「美しき挑発   レンピッカ展」の図録を眺める。
 
美しき挑発   レンピッカ展
- 本能に生きた伝説の画家-
Bunkamuraザ・ミュージアム(2010年3月6日〜5月9日)、兵庫県立美術館(2010年5月18日〜7月25日)
 
 
   石岡瑛子へのインタビュー記事『Eiko meets Tamara-タマラとの5日間を振り返る』が掲載されている。2009年11月にNYでのインタビュー。
 
   石岡は、1980年にPARCO出版から発行されたレンピッカの画集『肖像神話  迷宮の画家タマラ・ド・レンピッカ』の構成・ブックデザイン・インタビューを手がけている。同画集は、日本は勿論のこと、世界で初めて作成されたレンピッカの作品総目録であった。
 
   この仕事に取り組んだのは、石岡自身がレンピッカに興味を抱いたことがキッカケではなく、当時のパルコの会長から依頼を受けてのことであるようだ。
 
   1979年1月に打診を受け、3ヶ月の事前調査を経て、メキシコに住むレンピッカに連絡し、面会・協力の了承を得る。
「直感的に私しかできない仕事ができそうだという興奮がありました」
 
   同年9月、メキシコの邸宅に住むレンピッカを訪ねて5日間をともに過ごす。
   翌年3月にレンピッカが亡くなり、12月に画集が発行される。
   なお、その翌年1981年には、東京と大阪のパルコで「肖像神話  タマラ・ド・レンピッカ展」が開催されているが、それには石岡は関わっていないのかもしれない。
 
   石岡は、当時「レンピッカの作品よりも、レンピッカ自身に関するドキュメンタリー的な興味に比重がかかっていました」と述べている。
 
   実際に、石岡がレンピッカの最盛期とされる作品の実物を見たのは、今(2009年)から10年ほど前のこと、つまり画集の発行から20年ほど後のことであるらしい。
 
  レンピッカと言えば、やはり1920年代から1930年代、年齢的には20代後半から30代後半の10年間の作品。
「確かに魅力的」「(10年間に、)最も熱い仕事を残しています」
「昨日描いたといっても通用するような、タイムレスなものですよね」「今でも新しい、フレッシュな感じがしますよね」
「非常に表層的だと思います」「一種の風俗画みたいな匂いがするのが魅力じゃないでしょうか」
「確かに相当な才能」「その後はもう、余韻というか、(絵よりも)もっと他のことに情熱をかけていたと思います」
 
 
   日本におけるレンピッカの回顧展は、1981年、1997年、そして2010年と3回開催、次の機会はあるだろうか。
 
 
レンピッカ(1898〜1980)
《大公ガブリエル殿下の肖像》
1926年頃、個人蔵
   2010年レンピッカ展図録より。
   石岡が最盛期の作品の実物と初めて出会ったとして挙げている作品。所蔵者宅で見たという。
 
 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。