大エルミタージュ美術館展
オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち
2017年3月18日〜6月18日
森アーツセンターギャラリー
(続き)
お気に入り10選
4選目から。
第2章のオランダからは1選。
レンブラント
《運命を悟るハマン》☆
1660年代前半
128×116.5cm
久々にドラマティックなレンブラントの晩年作を観る。
旧約聖書「エステル記」の物語。
ハマンは、ペルシャにおいてクセルクセス王に次ぐ権力者。ユダヤ人・モルデカイへの恨みから、ユダヤ人皆殺しを企てる。しかし、ユダヤ人である王妃エステルの決死の覚悟での王への願いにより、逆に王の不興をかい、極刑を科される。
自分の運命を悟り、観念したハマン。目を閉じ、右手を胸にあてる。後方に描かれるのは、クセルクセス王と別の部下。
本展ナンバー1の威力ある作品。当然単独の鑑賞スペースを与えられるべきところ、他の小品群と共用のスペースしかなく、滞留を生み出している。
第3章はフランドル。
大ブリューゲルの二人の息子の作品、ルーベンス作品3点などあるが、選出作品はなし。
第4章のスペイン。
リベーラ1点、スルバラン1点、ムリーリョ3点の全て宗教画5点からなる章。
エル・グレコやベラスケスはない。風俗画や静物画はない。エルミタージュ美は、それらを持っていないのか?
と、やや不満ながらも1選。
ムリーリョ
《羊飼いの礼拝》☆
1650年頃
197×147cm
幼児イエスを見る羊飼いたちの目。(が、どうしても府中市美で観た安田雷洲《赤穂義士報讐図》を思い出させ、にやけてしまう。)
第5章のフランスからは3選。
ルイ・ル・ナン
《祖母訪問》☆
1645-1648年
58×73cm
祖母宅。真横向きで描かれた、椅子に腰掛けた、動く気配を全く感じさない祖母。母親か?大人の女性1人。孫たち7人。犬。猫。
概ね、同じ背丈にして一列に並べる。
戸口に立ってこちらを見ている、薄暗く描かれた少年を、孫たちにカウントしてはいけないかも。
ル・ナン兄弟のファンである私、この1点に大満足。
シャンパーニュ
《預言者モーセ》
1648-1663年
91.5×74.5cm
シャンパーニュは、娘の難病がポール・ロワイヤル修道院で奇跡的に治癒したことに感謝して制作された《1662年の奉納画》ルーヴル美蔵、で有名なフランス古典主義の画家。
本出品作も、画面の相応部分を占める文字、モーセの容貌など、小型だが記念碑的宗教画という感じで、よい。
シャルダン
《食前の祈り》☆
1744年
49.5×38.4cm
2012年の三菱一号館美の「シャルダン展」以来の再会。
そのときは《食前の祈り》は、本バージョンとルーヴル美術館バージョンの2点が並んで展示された。
現存する4つのバージョンのなかで、署名と年記があるのは本バージョンのみであるとのこと。
第6章のイギリス・ドイツ。
副題は「美術大国の狭間で」。17-18世紀の英独美術は、そのような位置づけになるのか。
その前時代、16世紀ドイツ美術は、輝いていた。その代表として。
クラーナハ
《林檎の木の下の聖母子》
1530年頃
87×59cm
さすが本展の顔として活躍する作品。(本展の出品作は、本作とティツィアーノ2点だけが16世紀の作品、他は17-18世紀の作品。本作は、特に選ばれた作品であったことが伺える。)
やや誘惑系女性の容貌で描かれた聖母。リンゴとパンを持つ可愛らしい幼児イエス。
本作を、大阪で開催中のクラーナハ展に出品されている他の聖母子作品と並べて観てみたい。
ところで、画面上部の木になるリンゴ、イエスが手にするリンゴ、皆同じ向き、皆こちらに綺麗なお尻を向けているのはなぜ?
以上、9選。
あと1選は、敬意を表して、冒頭に登場する女帝エカテリーナの肖像画とさせてもらいます。
ウィギリウス・エリクセン
《戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像》☆
1760年代
220.5×151cm
☆は、エカテリーナのマーク有の作品を示す。
本展の顔として活躍する数点を除いて、地味な印象が拭えないラインナップ。本展の顔についても、「大エルミタージュ美術館展」の顔としては弱い感がある。
しかしながら、各作品を観ていくと、なかなか見応えがある/興味深い作品が多く、楽しめる。「一見地味で目立たない、が渋く光を放つエルミタージュ美術館展」という感想である。