柳宗悦没後60年記念展
民藝の100年
2021年10月26日〜2022年2月13日
東京国立近代美術館
本展は、展示品を観るというよりも、解説を読む展覧会、という認識で臨む。
1月の3連休、そのなかで一番混む時間帯に訪問したようで、当日券購入・入場は即であったが、展示室内では列に並んでの鑑賞となる。
【本展の構成】
第1章 「民藝」前夜 ー あつめる、つなぐ
[1910年代-1920年代初頭]
1-1 『白樺』:東と西が出会う場所
1-2 富本とリーチ
1-3 『陶磁器の美』と初期コレクション
第2章 移動する身体 ー「民藝」の発見
[1910年代後半-1920年代]
2-1 朝鮮の友へ
2-2 日本蒐集紀行
2-3 西欧蒐集紀行
第3章 「民」なる趣味 ー 都市/郷土
[1920年代-1930年代]
3-1 民家・民俗学と民藝
3-2 フォーク・アート
3-3 山本鼎と農民美術運動
3-4 用途の転換
3-5 発掘と地図
3-6 新しい民藝をつくる
第4章 民藝は「編集」する
[1930-1940年代]
4-1 出版とネットワーク
4-2 歩くメディア - 民藝と衣服
4-3 民藝フォント
4-4 トリミングの技術
4-5 流し掛けと渦巻 - 自然・平易・自由
4-6 「展示」する技術
4-7 デザイナー柳宗悦
4-8 生産から流通まで - たくみ工藝店
第5章 ローカル/ナショナル/インターナショナル
[1930-1940年代]
5-1 「日本」の民藝地図
5-2 境界:沖縄
5-3 日本文化の対外発信
5-4 東北の民藝と「経世済民」
5-5 境界:アイヌ
5-6 境界:朝鮮
5-7 境界:中国・華北
5-8 境界:台湾
5-9 民藝と戦争
5-10 終戦と「美の法門」
第6章 戦後をデザインする ー 衣食住から景観保存まで
[1950-1970年代]
6-1 国際社会のなかのMINGEI
6-2 民藝と「プリミティブ」
6-3 国立近代美術館を批判する
6-4 民藝とインダストリアル・デザイン
6-5 柳宗悦の死と民藝ブーム
6-6 衣食住のデザイン
“第一に、近代美術館は官設であるが、民藝館は私設である。つまり「官」と「野」の違ひである。”
“近代美術館は「現代の眼」を標榜してゐる。併し民藝館は「日本の眼」に立たうとする。”
“近代美術館は、その名称が標榜してゐる如く、「近代」に主眼が置かれる。民藝館の方は、展示する品物に、別に「近代」を標榜しない。”
“近代美術館が今迄取り扱った材料を見ると、大部分が所謂いわゆる「美術」であって、「工藝」の部門とは縁がまだ薄い。”
柳宗悦「近代美術館と民藝館」『民藝』第64号 (1958年4月1日発行)
当館は、開館(1952年)まもない頃、晩年の柳宗悦からこのような「批判文」を投げかけられています。たしかに当館の名称はすべて柳が対抗しようとしたものばかり。(「東京⇔地方」/「官⇔民」/「近代⇔前近代」/「美術⇔工芸」) われわれ東京国立近代美術館も、まもなく開館70年。民藝運動と同様に、時代とともに変化してきました。本展は63年前、柳から投げかけられた辛辣な「お叱り」を今、どのように返球するのか、というチャレンジでもあります。
「民藝の樹」
「ミュージアム」、「出版」、「生産と流通」
自分なりに速いスピードで解説文を読んで回るが、混雑もあり、鑑賞に約3時間を要する。
細かく分類された展示構成。
大量の展示品。
総じて小さな字の解説文。
柳宗悦の超人的な活動ぶりと凄い人的ネットワーク。
同時代の似たような趣旨の運動と対抗したり、民俗学の柳田國男とは出合い損ねたり、時局に一石を投じたり、時局に合わせたり、突然?縄文や朝鮮民画など民藝運動の領域を拡大していったり。
駒場にある日本民藝館に素朴絵などの美術品を目当てで訪問したことはあるが、民藝運動や民藝品には特段関心を持ったことはない私にとって、その多くが初見・初聞で、消化不良で終わる。
印象的な展示品の一つが、対外向けグラフ誌『NIPPON』、「戦時下の民間人の生活」と題する記事に掲載された、柳が自邸の庭で家族とともに午後のティータイムを楽しむ写真であるとは、ひねくれた見方だったか。
本展会場は1階と2階があるが、1階会場は本展のほぼ全て、2階会場はほぼおまけ+ミュージアムショップで常設展料金でも入場可能エリア。1階会場は一度退出すると再入場不可とされているので、2階会場は気にせず、1階会場をじっくり見たい。