第14回恵比寿映像祭 スペクタクル後
2022年2月6日〜2月20日
東京都写真美術館
「第14回恵比寿映像祭 スペクタクル後」の1展示、ゲスト・キュレーターの小原真史による「スペクタクルの博覧会」を見に行く。
東京都写真美術館3階展示室(有料ゾーン)での開催。
1851年のロンドンから昭和後期の日本まで、19世紀から20世紀にかけて欧米・日本で行われた博覧会に関する資料が展示される。
小原自身の蒐集品と東京都写真美術館のコレクションからなる写真・絵葉書・ポスターほか大量の資料より、グローバリズム、コロニアリズム、レイシズム、消費資本主義、ツーリズムの観点から「博覧会の時代」を見る。
以下、展示室に掲げられた引用文から選、欧米にかかる8文。
万国博覧会は、商品という物神への巡礼所である・・・・・・資本主義文化の幻想(ファンタスマゴリー)は、1867年の万国博覧会において、まばゆいばかりの最盛期を極める。帝国は権力の頂点にある。
ーーヴァルター・ベンヤミン(1892-1940、独の哲学者)
是日本人を磁器漆器と同視せるなるべし。
ーー渋沢栄一(1840-1931、実業家)
(渋沢栄一「航西日記」)
「パリス」に来て見れば其繁華なることから亦到底筆紙の及ぶ所に無、之就中道路家屋等の宏大なること馬車・電気・鉄道・地下鉄道の網の如くなる有様、寔に世界の大都に御座候。
ーー夏目漱石(1867-1916、小説家・英文学者)
一般に脳は、老人よりも壮年に達した大人の方が、女性より男性の方が、普通の能力の人より傑出した人の方が、劣等人種より優秀な人種の方がそれぞれ大きい。
ーーポール・ブロカ(1824-80、仏の医師・解剖学者・人類学者)
汝ら最新の流行に花の如く美に、蝶の如く軽く、外見を美にする米国婦人よ、汝等が残忍なりとするこの尖歯の黒人よりも、彼等のよわきと小さきと所謂「文明」なるものに、尚触れざるに乗じて彼等を愚弄してよろこぶ汝等こそ、遥に彼等にまさりて残忍なれ。
ーー稲垣陽一郎(1876-1949、牧師・神学者)
(『聖路易通信 1904年セントルイス万国博覧会「アイヌ村」からの便り』)
特定の色をした人間にしか自由をくれない自由の女神よりも何も約束しないエッフェル塔の方が好き。
ーージョセフィン・ベイカー(1906-75、アフリカ系米国人のダンサー・歌手)
親指トム将軍はよく知られたナポレオン皇帝の軍服に身を包んでいた。私が彼を「鉄の公爵」にご紹介したところ、公爵は一体何を瞑想していたのかと尋ねられた。するとこの小さな将軍は、「余はワーテルローの敗戦について考えていたのだよ」と即座に答えた。このウイットに富んだ対応は、英国中の新聞に報じられ、それだけでもこの見世物に数千ポンドの価値があった。
ーーP・T・バーナム(1810-91、米の興行師)
1867年の博覧会を記憶している人々は、お茶を売っていた日本女性が、ゴザの上でほとんどずっと、四つ足のかわいらしい小動物のようだったことを覚えていることでしょう。
ーーエドモン・ド・ゴンクール(1822-96、仏の作家・美術評論家)
特に興味深く見たのが、1903年に大阪・天王寺で開催された「第五回内国勧業博覧会」での「学術人類館」に関する展示。
同館は、公認パビリオンではなく、民間が主催する場外余興施設。東京帝国大学教授の人類学者・坪井正五郎が協力。
同館における欧米博覧会での展示に倣った日本版「人間の展示」を巡っては、抗議により清国、朝鮮、琉球の展示が中止となる。館は会期最後まで運営したようである。
同博覧会に関する本展での展示品数は限定的だが、日露戦争直前の日本の帝国主義の視線を見る。