今期(2023/9/20〜12/3)の「MOMATコレクション」展示より。
5室「飛行機、戦争、美術」。
2021年の横須賀美術館「ヒコーキと美術」展を思い出すテーマ。
日本で動力飛行機が初飛行したのは、1910年のこと。陸軍の二人の大尉が、それぞれ、フランスおよびドイツから持ち帰った飛行機により、代々木練兵場にて数分の飛行を行ったもの。
その後、民用、軍用それぞれ発展していく。
美術家は、新たな視点・知覚「飛行機」を様々な形で作品にしていく。
小泉癸巳男
《「昭和大東京百図絵」より87.羽田国際飛行場》1937年
羽田空港は、1931年に初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」として開港した。
村井正誠
《URBAIN》1937年
航空写真を援用した作品。
撮影された都市は、中国・内モンゴルの都市、百霊廟。
当時、同地は自治運動を起こして政治的に注目されていたが、画家の関心は必ずしもそこにはないとのこと。
北脇昇
《空港》1937年
楓の種子は、飛行機。
上空に浮かぶ木片とその節穴は、雲とその間から顔を覗かせる月。
この作品が描かれる直前に始まった日中戦争は、作品全体の重く不安な雰囲気をもたらせているとのこと。
そして戦時体制と結びつく。
大日本航空美術協会編
『航空美術』1942年
今期の戦争記録画の展示は4点。
藤田嗣治
《南昌飛行場の焼打》1938-39年
御厨純一
《ニューギニア沖東方敵機動部隊強襲》1942年
中村研一
《北九州上空野辺軍曹機の体当りB29二機を撃墜す》1945年
吉岡堅二
《ブラカンマティ要塞の爆撃》1944年
一見、戦争とは関係なさそうな日本画も1点。
掛軸装全体で、隣の大画面の絵画と対抗しているように見える。
竹内栖鳳
《海幸》1942年
栖鳳の最晩年の作品で、「軍用機献納作品展」への出品作。
この展覧会の入場料や作品買上げ金は戦闘機の資金となる。縁起の良い鯛の図には、つまり、戦勝の意味が暗に込められているとのこと。
金になるのは、洋画より日本画。
名をなした日本画家は、直接戦争を描かなくても、得意とする主題の作品を売ってその収益を軍に献納することにより、戦争に協力する。
2022年春のMOMATコレクション展では、「日本画と戦争」というテーマで、「軍用機献納作品展」に出品された日本画5点が、日本画家の戦争記録画と同じ展示室の別の壁に展示されていた。
今期は、「軍用機献納作品展」に出品された日本画の展示は1点だが、同じ壁に戦争記録画と並べて展示されることで、作品の意味合いが見えてくる。
「軍用機献納作品展」は、1942年3月に日本橋三越で、その後大阪でも開催。会場を提供した三越は、これら184点を購入し、東京帝室博物館に寄贈する。184点はその後の管理替えにより東京国立近代美術館の収蔵となっている。
戦後の作品から1選。
田中忠雄
《基地のキリスト》1953年
田中忠雄は、敗戦後の日本を古代ローマ帝国に占領されたユダヤ国になぞらえて、聖書の主題を現代的に解釈した作品を描き続けました。この作品は、立川の米軍基地を訪れた田中が、基地の周囲で兵士を相手に生活する女たちを見て構想したものです。当時彼女たちを非難する声が日本社会に存在していたことを受け、田中は、新約聖書「ヨハネによる福音書」でキリストが律法学者に「あなたがたのうちで罪を犯したことのない者が、この女に石を投げるがよい」と語った場面を、基地のフェンスを背景に描いています。
✳︎ 見出し画像は、大辻清司《模型飛行機》1941年頃。
コメントありがとうございます。
おしっしゃるとおり、戦争記録画は独特ですね。東京国立近代美術館の常設展でも、その展示室は、他と空気が違います。
美術館も見せ方をいろいろ工夫しているようです。
竹内せいほう✨大大大好きな画家ですが、やはりこのような作品を出していましたか・・(当然ですが。しかし良い鯛ですね!さすが竹内栖鳳👑)
横山大観の名画も「戦闘機」の資金になったし、そういう時代ですね・・