シャセリオー展
19世紀フランス・ロマン主義の異才
2017年2月28日~5月28日
国立西洋美術館
シャセリオーの作品といえば、まず思い浮かべるのが、
《テピダリウム》
1853年
オルセー美術館
171×258cm *出品作ではない。
過去、シャセリオー作品を見たことがあるのか。拙ブログで確認できる範囲では、2013年の東京都美「ルーヴル美術館展-地中海 四千年のものがたり」にて、2点のオリエンタリスム作品を見ている。
個人的にあまり馴染みのないシャセリオー。国立西洋美術館がどんな作品に出会わせてくれるのか、楽しみに訪問する。
1 早熟の画家
シャセリオー(1819-1856)は、1830年、11歳でアングル(1780-1867)の愛弟子となり、1836年、16歳でサロンに初入選する。 1840年、師アングルと決別する。
《放蕩息子の帰還》
1836年
ラ・ロシェル美術館
1836年のサロン出品作。
2 オリエンタリズム
1846年5-7月、画家はアルジェリア方面を旅行する。帰国後これらを着想源とした作品を制作する。
騎馬像やアラブ馬。母子など家族の日常的情景。女性像。本展では取り上げられないが、ハーレムの光景。
《「アルジェリア征服100年記念(1830-1930)展」のポスター》
1930年
プティ・パレ美術館
1930年、フランス国内外で開催された記念行事の一つ、パリのプティ・パレ美術館の「アルジェリア征服100年記念(1830-1930)展」のポスター。
原画は、シャセリオー《馬に水を飲ませるアラブ人》(1851年、リヨン美術館蔵)。
栄光ある征服を大衆に展覧すべく、「絵画、素描、版画など、征服にまつわるさまざまな出来事や諸地域の様子、軍隊を率いたリーダー達の姿をありありと語ってくれる美術作品を探し、資料、武器、勲章、制服、直筆文書といった、関連する記憶も漏らすことなく」提示することを目的とした展示のなかで、シャセリオー作品は50点超と、ドラクロワやフロマンタンを大きく上回る展示数であった(これはシャセリオーの再評価の動きも反映していて、1933年のオランジェリー美術館での大回顧展に至る)という。
画家の従兄の息子で、画家の評価のために尽力したアルチュール・シャセリオー男爵の活動によるところが大きかったらしい。
3 会計検査院壁画
1986年に開館したオルセー美術館。1900年に万国博覧会の開催に合わせて落成したオルセー駅の駅舎を改装して美術館にしたことはよく知られている。
オルセー駅ができる前、オルセー河岸に何があったかというと、1842年に完成した会計検査院。
この会計検査院の大階段の壁画を制作したのが、シャセリオーである。
1844年、24歳で注文を受け、4年後に完成させる。
当時のフランスにおいて独力で描いた壁画としては最大ともいわれるこの作品は、「戦争」と「平和」の寓意を中心的主題とする大小15の画面を組み合わせた巨大な寓意画で、シャセリオーの代表作とされる。
しかし、1871年、パリ=コミューン末期に建物が焼かれ、壁画も大きな損傷を受ける。焼け残った建物は、草木が生い茂る廃墟となる。
シャセリオーの壁画も放置されていたが、アルチュール・シャセリオー男爵などによる壁画救出運動が展開、1890年代に記録写真撮影が行われ、1897年以降オルセー駅建設にあたって全体の約5分の1が救出される。これら断片は現在ルーヴル美術館が収蔵する。
本展では、1890年代の記録写真が展示される。
《諸民族を結びつける商業(西洋の港に到着する東洋の商人たち)》
シャセリオーは、1856年、37歳で死去。
本展では、シャセリオーの影響を受けた画家として、モロー(1826-1898)やシャヴァンヌ(1824-1898)の作品も展示されている。モロー《若者と死》、シャヴァンヌ《海辺の娘たち》(ともにオルセー美術館蔵)など。
展示会場はワンフロアで完結。更なる地下展示室との階段の昇り降りは不要。
その他、気になった作品。
《コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景》
1851年
メトロポリタン美術館
母子の情愛を描きこんだ作品が結構多い本展。本作は、METからの出品。母子+もう一人は誰?
《アレクシ・ド・トクヴィル》
1850年
ヴェルサイユ宮美術館
トクヴィル(1805-1859)の著書『アメリカのデモクラシー』は、岩波文庫で全4冊!