顕神の夢 - 幻視の表現者 -
村山槐多、関根正二から現代まで
2023年4月29日〜6月25日
川崎市岡本太郎美術館
川崎市岡本太郎美術館を初訪問。
生田緑地に行くのも、小田急線向ヶ丘遊園駅で降りるのも初めて。まあ、美術館直行直帰で、他はどこにも寄っていないけど。
「顕神の夢」とは何か。
非合理的で直接的な経験が表現者にとってかけがえのないモチベーションとなり得ることは確かです。
それはある種の宗教的な体験に似ていますが、宗教以前のものであり、宗教のもととなる出来事とも解釈できます。
表現者たちは、訪れたヴィジョンをたよりに、自己を超えた名状し難い「何か」を捉えるべく身を焦がす思いで制作します。
「何か」へのあこがれや思慕は、漠とした信仰心の発露ともいえます。
しかし、描けば描くほど、作れば作るほど、その「何か」は、表現者の手からすり抜け別のものとなり替わってしまいます。
そのため、彼らは向こうから「何か」がやってくるのを待つしかありません。
本展ではこのような心情を仮に「顕神の夢」と名付けてみました。
仮の名前らしい。
【本展の構成】
「人間を超越した『何か』」と表現者との関係性を軸に展開していく、という本展。
モダニズムに通底する一神教的な価値観とは異なる、多様な『何か』によってもたらされた「霊性の尺度」によって新旧の作品を読み直していくことを目指します。
第1章 見神者たち
『何か』に憑りつかれて、つまり神懸りによって生まれた作品
第2章 幻視の画家たち
常人では感じえない『何か』を幻視する作家
第3章 内向的光を求めて
夢に現れるイメージのように、『何か』からの刺激によって網膜を介さずに現れる光を留めた作品
第4章 神・仏・魔を描く
『何か』の姿を模った作品
第5章 越境者たち
別次元の視点によって『何か』をこの世界にもたらす作品
【主に見た作品】
展示作品数としては、現代美術に属する作品の比率が高い本展。
関根正二《少年》(2019-20年の没後100年回顧展の図録表紙に使われていた)がポスターに使われていることで本展に関心をもった私の興味は、第2章の一部を構成している、日本近代洋画に集中する。
制作活動に溺れてしまった感のある作家たちの作品群。
第2章「幻視の画家たち」より
古賀春江
《孔雀》1932年、福岡大学
《サーカスの景》1933年、神奈川県立近代美術館
河野通勢
《自画像》1918年、調布市武者小路実篤記念館
《三人の乞食》1916年、長野県立美術館
萬鐵五郎
《雲のある自画像》1912-13年頃、岩手県立美術館
《目のない自画像》1915年、岩手県立美術館
関根正二
《姉弟》1918年、福島県立美術館
《少年》1917年、個人蔵
《三星》1919年、東京国立近代美術館
村山槐多
《自画像》1916年、三重県立美術館
《裸婦》1915-16年、町立久万美術館
《バラと少女》1917年、東京国立近代美術館
第4章「神・仏・魔を描く」より
高島野十郎
《蠟燭》福岡県立美術館
《蠟燭》戦後期、久留米市立美術館
牧島如鳩
《魚藍観音像》1952年、足利市民文化財団
本展は、この後足利市立美術館、久留米市美術館、町立久万美術館、碧南市藤井達吉現代美術館の4会場を巡回する。
あわせて、岡本太郎作品が展示される常設展示室も見る。
2022年の東京都美術館の回顧展「展覧会 岡本太郎」のほうを先に見た私には、同展を縮小サイズにした感じに見えてしまうが、展示数も多く、かなりの規模。
確かに同回顧展には、川崎市岡本太郎美術館から多数の作品が出品されていた。