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アルチンボルドの自画像および初期作品 - アルチンボルド展(国立西洋美術館)

2017年06月26日 | アルチンボルド

アルチンボルド展
2017年6月20日~9月24日
国立西洋美術館

   ジュゼッペ・アルチンボルドは、1526年(または1527年)にイタリア・ミラノで生まれる。父も画家である。
   「ミラノでは高位にあって多くの司教を輩出したアルチンボルディ家とつながりがある」名門の家柄と伝えられてきた一方、近年になって「代々ロンバルディア地方の小さな町の画家であった」とも指摘されているそうだ。

 

   ミラノにおける初期時代、かなりの数の制作を行ったものと推測されているが、現存作品は限られている。

 

ミラノ大聖堂のステンドグラス下絵

《青銅のヘビ》
ミラノ大聖堂

 


モンツァ大聖堂のフレスコ画

ジュゼッペ・メーダとの共作
《エッサイの木》
1556年
モンツァ大聖堂

 

コモ大聖堂のタペストリーのデザイン


《聖母の御眠り》
1562年
コモ大聖堂蔵

 

   「以上の初期作品を概観すると、いかにしてアルチンボルドがマクシミリアンからウィーン宮廷への召喚を得るに足る名声を築いたのかは謎である。」

 

 

   1562年、要請を受け、36歳でウィーンに移住し、神聖ローマ帝国の宮廷画家となる。本展のアルチンボルド作品は、宮廷画家となって以降の作品である。

 


   本展の第1章は「アルチンボルドとミラノ」。


《四季》
1590年頃
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

   会場に入場すると、最初に登場する作品は、アルチンボルドが宮廷を辞して故郷ミラノに戻った後に制作された晩年の作品《四季》である。

   この絵1枚だけが展示された、ある意味神聖な展示スペースとなっている(ただし、後ろを振り返ると、入口扉の向こうに「アルチンボルドメーカー」に並ぶ人たちの列が見えるだろう)。この絵を観たら階段を降りて次の展示室に移ることとなる。

 

   作品は、春、夏、秋、冬、全ての要素が1枚の画面に盛り込まれた、ある意味お得なというか、集大成的な作品である。真横向きの《四季》連作とは異なり、左向き四分の三正面の肖像画である。右上の角のような枝の皮がはがれた部分に、画家のサインがある。画家の自画像とも考えられている。イタリアの詩人グレゴリオ・コマニーニのために制作された。
   2006年に発見され、2010年頃現所蔵美術館に収蔵。

 

   階段を降りると、画家の自画像素描2点が展示される。


《自画像》
プラハ国立美術館

   正面向きの自画像である。制作年代は「研究者によって1565年から87年まで幅がある」、つまり「40代と推定する者もあれば、60歳以上とする者もいる」とのこと。

 


《紙の自画像(紙の男)》
1587年
ジェノヴァ、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館ロッソ宮素描版画室

   顔のパーツや髪・髭、衣服が紙で構成されている。紙に紙を描くのだからたいへんなものである。襟に記載の1587の数字は制作年代。そして解説無しに気づく人はほぼいないと思うが、額の小さな皺、皺のように装われているが、実は「61」という数字で、これは画家の年齢を表している、この作品により画家の生年が特定できたのだ、とのことである。

 

   引き続き、レオナルド・ダ・ヴィンチおよびレオナルド派の作品が並ぶ。ウィンザー城イギリス王室コレクションのレオナルド自身の素描2点、レオナルド派の素描、チェーザレ・ダ・セストの油彩画。さらに、アルチンボルドの父親の肖像画、作者は父親の友人であったベルナルディーニ・ルイーニ、レオナルド派の画家で、レオナルド本人と直接の交流があったとされる画家、である。

   「自然の直接的な観察に基づく芸術表現」あるいは「風刺的グロテスク画」など、16世紀半ばを過ぎてもなお強い影響力を保つレオナルド。アルチンボルドが育ったミラノの芸術環境がそのように提示されている。

   あのレオナルド・ダ・ヴィンチの素描が、本展でら参考作品的扱いで展示されているという、これまでの経験ではあり得ない事態が起きている。



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