永遠の都ローマ展
2023年9月16日〜12月10日
東京都美術館
2024年1月5日〜3月10日
福岡市美術館
東京都美術館の「永遠の都ローマ展」。
ミュージアム・ショップで衝撃が待っていた。
絵葉書コーナー。
今見たばかりの出品作が並ぶなか、出品されていない、カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》も置かれている。
「本作は東京会場に出品されません」の旨の表示。
《洗礼者聖ヨハネ》は、カピトリーノ美術館の所蔵だから特別に用意したのかなあ、とやり過ごそうしたが、疑念が生じ、展覧会図録の見本を調べる。
《洗礼者聖ヨハネ》が掲載されている。
本展では、東京会場限りで《カピトリーノのヴィーナス》が、福岡会場限りでカラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》が出品されるのだ。
福岡市美術館にも行きたい。
カピトリーノ美術館は、2点のカラヴァッジョ作品を所蔵する。
《女占い師》と《洗礼者聖ヨハネ》である。
カラヴァッジョ
《女占い師》
1596-97年、カピトリーノ美術館
2016年の国立西洋美術館「カラヴァッジョ展」にて来日。
2019-20年の札幌・名古屋・大阪巡回の「カラヴァッジョ展」でも、札幌会場限りの出品予定とされていたが、結局、展示断念となり、来日しなかった。
若い男女二人。
女は、いつものように、青年に声をかける。
手相を見てあげる。
狙いは、青年が指につけている、高価な指輪。
最悪の出会いは、実は運命の出会いであった、と恋愛ドラマの冒頭シーンを想起したくなる大きな画面。
本作品と同じ構図でモデルを変えて描いた作品をルーヴル美術館が所蔵する。
カピトリーノ版とルーヴル版のどちらがオリジナルか、長年議論されてきたが、現在ではいずれもオリジナルとされている。
ただし、カピトリーノ版は、ルーヴル版と比べて質が劣るとされ、このため画家自身によるレプリカとする説もある。
2016年の鑑賞時。
額縁には、作者名とその生没年、作品名が載されたプレートがつけられていたが、その生年が1573年と記されていた。
昔、カラヴァッジョの生年は1573年と考えられていたが、1973年に迎える生誕400年記念に向けて研究を進めるなかで、実は1571年であることが判明したという経緯と聞く。ある。
じゃあ、この額縁は、それ以前に作られたものなのだ、生年が改められてもプレートを取り替えたりしないのだ、と印象に残る。
カラヴァッジョ
《洗礼者聖ヨハネ》
1602年、カピトリーノ美術館
来日歴なし。2024年の福岡市美術館「永遠の都ローマ展」が初来日となる。
裸体姿のエロティックな若者。
モデルは弟分のチェッコ・デル・カラヴァッジョとされる。
「洗礼者ヨハネ」ではなく、「犠牲から解放されたイサク」が描かれているとの説がある。
石鍋真澄氏(『カラヴァッジョ ほんとうはどんな画家だったのか』)によると、「イサク」説は、以下を根拠としている。
1)洗礼者ヨハネの通常のアトリビュートである、葦の十字架や洗礼用の椀といったものが描かれておらず、「見よ、神の子羊」というヨハネがキリストを見て発した言葉が記された紙片も描かれていないこと。
2)若者が抱き寄せようとしているのは子羊ではなく、角の生えた雄牛に見えること。
3)画面左下の赤い部分が祭壇の火を暗示すること。
しかし、石鍋氏は、一般的に言われるように「洗礼者ヨハネ」だとする。
この絵に言及した18世紀までの資料のほとんどすべてに「洗礼者ヨハネ」と記されていること、3点目についても、X線調査によって、カラヴァッジョは赤の布を初め左の端まで描いたが、途中で現在のように描き直したことがわかっており、その赤が長い年月のうちに浮き立ったと考えられること、を挙げている。
本作は、カラヴァッジョがサン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂の「マタイ伝」によるブレイク後の制作。
ローマのドーリア・パンフィーリ美術館にも《洗礼者聖ヨハネ》が所蔵される。
長年、ドーリア・パンフィーリ版がオリジナルで、カピトリーノ版はその忠実なコピーと見なされていた。
1953年の美術史家デニス・マーンによる提唱とその後の調査研究を経て、現在では、カピトリーノ版がオリジナル、ドーリア・パンフィーリ版がコピーとされる。「ペンティメント」(描き直し)の有無が最大の根拠であるようだ。
石鍋氏は、本作について次のように評価する。
概して薄暗いカピトリーノ美術館ではこの絵の真価はわかりにくい。
正直なところ、私がほんとうの意味でこの絵の真価を納得したのは、2018年のパリの展覧会で十分な光の下でじっくりと見たときであった。
疑いなく、カラヴァッジョの傑作の一つだ。
やっぱり、福岡市美術館に行きたい。