東京でカラヴァッジョ 日記

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ガシェ家の芳名録-【その3】ゴッホ展-巡りゆく日本の夢(東京都美術館)

2017年11月08日 | 展覧会(西洋美術)
ゴッホ展
巡りゆく日本の夢
2017年10月24日〜18年1月8日
東京都美術館




第2部   日本人のゴッホ巡礼



日本初公開!ガシェ家に残された3冊の「芳名録」


   1920年代。ゴッホの作品は、パリでもルーヴル美術館に1点、リュクサンブール美術館に2点の計3点があるのみ。まとめて見ることができる場所は存在しなかったらしい。2箇所を除いて。
 
    
   その一つが、フランス・オーヴェールのガシェ家である。
 
 
   オーヴェールは、ゴッホ終焉の地。その墓がある地。そして1914年に、ゴッホの死の半年後に亡くなった弟テオの亡骸もゴッホの墓の隣に移葬される。ゴッホ巡礼の聖地である。
 
   ゴッホの最期を看取った医師ポール・ガシェは1909年に亡くなり、ガシェ家のゴッホ・コレクションはその同名の息子が保管していた。1920年代、油彩画は20点ほどであったらしい。
 
 
   ネットにて、ガシェ家のゴッホ・コレクションについて調べてみる。
 
◎当初、ガシェのゴッホ油彩画コレクションは27点であったらしいこと。
 
◎徐々に売却等し、最終的には1949年・1951年・1954年と3回に分けての国家への8点の寄贈と1点の売却をもってゼロとなったらしいこと。
 
◎最後の国家への寄贈等9作品は次のとおりで、現在、8点がオルセー美術館、1点がリール市立美術館の所蔵となっていること。
 
【1949年】
《自画像》1889年9月
《医師ガシェの肖像》1890年6月
 
【1951年】
《オーヴェールの教会》1890年6月
《雌牛の群れ(ヨールダンスによる)》1890年7月(リール市立美術館)
 
【1954年】
《オーヴェールの医師ガシェの家》1890年5月
《コルドヴィルの藁葺き屋根の家》1890年6月う 
《庭に立つガシェ嬢》1890年6月
《2人の子供》1890年6月
《日本の花瓶に生けた薔薇とアネモネ》1890年6月
 
◎国立西洋美術館所蔵のゴッホ《ばら》も元ガシェ家コレクションであったこと(1909年に所有者が移転)。
 
◎ガシェ・コレクションに関しては、1999年にパリ・グランパレとニューヨーク・メトロポリタン美術館で「Cezanne to Van Gogh: The Collection of Doctor Gachet」と題する展覧会が開催されていること。


   どんなコレクションだったのか。1999年の展覧会が気になるけど、私には英語の美術書を読む能力はない。
 
 
 
   日本初公開のガシェ家の「芳名録」3冊。
 
   1920〜30年代に、憧れの大芸術家ゴッホ終焉の地を訪ね、ガシェ家のゴッホ作品を鑑賞した日本人たちの署名。
 
1)芳名録I:初編
    1922年3月9日〜12月17日署名分
    26名の署名
 
2)芳名録II
    1922年12月17日〜1928年10月27日署名分
    141名の署名
 
3)芳名録I I I:出頭没頭
    1929年3月3日〜1939年4月24日署名分
    94名の署名  
 
 
   芳名録に署名のある人物のなかで、画家の里見勝蔵、および精神科医にしてゴッホ研究家の式場隆三郎の二人が特に大きく取り上げられている。
 
【芳名録より】
1922年4月9日
ガッシェの好意がうれしい。
里見勝蔵
 
 
   日本人画家によるオーヴェールを描いた油彩画を楽しむ。

前田寛治
《ゴッホの墓》
1923年、個人蔵

佐伯祐三
《オーヴェールの教会》
1924年、鳥取県立博物館

 
 
   さて、当時ゴッホ作品をまとめて見ることができたもう1箇所は、オランダ・ハーグのクレラー=ミュラー家のコレクション。
 
   その名のとおり、オランダのオッテルローにあるクレラー=ミュラー美術館(1938年に開館)の母体となった個人コレクション。同美術館サイトによると、現在ゴッホの90点の絵画と180点のデッサンを有するとのことなので、その当時もほぼ同数の大規模コレクションだったのだろう。
 
   常設ではないようだが「1920年代、ハーグにあった会社の本部でファン・ゴッホ以外の作品も含めて公開の機会があった」とのことで、本展には1929年の芳名録が出品されている。


《「ファン・ゴッホ展  1929」の芳名録》
 
    2750名の署名、うち21人(のべ22人)が日本人。画家の荻須高徳や佐分眞らの署名があるという。



 
   大正から昭和初期にかけて、これらオーヴェールを巡礼した人々、行けなかった人々も含めて、日本におけるゴッホ環境を醸成し、戦後、1958年の東京国立博物館および京都市美術館開催の大規模な「フィンセント・ファン・ゴッホ展」に繋がるのだろうなあ。


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